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謎の錬金薬師―野郎の部屋とカレー

 さて、満を持してっつーほどではないが、中井とレイモンドが強気で用意してくれた二者会談の機会を、少しでもイイ雰囲気で始めようかと思い、俺はレイモンドの好物を揃えて窓を開いた。そして、思わず息を詰まらせてフリーズした。

 なんと、窓はいつもの地下倉庫の一室じゃなく、レイモンドの私室らしい一室の壁に接続していた。

 見慣れない部屋と、ドアを開きかけた姿勢で後ろを振り返り、口を開けて瞠目したまま止まっているレイモンド。

 俺が顔を突き出しているのは、彼の部屋の机の真横だった。


「びっくりしたー!」

「それは、こっちの台詞だっ」


 レイモンドは開きかけた扉を慌てて引き戻し、俺の側へと戻って来た。

 険しい表情で俺を見ているレイモンドに構わず、俺は初めて見る彼の室内を、新鮮な気持ちで見回した。

 広さは十二畳くらいで、簡素な机と椅子に飾りっけなしのシンプルなクローゼットにでっかいベッド。後は、細々した物が乗っかってるサイドボードみたいな低い棚が一つ。

 初めて訪れた友人の部屋って、物珍しくもあり、相手の無防備さを覗き見しちまった申し訳なさもあり、だな。


「へー、野郎の部屋っつー感じだな。つか、ごめん。無断でお邪魔して」

「ああ、驚いただけだから気にするな。しかし、私の自室をどんな部屋だと想像していたんだ?」

「几帳面で小物好きなレイのことだから、もっとちまちました私物が、ビシッと整理整頓されて飾られてるような……」

「トール、あまり見るな。ところで、どうやって私の部屋だと知った?」


 俺がきょろきょろするのが気に食わなかったのか、レイモンドはデカい手で動き回る俺の頭を押さえ、自分の方へと向けた。

 痛ぇなぁと思いながら、頭を押さえる手を軽く叩いてギブアップを告げ、この状況になった要因を考えてみた。


「たぶん、キッチンカーの神様が、気をきかせてくれたらしい。盗聴なんてできるのか知らないが、邪魔者が入って来ない場所に移動してくれたらしいよ?」


 ジャイアン気質なお兄様だし、わざとらしく邪魔しに来そうな感じじゃん?


「……そうか。やはり、信用されてはいないのだろうな」

「まぁな。実際に俺たち三人は、すでにジョアンさんに見切りをつけてる」

「そこまでか?」


 レイモンドは話しながら椅子を引っ張って来ると、腰を下ろして俺と向かい合った。

 そうすると、ヤツの顔が窓より少し低くなり、俺を見上げて来る。そのなんとも情けない顔に、俺は用意してあった木の器を差し出した。


「話は後で。とりあえず、まぁ食え」


 荒彫りの器に劣化するかと思ったら変化することなく、湯気の立つ料理が盛られた器を、レイモンドの鼻先まで持って行った。

 兄を見放したって話しでしょげたはずのレイモンドは、鼻先に持ってこられたカレーに意識を攫われたらしく、目も鼻も釘付けになった。


「カレーだ」

「おう。内緒にしとけよ。で、代金は、レイのとこのお菓子が欲しい」

「ちょっと待て。お茶と菓子を――」

「あっ、待って! 今はいいって。レイが出て行ったら、ジョアンさんに見つかるんじゃ……」

「兄たちは、ここに住んではいないから大丈夫だ」


 カレーだけは先に受け取って机の上に置くと、レイモンドは足早に部屋から出て行った。

 ヤツが戻ってくる前に、再びお部屋拝見を始めた。

 ジョアンさんが、ガラスは高価だって言ってただけあって、貴族の屋敷であってもガンガン使っている訳じゃないのは見て取れた。

 広い部屋に大きなアーチ窓が一つあって、上部の半円部分だけに小さな四角いガラスを格子にはめ込んだ明り取りがあって、その下は鎧窓と呼ばれる観音開きの木製扉みたいな作りになっている。今は、開け放たれた窓から、柔らかい陽射しと心地良い風が入り込んで来ている。

