悪臭サブレとの戦いの結果
ジィ様が告げた謎の予言に、俺は内心で慄きながら母屋に戻った。
ベッドに寝転がり、頭の中でジィ様との会話を反芻してみたが、何がどう『なるようにしかならない』のか見当もつかない。
フィヴに報告することすら、寝入り間際にちらっと思い浮かんだだけという有様で、薄情だが精神的に落ち着いてからにさせてもらおう。
いろいろアクシデントの連続で、かなり参っていたんだ。
とりあえず、始末が難しいと思われた危険物はリサイクルされた。今頃は勇者・久侑君の血となり汗となり涙となって、数日後にはトイレの水に流れて消え去ることだろう。俺の食った分も同じ過程を踏んで……。
持ち出し禁止の力が働いてるのに食うならOKなのは、なぜかはいまだに理解できないが。
難題その一である、神様の葉入りサブレ問題は解消された。
次に、その二だ。
一晩寝て、ちょっとキョドりながら『紀宝』に向かった。
キッチンカーの中はあの悪臭の残り香すらなく、やっと安心安全な営業車に戻った。気をよくしながらも、久侑の体調が気になった。
同じ物を食った俺自身はまったく不具合なしで目覚めたし、ジィ様も別に食ったことを注意したりしなかった。もともとは食うために作ってもらったんだし、その時点で警告や破棄しろとか言われなかったし。
しかし、俺は大丈夫だったとしても、なら久侑もとは安心できない。
ヤツの場合、食った量もだが持病持ちだ。体調不良が即病状悪化に繋がるし、アレルギー反応なんぞが出たら恐ろしい状態になりえる。
不安とわずかな恐怖に怯えながら、『紀宝』のドアを押した。
まだお客は入ってなくて、がらーんとした店内にはTVニュースの音声が流れていた。
「おはよーっす。今日もよろしくお願いします」
「おう、こっちこそ頼むな」
本日は、店主の誠司さんがお出迎えだ。
なんとなく、どきっとする。
「あれ? 女将さんは?」
店から休憩室に向かいながら、カウンターと厨房の仕切りの側で取り皿を積んでいる誠司さんに尋ねた。
まさか、久侑が体調崩して……?
「東屋に出前だ。次男夫婦が遅い連休貰ったとかで、帰省して来てるんだとさ」
「ああ、オードブルの注文すか」
「若い連中だから、中華の盛り合わせでもいいだろってことらしい。ありがたいよな」
嬉しげな誠司さんの声を背に、俺はほっと胸を撫でおろした。
休憩室に入って白衣に着がえ、ちらっと母屋の奥に視線を投げてから店に戻った。
さあ、今日は休日だから四時間のバイトだ。下拵えに食器洗いをがんばるか。
「誠司さん、久侑は――」
「そういや、あの馬鹿が迷惑かけたらしくて悪かったな」
どうも昨日の駐車場での騒ぎを、厨房の窓から誠司さんに見られていたらしい。俺が久侑の腕を掴んでキッチンカーから引き擦りだしたところで気づいて、しゃがみ込んだ久侑と怒っているらしい俺の態度から喧嘩か!? とかなり焦ったらしい。
それきり何事もなく俺は帰り、久侑は家に戻ってきた。んで、店が終わった後で息子を問いただしたらしい。
「まあ、俺も安請け合いして鍵を渡したんで……。ただ、店内に放置してた菓子を食ったんで、体調悪くなってなきゃいいなと」
「ああ、大丈夫だったみたいだぞ。食い物屋の倅が、人の店で盗み食いしてんだ。体がおかしくなっても自業自得だ」
こーゆーとこは、きっぱりした親父さんだよな。
最近の親は、勝手に本人が口にしたってのにクレームつけてくるのが多い。分別つかない小さい子ならともかく、成人してるヤツの代わりに怒鳴り込んで来るって話だ。
ウチはいまだにその手のクレームが入ったことないから、安心ちゃ安心だけど気は抜けない。
それだけ聞けて、俺はやっと引け目なくバイトに打ち込めた。
後は、久侑と膝詰めで話すだけだな。
ヤツが気にしてたのは、あの強烈な悪臭がキッチンカーからまったく漏れていなかったことだけだ。窓もドアも開け放っていたのに、なぜ? と思っただろう。
そこを……どう言ってごまかすかだ。
そこを思案しながら、俺はもくもくと手を動かした。
結果から言おう。
ごまかすとかどーでもよくなるほどの現実が、俺を待っていた。
バイトを終えて着替えると、廊下奥の角から真っ白な顔を覗かせた久侑が、指先を上下しおいでおいでをしていた。
……久侑よ。お前は幽霊かっ。
「……どした?」
「どーしたもこーしたもないよっ。治ってんだよ!」
「へ!? なにが?」
俺の手首をがしっと掴んだ久侑に、ヤツの自室に連れ込まれた。
いったい何事かと問えば、苛立たしげに訳のわからんことを言い放つ。
俺のほうこそ苛立ってくるわ!
「俺の、持病が、完治してんの! わかる? 『調子がいい状態』じゃなく完治だよ? 完治!」
「カンチカンチって、何度も連呼しなくたってわかるわ! カンチってあの完治……え? か、んち?」
久侑の持病といえば、幼い頃からずっと治療を続けている難病で、いまだに発症原因が定かでなく特効薬もない。これからも、いつまで続くかわからない投薬や経過観察と付き合っていかなきゃならん病気なはず。
それが、いきなり完治だとぉ!?
「なんだよ、それ……」
「それはこっちの台詞だっつーの! 一昨日辺りから鼻の調子は悪いし『来たな!』って感じだったんだよ。また切除手術かぁって落ち込んでたらさ、昨日の夜中から変に調子が良くなってきて。……なんか怖いんで、こっそり朝一で医者行って検査してもらったら、いるはずの菌が消えてるって……」
うん。確かにいつも鼻声で発音がはっきりしないふうだったのに、今はそれもない。ごく普通に鼻の通った喋りをしてる。癖になってしまった指の背で鼻を擦ったりすすったりの動作もなく、イケメンなのに残念だよなと思っていた欠点が消えた。
でも、それがなに? なんで俺に訴えてるんだ?
「おう、よかったじゃねぇの」
「ああ、よかったよ! 嬉しいよ! 詳しく検査しないと最終判断はできないって医者に言われたけどさ、もうね! 長い付き合いだからわかるんだよ!」
「どうどう。あんま興奮すんな」
「あの、すげー匂いのお菓子だよ! あれが原因! マジでなに、あれ!」
「はぁ!?」
注:小説の中に鼻に関する難病の設定がありますが、詳細な知識があるわけではないので病名は記載しません。たぶん、こんな症状なのかな~くらいのつもりで納得してくださいますようお願いします。




