俺のはじまり
何事も加減っつーやつが大事だ。
大皿にいくつもケーキをのせて戻って来ては食い、そしてまたリピート。
それを見ていた俺は、途中から視覚と嗅覚の暴力を味わった。
シティホテルの最上階レストランの窓際の席で、呼吸を浅くし目を細めて窓の外に広がるパノラマを無の境地で眺め、彼女たちが満足するまでの時間を黙って過ごした。
帰りの車の中で女性三人に「元をとらないこと」で説教された時には、マジで泣いてしまいそうだった。
俺が行きたいと言ったわけじゃないのに、なぜに責められなきゃならんのか! 理不尽すぎて涙目で運転した。
その車内も、ずっと甘ったるい匂いが充満してるような気がするんだが、鼻の粘膜にバニラやミルクやバターの匂いがこびりついてるみたいで鬱陶しい。
それもあって、言い返すことなく少しでも早くとアクセルを踏んだ。
「了ちゃん、聞き忘れてたけど猫ちゃんはどうしてるの? 連れて帰省?」
スイーツに大満足してようやく思い出したのか、車を実家にむけて走らせ出した途端に佳奈ちゃんが訊いてきた。
夕方近い午後の幹線道路は車も増えてきて、走行速度はおのずと遅くなる。前方の紅い軽の尻を見ながら、俺は当初から用意していた嘘の事情を口にした。
「あの後すぐにさ、住んでたところに返した。捨てられたんじゃなくて迷子になってたらしいよ。なんかさ、気づいたらいなくなってたって……」
飼い主がとかは言わず、ふんわりと大まかな事情を話す。
「ああ、時々あるのよね。好奇心なんだかわからないけど、たまたまお家に来たトラックやバンの荷台に忍び込んじゃって、遠く離れた場所まで連れて行かれちゃって迷子になるのよ」
おお! 母ほどではないけど、佳奈ちゃんも俺のふんわり事情で勝手に想像してくれて助かった。
まぁ、飼い猫が遠い場所で迷子になる事情なんて、そのあたりが原因だって経験則でおのずとってことなんだろう。
「うん。はっきりとはわからないみたいだけど、たぶんそーらしい」
「でも、良かったわね。ちゃんと飼い主さんの元に帰ることができて」
「うん……」
佳奈ちゃんにそう言われて、あの時の複雑な気持ちがじんわりと蘇った。
そこに誰かがいて当たり前の場所が、いきなり空席になった時の喪失感のような変な気持ちだ。それを寂しさっつーのかは、あいかわらずはっきりしないけどさ。
無意識なんだろう。脳裏をばーちゃんやレイモンドたちやマグの姿が過っていく。
あの居間でくつろぎ、笑っているみんなの姿だった。
マグで思いだしたが、キッチンカーがないってことはフィヴたちにも会えないんだよなぁ。あっちの窓は壊れていないから、キッチンカーさえあればフィヴたちには会えるのにな。
ジョアンさんに腹を立ててたせいで、レイモンドたちの世界にばかり気が行ってた。そのため、フィヴたちとじっくり話をしていないんだよな。
なんだか会う度に進化している様子だけは伝わってきたが、実際に商品になった物を食べさせてもらっていない。
フィヴの努力とマギーの知恵が重なって、いったいどんなお菓子が出来上がっているんだろう。ジョアンさん自慢の菓子すら微妙な顔で味見して、「こんなものなの?」なんて批評してたぐらいだもんな。
キッチンカーが戻って来たら、まずは中井たちに声をかけてフィヴの世界に顔を出そう。
そう予定をたてながら家に帰り、夕食の時間になって帰宅した親父と顔をあわせ、まだ胸やけっぽさがおさまらずに夕食を辞退して部屋に逃げこんだ。
この家にまだ残されている俺の部屋は、俺が中学を卒業した時点で時が止まっている。
共働きの両親と俺の三人暮らしだけに、出て行った俺の部屋をつぶして誰かの部屋に変えてしまうこともないらしい。あの時のまま残され、俺の帰省を待っている。
そーゆーところは、一人っ子のメリットだよな。
専門学校の同期が、よく愚痴ってたっけ? 自活を始めると実家に部屋がなくなると。