 そして、俺が顔を突き出している壁だが、木の柱の間を真っ白な漆喰で固めた物。手を伸ばして、軽く叩いたり触ったりしてみたが、漆喰の下はどうも煉瓦みたいだった。

 え? と思ったのは、床だ。石板でできてると思ってたら、木材でした。まだ新しいのは、新築だからだな。

 勢いよく扉が開いて、レイモンドが何やら押して入って来た。


「なんだ?」

「いや、床は木材なんだなーと。二階だからか?」

「そうだ。一階部分は石と煉瓦で造られているが、二階は重くならないように木材が使用されている。壁だけは、厚みが必要だから、薄い煉瓦が使われているが……どうしたんだ?」

「興味深いなと思ってさ。レイは、俺の家に来ただろう? で、驚いてたじゃん? だから、レイたちの世界はどんななんだろうかと思って」

「殺風景だろう。貴族と言っても下級貴族など、こんなものだ」

「えー? カッコいいよ。すっきりしてて居心地良さそうだ」


 同じじゃないんだろうけど、どこか昔の外国の暮らしや建物を、肉眼で見て自分の手で触ってみれるってのは、なんとなく特別な感じがして嬉しい。それが、異世界だってんだから尚更だ。

 俺が持ち込んだカレーの匂いは、この部屋に似合わないな。でも、レイモンドが手ずから淹れてくれた、仄かに甘酸っぱい香りのお茶は、レイモンドたちの生活の一部になっていて、やっぱりその世界にぴったりくる物は、ゆっくりと育てられて行ってこそなんだと実感した。

 ご令息自ら淹れてくれたお茶が、可愛らしい陶器のカップで差し出された。

 そして、菓子だ。


「兄たちの商会で売り出されている、貴族御用達の商品だ。食ってみてくれ」

「ほほう。それじゃ、いただきます」


 どんな容器に入れて売られているのか分からないが、皿に盛られているのは焼き菓子だった。

 黄色味を帯びてふんわりとした見た目の、楕円形の小さなケーキだった。こっちの世界で例えると、マドレーヌやフィナンシェにあたるんだろうか。口に含むと、柔らかくて芳醇なバターの香りがするスイーツだ。


「美味いな。んで、このお茶とめちゃ合う!」

「そうだろう。この茶と合わせて商品にしていると言っていた」


 俺がお菓子を食っている間、レイモンドもカレーを掻きこんでいた。貴族のご令息が、なんてはしたない食べ方を! とか言われそうな食いっぷりで、その上に目尻が下がりまくっている。


「はぁ、やはり美味い。久しぶりだからか?」

「あはは。この間は、匂いだけで終わらせちゃったからな。そのお詫び」

「作るのは、難しいのだろうな……」


 やっぱり、そこに来るか。

 教えてもいいが、材料を準備するだけで大変なことになるのは目に見えている。

 なんと言っても、大金が必要な気がするんだよな。


「たぶん、そっちの世界で作るとなると、もの凄く金がかかると思う。その一皿のカレーに、数十の香辛料や調味料が入っているんだ。それもぱらっと振りかけるくらいの量じゃなく、小麦粉並みに入れて炒めて煮込まないと、そんなカレーにならない」

「この一皿の値段は、きっと恐ろしい物になるな」


 後少しだけになったカレーを、目を見開いて眺め、それからじっくりと味わい出した。今更、遅いわっ。

 

「なぁ、例の錬金薬師って人、どんな人なんだ?」


 俺も菓子とお茶のティータイムを終わらせ、空になった皿とカップを返すと、きりが良い頃かと話を出してみた。

 あ、菓子を二つだけ残しておいたのは、フィヴにってことで。


「私は会ってはいないから、はっきりとは言えない。ただ、とても珍しいもの好きで、変わった性格の人物としか」


 ふうと満足げに吐息を漏らして、キレイに空にした皿をこっちに戻して来た。それを受け取って、カウンターに置く。

 名残惜しそうな視線が皿を追いかけて来たが、俺は内心でニヤケながら素知らぬ振りで、話し続けた。


「会えないことは、話してあるんだよな?」

「兄には、しっかり話しておいたんだ。兄がトールと会えたのは、私と血縁だからで、中井たちはたまたま条件が揃ったからだと。だが、何ごとも試さないと気がすまない人で……」

「うん。だろうなと思ってた。ただな、俺たちは先に相談して欲しかったと思ってる。後の文句は、直接ジョアンさんに言うさ」

「……すまん」

「レイが謝るなよ。これは、俺たちとジョアンさんの問題だから」


 いやなもんだよ。何も悪いことしていないヤツが、一番辛い立場になってるってのは。

 これで、レイの中に俺への借りができてしまうんだ。俺に貸したつもりなんか、微塵もないのに。

 

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