満足と充実感
「ねぇ? もしかして、ウーナの焼き菓子を食べたトールの友達って、私に会えるのかな?」
ひとしきり自分の周辺で起こった手に負えない話を零し終えると、フィヴがぽつりと呟いた。
あ、その問題があったなって具合に思い出す。
そーなんだよな。もともとは野々宮さんとフィヴを会わせるために思いついたことだったんだ。それがあまりにも衝撃的な物体ができてしまったせいで、根本的な目的が頭から吹っ飛んでいた。
それにだ。
「できるとは確約できないんだよ。なにしろ食ったヤツは、こっちの内情を知らないんだ……」
気軽に異世界交流を試したりできないだけに、妙に期待しているフィヴには悪いがそこのところは長考させてもらおう。
あの軽はずみ野郎に教えるってのは、なんかとんでもなく危険な気がするんだよ。
長年患ってた難病がいきなり完治して浮き足立ってる久侑が、なにかの拍子にぽろっと口を滑らさないとは限らない。
特に、仲がいい双子の妹あたりに。
「えー。なんだか悔しいっ。せっかくそのために必死で作ったのに、捨てちゃったなら諦めもつくけど、食べた人がいるとなると惜しいわ!」
「わからんでもないが、頭はイイんだけど考えが軽いんだよ。死ぬまで治らないって言われてた持病が治ってさ、とんでもなく浮かれてるから何しでかすか……」
まぁ、誰でも苦労の結果を見てみたい気になるのはわかる。
料理だって、誰かに食ってもらって「美味い」か「マズい」か感想を教えてほしくなるもんだ。
フィヴの不服が詰まった膨らんだ頬に、指を伸ばして「エイッ」と押す。ぷにっとした感触と恥ずかしさに赤く染まったそこをもう一度押そうとしたところで、ほっそりして見えるのに怪力の手で阻まれた。
掴まれた手首が痛みに悲鳴をあげる。
ついでに、本体も。
「いてててっ」
「無礼なやつめ!……クフッ。トールって弱すぎ」
「なにを言う! 俺の手は繊細なんだぞ。ってなわけで、これを食え」
根性のない俺の手首を笑いながら離したフィヴに、カウンターの上に準備しておいた総菜を差し出した。
リサイクルセンターで手に入れた小さな鉄鍋に、ごろっとデカいロールキャベツが八個入っている。フィヴたち用の八個は香辛料少なめの薄味にして、トマトスープ仕立てにしてある。
夏の名残のトマトで作った奴だ。
「うわぁ、いい匂い……」
「今回いちばん迷惑をかけたからな。そのお詫びとお礼だ。マギーの分も入ってるからみんなで食ってくれ」
「ほんと、トールの手は繊細だわね。ありがとう。父さんたちも喜ぶと思う」
「おう!」
フィヴと同じ格好をした見知らぬ少女が並んだ客を掻き分けて出てくると、「てんちょー!」と大声で呼ぶ。
ぴくりとフィヴの耳が後ろに反応し、鍋を両手に持ったままフィヴは振り返った。
「じゃ、また。トールもいろいろ大変そうだけど、何かあったら話してね? レイのことも気になってるし……絶対よ?」
「うん。フィヴも店長さんと菓子作り、頑張れな」
後ろに緩く三つ編みされた銀の髪が揺れ、またもや潔い走りっぷりで去って行った。
かわいいなぁと、俺は下世話な意味じゃなく思う。
去って行く後ろ姿がキラキラ輝いて見えるのは、きっと彼女が充実した時間を過ごしてるからだろう。
過分な欲もなく、今ある物に満足しながらも前を向く。でも、走る足を止めずに目標に向かって努力する。
この世界の住人が持つ本質なのか、この過酷な環境が生み出した性質なのか。
本当に、異なる世界だよな。
さて、俺は俺の世界の問題を解決せねば。
フィヴの生命力に癒され、残された久侑の問題に頭を悩ませながら日常を過ごし、そろそろかと思っていたところでスマホが鳴った。
特注ガラスが届いたっつー連絡に、久々にテンションが上がる。
待ちに待った。
これをきっかけにして、ちょっと気まずくなっていた中井たちを呼ぼう。
ま、俺ひとりでレイモンドの世界と接触するのが、すこし怖いってな本音もあるんだが。
翌日午後の営業時に、キッチンカー点検のため明日の販売はお休みしますと書いた張り紙をしておいた。
そのせいか日持ちのする総菜を大量買いするお客さんが出てしまい、慌てて「今日中に食べてくださいね!」と何度も念押しする羽目になった。なのに、お母さんたちは「大丈夫よ~」とあっけらかんと笑いながら大量買いしていくんだぜ? 腹を壊したら俺の責任になるんだっつーの!
勝手に日延べした物を食っておきながらそれを話さず、「某キッチンカーの総菜食ったら腹痛が――」とか漏らしたら、医者は即座に保健所通報するんだからな。そんで、俺は業務停止喰らうんだぞ!
腐敗の速度は、真夏よりすこし涼しくなってきた時期のほうがヤバいんだ。
はぁ……。たのむよ。お客さん。
ちょっとびくびくしながら当日を迎え、真面目に午前中の営業をこなした足で修理工場に直行した。
あいにくシノさんは留守で、代わりにチーフ整備士の今野さんが修理を承ってくれた。
壊れたガラスの代わりに入れていた樹脂製ボードを外して、特注ガラスを入れ直す。夕方には出来上がると聞いて、代車を借りるとショッピングモールへと出かけた。
軽く買い物をして、モール内にあるファミリーレストランに足を向ける。
大きな窓越しに、久侑が俺に向かって両腕を上げて振っていた。
今朝早くに届いていたメールに書かれていた文章が、さっと脳裏を過った。
《完全完治。担当医が絶句してたよ。説明できずに帰ってきたけど》
……マジ、どーしよー……。




