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想い人  作者: 美里亮
2/7

橘1

続きです!

何か音がした気がする。してないかもしれない。けど私は「あ」と口にする。すると狙い通り、わにちゃんが少し反応した。私はうれしくて「すごい音やな。」と言った。本当はしっかり聞こえていなかった。違うことを考えていたから。

「うん」

わにちゃんはそう一言口にする。その声は気だるげで、控えめだった。

「そういえばあれって誰が管理してるんやろ。」

私は、青い蛍光灯を見ながらわにちゃんにそう問いかけた。

「確かに。誰だろう。」

わにちゃんは、私が思っていたよりも関心を示した。わにちゃんの見開かれた目に私はクラっとする。ナイフのように滑らかで、鋭い一重の目。

「多分オーナーやろうなぁ。」

私はそうつぶやいた。オーナーが管理していることは知っていた。知らないふりをした。わにちゃんは頷いたきり、何も言わなかった。わにちゃんはまたあの青い蛍光灯を見つめている。また音がしたのかもしれない、けどやっぱり音なんかどうでもよかった。私が聞きたいのはわにちゃんの声だから。


 わにちゃんは青い蛍光灯を見つめ続けている。わにちゃんは何を考えているのかわからない表情をしていることが多い。今も同様にそういう表情で青い蛍光灯を見ている。洞窟の奥底に何があるかわからないように、私はわにちゃんの奥底をまだ知ることはできない。漆黒の邪悪な何かが潜んでいるかもしれない。ただそれでもなぜか惹かれてしまう。

店内には、客はおらず、わにちゃんと二人きりだった。店内を流れるラジオが途切れると、沈黙が訪れた。変な緊張感に、額から汗が一滴流れ、眉毛の上で止まった。


「それにしても暇やな。」

心臓の拍動が激しくなるのを抑えて、感情を紛らわすためにつぶやいた。するとわにちゃんは私を見ながら深刻な表情になった。何か考え事をしているのか、それとも何も考えずフリーズしているのか全く読めなかった。

「わにちゃん、あともう少し。」

少し怖くなった私は、急いでそう言った。

「本当だ、頑張ろ。」

わにちゃんの返答に心が落ち着く。わにちゃんの低く少し曇った声が、紫煙のように私の鼓膜を包んだ。



 数分後、二人の時間は風に吹かれた砂のように消え去った。一組のカップルの来店を機に、飲み会終わりの大学生や会社員が押し寄せた。気でも狂ったかのように騒いでいる輩に一目もくれず、淡々と接客をこなすわにちゃんの横顔は、テレビの中のスターよりも輝く。その輝きに勇気をもらえるから、酔っ払いのだるい絡みにも耐えられる。いつも助けられてるのに言えない「ありがとう」が私の胸にパンチを入れる。これが結構痛い。


 気づけば退勤時間の十時を過ぎていた。波は静まり気が付くと私はぷかぷかと穏やかな海に浮いていた。約二十分必死に接客をこなした。途中、忙しすぎてわにちゃんの存在を一瞬忘れた。思い出して隣を見たときに変わらずわにちゃんがいて安心した。


スタッフルームに戻ると中は静かで、ロッカーを開ける音が大きく響いた。わにちゃんはいつも気を遣ってくれてるのか、私がロッカーにいるときにはロビーの方で立って待っている。わにちゃんが飲み物を勢いよく喉に流し込む音が静かな部屋に響く。その音はなぜか官能的で少し恥ずかしくなった。クーラーが効いていて涼しいはずなのに変な汗が湧き出てくる。額から大きな汗のしずくが落ちてきた。今度ばかりは眉毛が止めきれず、右目に入る。ひどく沁みたので強くこすると、しっかりめに引いていたアイラインが滲み、指が黒くなる。


 私はすこしゆっくり帰る準備をしていた。それでもわにちゃんはこっちに来ない。少し残念な気持ちになる。私は諦め、準備を終えてわにちゃんのもとに向かう。ロビーに立つわにちゃんと目が合うと心がきゅうとなる。わにちゃんは空のペットボトルを手に疲れた表情をしていた。私は「また今度だな」と心でつぶやき、一言二言会話をしてからわにちゃんに別れを告げた。妙に深くお辞儀をしてしまったかもしれない。自分でやっといて変な壁がある気がして嫌になった。私はすぐに手を振り、訂正した。わにちゃんはにっこり笑ってくれた。私は振り返ることなく店を出た。

 

 意図していない機械的なため息が出る。外は暗いが空気がじめじめしていて暑かった。昼間の活気に満ちた道路は、虫の鳴き声が一つ一つ聞こえるほど静かだった。祭りの終わった後に似たセンチメンタルな空気が私を少し癒した。


通いなれた道、もはや私の庭のようなこの場所。一年前、私の庭、そしてバイト先にわにちゃんが現れた。ぱっとしない塩顔がスタッフの間では不評だったのを覚えている。彼と話して感じたミステリアスな雰囲気と、そのミステリアスな雰囲気にマッチする塩顔が私を強く刺激した。

「橘さんは何歳ですか。」

彼のこの一言が今でも耳の奥にこびりついている。彼との初めての会話。そして同い年と知った時の彼の笑顔がもう忘れることができない。ほぼ一目惚れだった。


 家はすぐ近くで、コンビニの横の路地に入って数分歩けば着く。暗い路地に入ると、遠くから大きな談笑の声が聞こえてくる。歩けば歩くほどその談笑は小さくなる。気が付けば見慣れた我が家が目の前にあった。


 私はわにちゃんのことをほとんど知らない。

「もっとあの人を知りたい。」

小さな声で、真っ暗な空に向かってつぶやいた。


ご閲覧ありがとうございます。

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