謎の屋台の美味い飯
味見だけは物足りない。
不審人物との遭遇だったというのに、相棒にも上官にも報告せず、ただベントーのことで頭がいっぱいになっていた。何しろ宿舎の食堂で食った夕食が味気なく感じられて、明日の朝が楽しみなんて子供の頃みたいな高揚に寝るに寝られず、結局また寝不足になった。
朝になって現場に向かうと窓は見当たらず、もしかして昨日は白昼夢だったのか?と不安になったが―――いきなり窓が現れて、奥に笑顔の店主が立っていた。
この時、僕はまだトールから彼の素性を聞いておらず、ただ異世界のベントー屋台の店主としか知らなかった。異世界と言われても、僕の国の言葉を流暢に話して通貨も知っていた店主相手じゃ信じられなくて。もしかしたら城内を探る間諜かとの疑いも持ちながら、彼が手渡してくれたベントー2つを受け取った。
「―――お手紙を挟んでおきましたんで、読んでください」
彼が金を受け取りながら小声で囁いてきた時、すでにベントーに意識を持っていかれていた僕は、動揺しながらも彼の顔を見上げた。
飯で門兵の僕を釣るために…なんて、胡乱な目で彼を見たかもしれない。
でも、ベントーを食べながらちらりと覗いた手紙の中身は彼からの交流の申し込みで、ベントーの受け渡しの間しか会話できないから手紙を書いたといった事情だった。
彼の名はトールと言った。
彼は異世界で移動する屋台を営んでいて、昨日のあの時間、窓だけがこちらの世界へ繋がったのだそうだ。それが何故なのか、どんな理由で繋がったのかトールにも原因は分からない。加えて、トールは自分の国の言葉を使っているつもりなのに僕に通じてる上に同じ言葉で話しているように聞こえ、あちらの金銭や料理以外の品物や文字までが、窓を通すと僕の世界の物に勝手に変化するらしい。
証拠を出せない以上は信じられないと思うから、そのことは横に置いて異世界交流しないか?との誘いだった。
まるで子供の読むお伽噺のようだ。
あの窓の向こうは、僕の住む世界とは違う異世界。言葉も金銭も品物も全く違う、美味しい物がたくさんある世界。
もしかしたら、彼の作り話かも知れない。手紙のやり取りの中で、警備兵の僕から城壁周りの警備体制やら近辺の情報収集するために、親しくしようと誘いかけているのかもしれない。異世界という、変わった話題で誘って僕を……。
と、そこまで考えて、なんだか馬鹿げた思考だなと呆れた。
だって、彼が本当に異国の間諜だと言うなら、屋台を隠すほどの術を駆使できる魔法使いってことになる。そんな彼が、暇な門兵に料理を売ったり手紙で交流したりして情報を収集するなんて、そんな面倒な手を使うとは思えない。
それに、僕からの返事に警備や王城に関して詳細を書いたりしなければいいだけだ。
まぁ、疑いを全て捨てずに少しだけ頭の隅に置いて、後は彼のベントーと手紙を楽しもうと開き直った。
そして始まった手紙と、僅かな時間だけの交流。
トールと窓越しの付き合いは、僕にたくさんの刺激をもたらした。
窓を通すと変化するってことを実証するために、僕らは少ない時間を使って色々と試した。位置的に見えなかったトールの手元を、彼は率先して僕に見せてから窓を通して見せたりした。
本当に変化した! トールの術かもしれない疑いは捨て切れなかったが、見たことない硬貨が角銅貨に変わる瞬間や、これまた見たことない質感の容器やフォークが、僕の知っている屋台で通常使われている木箱や二又フォークに変化したり……なんと言っても、トールの国の文字や精密な色と線で描かれた絵が、紙の質や色もだが文字まで瞬間に変化したのを目にした時は、驚きなんて可愛いものじゃなかった。
それを手紙に書いたら、トールも同じく奇妙で気味が悪くて怖かったと返事が来て大笑いした。
そんな風に僕らは互いの日常や家族のことを手紙で話し、飯を食って仕事をして、休日には家事や用事に振り回されて、彼女ができない侘しさに凹んだりと、世界は違っても同じような生活を過ごしているんだと知って安心した。そんな中でも違う部分が見つかると、それは互いに興味深い話題になって、教え合うのがとても楽しかった。
異世界の友人、と口に出してみて、なんだか妙に気恥ずかしく居たたまれない。いい年した男が、何を…と自分で自分に呆れてみたが、寝台の上で恥ずかしさに悶えて丸くなってる自分がいる。
――――別の場所でも屋台を営業してるんだが、そこで興味本位で窓を開けてみたら、レイの世界とは違う世界へ繋がったよ。それも、俺たちみたいな人間に獣の耳と尻尾が付いてる人種が住む世界だった――――
その日貰った手紙の書き出しは、そんな内容だった。
「はぁ!?」と、一人の部屋で叫んでしまった。
僕らみたいな人間の体に、獣の耳や尻尾がついてる民族??なんだ、そりゃ!?
トール…仕事のし過ぎで幻覚でも見たのか?じゃなかったら、暇な時間に思わず寝ちゃって夢でも?
あまり無理するなよ?と返事を返したが、次の手紙には「俺も自分の目が信じられなくて、もう一度確認した。やっぱりいたよ!どうしよう!耳や尻尾だけじゃなく、背中に鳥や虫の羽を付けた人種までいたよ!」と…。
働き過ぎで頭が…なんて失礼なことまで思ったが、僕と出会った謎の窓だ。
もしかしたらってこともある。
だから、当分は様子見だけにしろ、と書いた。だってさ、獣の耳や尻尾やら鳥や虫の羽付きだぞ?僕はトールと同じ種類の人間だから意思疎通できたのかもしれないが、もしかしたら彼らは獣に近い性質かも知れない。
理性が無い生き物とまでは言わないが、どちらの生き物に近い質か分からないうちは、下手に接触しない方がお互いのためだろう。
辺境警備なんてやってたら人より魔物や獣と戦うことの方が多く、奴らは自分の仲間以外の生き物には容赦がない。行き合ってしまったら、どちらかが倒れるまで戦うことになるのは必然で、そこに理性や情なんてものは介在しない。
その経験から、僕はトールに注意勧告した。
でも、トールって人が良いからなぁ。お人好しってのか、平和ボケってのか、人一倍好奇心旺盛でどこか抜けてて、ちょっと心配だった。
おかしなことにならなけりゃいいが……。