マギーは、マグに戻れるのか?(1)
マギーの手は、人の手と同じく五本の長い指がある。手の甲の中ほどまでは被毛に包まれているけど、そこから先は綺麗な肌と爪だった。よくあるファンタジーの獣人のように鋭く長い爪じゃなく、俺と同じ丸い爪だ。で、掌はと言うと、別に肉球なんて無く、こちらも俺やフィヴと同じように、ごく普通の掌だった。
その手が、身を乗り出していた俺の脇を通って、窓の中へと差し込まれようとした。
ドンッ!
うん。やはり同じだったなぁ。予想通り、見えない壁に指先は拒絶されて弾かれた。マギーは、手ぐらいは差し込んでも大丈夫だろうと思ったらしく、何の躊躇も警戒もせずに勢いよく突っ込んだから、まあ当然のこと。
つか、事前説明しておかなかった俺が、一番悪いんだけどね。
「痛ぁーーーーーっ!!」
突き指まではいかなかっただろうが、それなりの衝撃を受けたようだった。慌てて手を引っ込めて、大きな悲鳴を上げた。
「なにこれ!?」
艶々の猫目に涙を浮かべて、痛さに思い切り手を振っている。
……。なんで指や手を痛めると、反射的に手を振るんだろう?なんか、それなりに理由があるのか?
「すまん! 先に説明しておけばよかった。そこまで勢いつけてやるとは思わなかったんだ。悪い!」
「それはいいからっ。何で通らないのさ!」
「それは俺にも正確に説明できん。どうもな、異世界の物を、こっちに入れることは神様の間じゃ禁止されてるらしい」
「でも、アタシはそっちに飛ばされてたじゃないか!」
そこが疑問なんだよなぁ。
マギーの言う 『竜族と戦っている最中』 ってのは、この間まで続いていた件の戦争のことか?フィヴの親父さんや兄貴も、戦場へ行ってたって言ってたもんな。それにしても、そこからこっちの世界へ飛ばされたって、何が切っ掛けだったんだ?
「マギーが飛ばされた時、他の人たちも一緒に飛ばされたの?」
俺と同じように考え込んでいたフィヴが、珍しく真剣な顔でマギーに尋ねた。ずっとクッキーのことばかりで顔を合せてたから、ここの所ずっと弱気で自信なさげな表情しか見てなかったんだよ。やっぱり、フィヴは気丈なお嬢様って感じが似合う。
「分かんない……。何か予兆があって起こったことじゃないんだよ。戦ってる最中、相手の剣とアタシの剣がぶつかった瞬間、バッといる場所が変わったって感じ。でさ、あたしは猫になってるし、その時身につけてた服も防具も剣も見当たらないし。回りには誰もいなかった」
痛みとショックに不機嫌丸出しの調子で答えながら、それでも不思議そうに、窓ガラスと俺の体の間を指で何度もなぞっていた。
俺の体が外に出ているのに、そっちの世界からは、指先すら入れられないんだもんなぁ。
そんなマギーに構わず、俺の意識は別の方へと。
「え? 身一つってことか?」
「うん。猫になってなきゃ、真っ裸だったと思うよ」
その台詞が引き金で、俺の意識がまたマギーの首から下へ流れて……。
つかつかっとフィヴが寄って来たと思ったら、俺の顎の下に手を入れて、くいっと上へ向けられた。何するんだ! と目を向けると、そこには厳しい表情のフィヴが、マギー参上の時より険しくなっていた。すまん。俺も男なんだよっ。
そんな俺とフィヴの無言の攻防など気にもかけず、マギーは溜息一つ漏らすと、また後ろへと戻って行った。
マギーさん、豊満な胸の下で腕を組まないで下さい。もっと、目のやり場に困るんですけど。
俺の目が泳いでいることに、すぐに気づいたフィヴが、すげー不自然な動きで俺とマギーの間に仁王立ちした。
「それからは、ずっとトールの世界で暮らしていたのね?」
「そう。野良猫って呼ばれたり、子供に追いかけられたり、腹が減ってフラフラになってさー、いい匂いに誘われて思わず入った籠が罠だったり。もー大変だった」
マギーが次々上げて行く 『野良猫あるある』 に、俺は一々頷いて聞いていた。それにしても、最後の経験は微妙だが、今ここにいるってことは。
「罠から逃げられたのか?」
「ああ……。あのね、変な施設に連れて行かれたんだけどさ、割とすぐに、じぃさんとばぁさんの夫婦に貰われた。それからかな? ここに居てもいいかなーって思ってたら、二人が次々と死んじゃって、気づいたら、また野良猫になってた」
「そして、俺の前に現れた訳かぁ」
「本当に大変だったのねぇ……」
野良猫っつー言葉が、フィヴの耳にはどんな風に訳されて聞こえてるのか分からないが、大変な生活だってことは理解しているらしい。
まぁさ、生まれた時から猫ならいざ知らず、この年でいきなり謎の生き物に変身させられた上に、言葉は通じない、見たことない物で溢れてる、奇妙な世界へ飛ばされたんだもんな。
同じ物をちらっとでも垣間見たフィヴが、自分をマギーの身の上に当て嵌めて想像してみて、そして 「大変」 っつー感想が出るんだからマジで大変だったんだろうな。
「それで、どーする?無事にそっちへ帰れたし、故郷へ?」
「うん……。帰ってみるよ。そっちの生活も捨てがたかったけどさ、もう戻れないみたいだしさ」
「なぁ? 猫には変われないんか?」
あまり、深く考えて指摘した訳じゃなかった。ただ、ケモ耳人間モードから、被毛や髭までばっちりな獣人モードにまで変身できるんだから、一度は猫になった経験のあるマギーなら、なれるんじゃないかと思っただけだった。
で、俺の一言を聞いたマギーは、なぜか口を半開きにして目を見開き、俺をまじまじと見ていた。
「ね、猫になったからって、それで? トールは、またアタシを飼い続けてくれるっての?」
「う?うん。別に、こっちの世界じゃ獣人にはなれないんだろう?なら、猫のままウチのマグでいりゃーいいじゃん。まぁ、その前に猫になれたとして、こっちへ戻れるかが問題だけどな?」
「なに、お気楽なこといってんのさっ! アタシはね、自分の世界へ帰りたくって仕方なかったんだよ! やっと帰れたのにっ」
「うん。帰れたねぇ。だから、別にずっとじゃなくてさ、時々、猫になってこっちへ遊びにくればーってな」
「あんたって……」
姿勢よく立っていたマギーが、疲れたようにがっくりと肩を落として俯き、その前でフィヴまで遠い目をして森の奥へと視線を投げていた。
え?俺の言ってることは、呆れるほどおかしなことか?
「バカだよ……」
マギーさん、それはないだろ!
だって、いい提案だろう?俺もフィヴも、もう行き来できないんだぞ?それなのに、もしかしたらマギーだけは、世界を股にどころか、異世界を股にかけて移動できるなんてさ。
「トール、寂しいなら寂しいって、はっきり言えばいいのよ。マギーと一緒に暮らして、それなりに楽しかったんでしょう?」
フィヴの一言は、不意打ちで俺の胸の隙間に直撃した。
お待たせしました。
どうにか諸事情も一山越しましたので、ゆっくりながら更新を再開します。
楽しみに待っていて下さった方々、またよろしくお付き合いくださいね。




