謎の錬金薬師―げに恐ろしきは
セレと呼ばれた男は一歩足を踏み出すと、鞘から抜いた長剣をジョアンさんめがけて躊躇なく突きこんだ。
その瞬間、俺は反射的にぎゅっと目をつぶった。
ドラマなら盛り上がりシーンだ。きっと目を見張って、かぶりつきで見てるだろうが、これは現実だ。
異世界で起こっていても、現実の殺人シーンだ。
なんでこんなことに!? ってのが最初に頭に浮かんで、すぐに誰か止めろよ! になって、最後に自業自得じゃん? に変わっていった。
……これって自己保身なんだろうか。自分じゃ止めらんない出来事を目の前にして、それを自分に納得させるための本能の働き? ってやつ。
なぜ、どうして、俺のせいじゃないからな! ってな心理の移り変わりに驚いて、後味の悪さに恐る恐る目を開いた。
左の肩を中井が掴み、Tシャツの右肩甲骨辺りを野々宮さんが鷲掴んでいる。
緊張に跳ね上がった鼓動を意識して落ち着かせながら、伏せていた視線を現場にむけた。
まぁね。悲鳴も叫びも上がらなかったから、ジョアンさんが傷つけられていないことはわかっていた。左肩の上を着ていた服ごと壁に縫い付けられて、ジョアンさんは真っ青な顔で竦み上がっていた。
でも、あれだけの巨体が剣一本で壁に磔になっている光景は、俺をなんとも複雑な心境にさせた。
「なぜ、私を謀った!? 面白半分か? それとも、なんらかの意図あってのことか?」
シャーリエさんの睨みとドスの効いた声が、身動きひとつできずにいるジョアンさんにぶつけられた。
「こええ…」
目の前のやりとりから視線を離せなくなっている中井が、小声でぼそりと呟いた。
俺たちと同じ年くらいの女の子が力のこもった低い声で、強面の年上の男を怒鳴りつけてる。見るからに激怒してて、その迫力ってのか威圧感ての? が、俺たちにもすげー伝わってくる。
で、彼女の後ろには、仁王様みたいな剣士が立ってるんだぜ。
マジ、こえぇ。
俺たちが目の前で展開されている光景に集中している間、レイモンドとエリックさんは壁に並んで寄りかかり、こそこそ耳打ちしあっていた。お互いに何かを確認し合ったのか、エリックさんがひとつ頷くと反動をつけて壁から離れた。
「シャーリエ嬢。少し落ち着いてください。きちんと話をしようにも力ずくで脅かされては、こちらは何も言えませんよ」
エリックさんは腕組みをしたまま、むちゃくちゃ冷め切った声で錬金薬師のお嬢さんに告げた。
いや~、言ってることは真っ当なんだけどさ、その横柄な態度では説得力ないんじゃなかい? 媚びへつらえとは言わんが、腕組んでその台詞じゃ嫌味にしかならないんじゃ……。
と、俺が思ったくらいだから、シャーリエ嬢はキッと眉を吊り上げてエリックさんを振り返った。
「お前までその態度か! 兄弟で私をバカにして楽しんでいるのか‼?」
「まさか。違いますよ。俺が呆れているのは、あなたじゃなく我が兄です」
「なに? それは、どういう――」
「説明しますから、兄を解放してください。セレ、お前も従者だからって、言いなりになりすぎだ」
なんだか、エリックさんはシャーリエ嬢とセレさんとは、顔馴染みっぽいぞ? これで少しは、落ち着いて話ができる雰囲気になるんか?
が、しかし、そんなに簡単な状況じゃなかった。
セレさんが、エリックさんの言葉に従ってジョアンさんを磔にしていた剣を引き抜いたと思ったら、そのまま剣を水平にふるった。
空気を切る音がする。
「ちょっ! まっ!!」
キッチンカーの店舗内へ避難していた俺は、とっさに上半身をのり出していた。
剣の行方は間違いなくエリックさんに向かっていて、冗談や脅しで斬りつけたってな距離じゃないのにためらいなしに剣をふった。
だめだっ! と叫びそうになった瞬間、すかさずレイモンドの剣がセレさんの剣を受けとめた。
TVや映画で耳のするような、軽い金属音じゃない。重い金属が力任せにぶつかる鈍い音だ。
人か魔獣かの違いはあれど、兵士として戦場で戦っていたレイモンドのとっさの動きは的確だった。
しかし、こんな狭い部屋で剣なんて振り回せばどうなるか、男女ふたりはわかってんのか!? 斬るつもりのない人まで傷つける――いや、もしかしたら、マジで三兄弟を殺そうとしてんのかも。
そんな考えに至ったとたん、俺はまったく自分でも訳の分からん叫びをあげていた。
「ばーか! ばーか! ブース! 糞オンナッ!!」
冷静に戻った時、少し前の自分を呪いたくなったんですが、その時はなぜか何も考えずに口からそんな台詞が飛び出してですね……。けして女性を貶めるのが好きな質じゃないんで、そこは理解していただきたく。
「……!!」
シャーリエさんやセレさんからは、俺たちは見えない聞こえないはずなんだ。だから、カッとした俺は後先考えずに子供みたいな言動をとってしまったんだろう。けどその直後、理解できない異世界の謎を味わわされた。
何を思ったのか感じたのか、エリックさんを睨んでいたシャーリエさんが俺たちの方へ鋭い視線を向けると、間を置かずにふらっと片手をあげていきなりこっちへ野球の硬球大の火の玉を放った。
火の玉だぞ? レイモンドが見せてくれたみたいなライターの最大火力ってもんじゃなく、これぞTHE魔法って感じのファイアーボールだ。
当然そんなもんが飛んでくるとは予想してなかった俺は、すんげー間抜け顔で固まったまま後ろの誰かにTシャツの背中を無理やり引っ張られて、勢いよく店舗の床に転がった。
――ドンッ! グシャッ!
妙な音をバックに「いてーっ!」と悲鳴を上げながら後ろのカウンターにぶつけた後頭部を擦り、涙目の視線を上げた。
閉じた二枚の窓ガラスに、蜘蛛の巣みたいなヒビが走っていた。あともう一押しで粉々になって振ってきそうな状態だ。
それを、珍しく怯えた顔で中井と野々宮さんが見つめていた。
「な……んだ? これ……。なにが! え? どうしたんだよ! 誰だ! 俺の相棒を傷つけた奴は!」
俺の叫びがキッチンカーの中に炸裂した。