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触るな!といわれると…

 ドアも窓も開け放たれているのに、あの記憶の端にこびりついて離れない薬臭い匂いがまったく辺りに漂ってない。キッチンカーに近づいても、なーんにも匂わない。

 どうも、あの臭い匂いすらあちらの神力の欠片らしい。だからキッチンカー内部から漏れずにいる。

 俺は開け放たれたドアの前で足を止めて、まずハンカチを尻ポケットから出すと口と鼻を覆った。

 あのアホは、まだ激しく噎せてやがる。

 まぁ、例の危険物を運転席に放置しておいた俺も悪いんだけどさ。

 なぜ、そんなとこに置いたかって?

 だってさ、どこにしまおうか悩んで時間が過ぎたんだもーん。期限は今夜だし、余計な物をしまうスペースなんて店舗内にはない。外に持ち出せない以上、営業中に邪魔にならない場所といえば運転席しかなかった。だから、バイトの時も無意識に置いてしまったんだが。

 あんな得体の知れないモノを、誰が盗むと思う?

 いたけどな!


「この野郎! あれほど触るなっつただろうが!!」


 息を深く吸っていっきに飛び込み、まず怒鳴った。

 マスク代わりのハンカチの間から、どっと悪臭が襲い掛かってきた。

 浅く呼吸をして臭いに耐えながら運転席を見れば、シートの上にアレが袋から引き出されて散らばっている。不幸中の幸いなのは、でかいビニール袋を敷いた上に開けられていたことくらいか。

 でも、あれ? なんか量が減ってなくね?

 当の久侑は、店舗との境目に座り込んで噎せている。

 噎せて咳込んだはずみに吐き戻したかと周囲を見たが、それらしいあとはなかった。

 たぶん、盗み食いの後ろめたさで、勢いよく口に放り込んだんだろ。

 持病のせいで、すぐに味や匂いを感じずに飲み込んだ後に襲われて……。ご愁傷様。


「だっ、ぐほっ、だって、触るなって……器具とか」

「そりゃ、一例をあげただけだ! こん中の物は全部が重要なモンに決まってんだろーが! バカ! さっさと出ろ!」


 涙目で噎せて動けないでいる久侑の腕を掴み、出入り口から外に引きずりだした。

 とたんに、染みついたはずの臭いが消え去った。

 まるで洗剤や柔軟剤のCMみたいな効果の現れかたに、腹立たしさそっちのけで笑ってしまった。

 CGで描かれた気持ち悪い色した悪臭が、洗剤や柔軟剤を使ったとたんに消えたり流れていったりする映像があるじゃん?あれだ、あれ。

 久侑も駐車場の地面に手をついて必死に息をついでいたが、キッチンカーを降りてすぐの場所なのにあの激臭が微塵もしないことに気づいたらしい。鼻水と涎を垂らし、訝しげな表情で俺を見上げた。


「時間がねぇから、事情は後で……。明日のバイトが終わってから話す。それまでに体調がおかしくなったりしたら知らせろ。とりあえず、さっさとシャワー浴びて休め!」


 言うだけ言ってキッチンカーに戻り、役に立たないハンカチを鼻に押し当てながらドアと窓を閉めて回った。

 で、運転席に散らばった件のアレの残りだ。

 

「……ふぃくふぉう(チクショウ)!!」


 食ったよ。

 ええ! 食いましたよ! 欠片ひとつ残さず丹念に拾いあげて食べました!

 俺が言い出しっぺだし、店舗内に広げられてしまっては、ジィ様に気遣う意味もない。

 それに、なんとサブレの原型をとどめていた物は二枚しか残されてなかったんだよ。あとは、欠片と粉だけ。それならいっそ食ってしまえと、思って飲みかけのコーラと一緒に流し込んだ。

 でもな、やっぱり噎せるわえずくわ舌が痺れるわ……。


「たしか……十枚くらいあった気がするんだが。すげー……久侑」


 まだ臭いが立ちこめるキッチンカーの中で、残された袋をしまつする。

 そして、悩むのだ。

 これから住宅地の拠点で営業だ。家に戻って料理を積み込み、真っすぐ向かわなければならん。

 いや、時間的余裕があっても換気できない臭いは、俺にはどうしようもねぇ。


「もう! 腹くくった! 外に漏れないってんなら、このまま営業してやる!」


 車内で一言吠えると、俺は運転席に飛び乗ってキッチンカーを発進させた。


 その日の営業は、滞りなく開店し、終了した。

 ただ、俺がウィルス防止マスクをしてたんで、お客さんたちにとっても心配されただけだ。

 「夏風邪? 長引くって聞くから病院にいきなさいよ?」と。ありがたいことだ。

 そして、その夜。

 月の出を確認してすぐにキッチンカーに乗り込み、即土下座した。


「ジィ様! この匂いの始末をお願いします!」

 

 俺の分の禊は終えた。

 もう、調子にのってろくでもないことを考えついたりしない。


――難儀だったようじゃのぉ。ふぇふぇふぇ。


「予想外のことが立て続けに起こって、疲れちゃったよ……」


――なにごとも、なるようにしかならんわい。どれ、これくらいなら軽いもんじゃろ。


 昨日は陰鬱な雰囲気だったジィ様の声は、打って変わってなんとも妙に明るい。

 俺の失敗を眺めていて面白かったのかとも思ったが、どうもそれだけじゃないみたいだ。


「……馬鹿な奴があたふたしてて、ジィ様としちゃ面白かったのかもしれないけどさー……」


 ゆるゆると空気の流れが感じられる。その内に、臭いが薄れて消えていった。

 鼻が麻痺しかけていただけに、完全に臭いが消えたのかは寝て起きてから確かめないとな。


――面白いのは、まだ続くぞい。二、三日後あたりかのぉ……。まぁ、一時のこと。頑張ることじゃ。なるようにしかならんからのぉ。ふぉふぉふぉ。


 え?

 ええ!?

 俺、まだ試練の渦中にいるのか!?

 

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