兄弟がいれば、残った兄弟の部屋に。全員が独り立ちしても、嫁に行った姉が出産のための里帰りが決まると、両親から娘と孫のために部屋を明け渡せとお達しが来るとか。
実家に残っていた奴が、明け渡し要求されている兄の荷物を無理やり預けられ、いきなり自室が狭くなったとぼやいてたっけ。
マットレスだけになっているベッドに寝ころんで、専学時代のあれこれを思い出した。
この部屋で寝起きしていた頃は、料理で身を立てるなんてまったく考えていなかった。進学希望の高校ですら、先へ進むためにここなら無難だろうって程度の考えで選んだところで、将来の希望なんて見えていなかった。
俺も両親も当然のように大学進学するんだろうなーと思っていたし、世に溢れる連中のように確かな未来ビジョンは大学に入ってからのつもりだった。
それが、今じゃ一国一城の主だ。まぁ、借金ありきだけどな。
ぐるりと見える範囲で部屋の中を見まわし、本棚の隅におさまった薄いムック本に目がとまった。
「かんたんうまい!……かぁ」
背表紙はすでにコーティングがめくれてよれている。
どこかの料理家が書いた『簡単な総菜レシピ集』だ。たしかばーちゃんから借りたんだったか。
俺が中二の頃に、母が盲腸で入院する騒ぎがあった。俺と親父のSOSでばーちゃんが手伝いに来てくれたんだが、家の家事や母の世話のすべてを頼むわけにはいかなかった。それで役割分担ってことになった時、俺は炊事の役割をふられたんだが、今から思えばリンゴの皮むきひとつできない自分にへこんだ。
そんな時に指導してくれたのがばーちゃんで、自分しか家にいない時の自分の飯くらい作ろうと思って頑張った。で、ばーちゃんが貸してくれたレシピ集がこれ。
たぶん、俺が初めて料理に目覚めたきっかけだったんだと思う。
ベッドを降りてレシピ集を引っ張り出し、ぼろいムックをぱらぱらとめくった。
黄ばんだページに、ばーちゃんと俺のメモ書き。
汚い俺の文字が滲んでいる。
そーいえば、少々だの適宜だのって意味がわからなかったんだよなぁ。
少々ってどれくらいだ? 適宜ってなに? なんて具合に。
なのに、落し蓋や板ずりっつー作業を知ってた。
小松菜とほうれん草を間違って買ってきたり、サンマの塩焼きなのに間違って砂糖をふってしまって親父と喧嘩になったり。
ピーラーでじゃがいもの皮むきをして、調子に乗って指まで皮を……。今じゃ、ピーラーより包丁で皮むきしたほうが早い。
「あの後あたりからだよな……。オカンが俺に飯作りをさせるようになったのは」
飯作りを覚えた俺は、両親が仕事から帰ってくる前に帰宅していたことで、空腹のあまりに率先して夕食を作ることが多くなった。
自分の分だけじゃなくて親の分も含めて作り、美味いと言われると嬉しくなった。
で、ある日の夕食で、親父が口を滑らせたんだ。
母の飯より俺の作る料理のほうが美味いと。
そんなのは当たり前だ。仕事から帰宅して短時間でささっと作る母の料理より、時間がたっぷりある俺がじっくり作った料理のほうが美味いのは。
母はおおいにむくれ、俺は親父に抗議した。
褒められた俺が母の味方をして怒ったせいか、それで母の怒りもおさまって変な蟠りになることはなかった。
でも、それが原因で俺の炊事当番が決定的になったのは言うまでもない。
だから、俺が高校進学のためにばーちゃん家に引っ越すことにした時、両親が一番嘆いたのは飯のことだった。
それに耳をふさいでばーちゃん家に越して、俺はやっと義務から離れられた。
「食べて欲しいと思いながら作るのと、作らないと駄目だから作るのとじゃ気持ちのあり様が違うもんだよ」
ばーちゃんの横で料理の手伝いをしながら愚痴った俺に、ばーちゃんが笑いながら言った台詞だ。
厚意と義務。
食べて欲しいのか、食事をしてほしいのか。
同じようでまったく違う。
異世界の彼らは、どんな気持ちで食べ物を作っているんだろうか。
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