俺の時間は俺のためにある
コピー用紙を四等分した紙に、俺の予定を書き込んだ。お盆の連休が今週末から開始となる。それまで頑張って稼がないと、暑いのに寒い月末〆になってしまう。
連休中は、ビル街は勤め人が一斉に休暇に入るので、午後の住宅街だけの営業になる。今月の稼ぎは忍の一字だ。
そのため、連休まではちゃんと体を休めて仕事に徹し、連休に入ったらお会いしましょうっつー内容をつらつら書き連ねて、それを向こうの壁や幹に貼り付けておいた。
中井たちにも事情をメールしておき、次の集結は日曜の夜と決めた。盆休みは、俺よりも中井たちの方がかき入れ時になるんだが、家族や従業員さんがいる店と一人営業の俺とは時間的余裕が違うからな。
何度かのメールのやり取り中に、もしかしたらキッチンカーだけ貸してくれって要望して来るかと覚悟していたが、流石に付き合いがそれなりに長いだけあって、俺の性格を把握して遠慮してくれたようだった。
そんな所は真面目に律儀な二人だ。
数日ぶりのビル街営業で、常連さんたちに心配されて感謝とお詫びを笑顔で返した。
「こんなに暑いのに、扇風機だけの店舗内で料理してるんだもんね~」と同情され、「でも来てくれないとお昼が楽しくないっ!」と嬉しい苦情を明るい笑顔で差し出してくれるありがたさ。涙目になりそう…。
だから、今日はお礼と謝罪を込めたサービス品も心太かレモンゼリーかの二択で、小さいカップだけど喜んでもらえた。
面白いのが、男性がレモンゼリーで女性が心太を所望するお客さんが多かった事。サラリーマンのお兄さんたちは、頭の疲れとビタミンを意識して、OLさんたちはお弁当の後に酢でさっぱりとした口当たりのってことらしい。
「心太なんて、久しぶりに食べるわ~」
「黒蜜と酢醤油をお選びくださーい」
「酢醤油で」
ほら、やはり酢醤油だ。地域差もあるんだろうが、 甘味としてより口直しの清涼デザートと位置づけしているらしい。本当に料理は面白いよな。
ところで、客商売をやったことがある人で、大体の従業員が経験しているだろうヒヤッとしたアクシデントが、いくつかある。サービス業食品部門のあるあるだ。
その一つが、恐怖!お客様からのクレーム。
食い物を扱っている店へのクレームとしては、食中毒の疑い。異臭・異物混入。買って帰ったら注文と違った。ここまでは、保健所や病院の診断書、異臭異物の入った商品や注文メモがあれば、すぐにお詫びだ。保健所が入ったなんて状況は営業停止の上に再度の消毒清掃を入れて、保健所職員の点検が来る。他はもう平身低頭で代替品とお詫びの品を渡して謝罪につぐ謝罪だ。
で、これ以外にもクレーマーはいる。
強請り集り紛いの難癖をつけて、ただで商品とお詫びの品(現金の場合あり)をせしめようとする輩だ。ことに、夏の連休や夏休みに突入すると沸く!!
「あんさー、ここ人んちの土地なの分かって店やってんの?」
そして、屋台や移動販売車に集って来る害虫が、このタイプ。
「知ってますよ?つか、許可を貰って契約までしてますから」
「へ~?会社の駐車場を?まっさかここに勤めてる社員にって訳じゃないよね~ぇ?」
閉店の準備を始めた途端、どこかに隠れて待機していたのか客が引けたのを見計らった様に社屋の陰からずらずらと、高校生か大学生か…年の近い俺でも「だらしねぇ恰好…」と眉を顰めてしまう様なファッションのチンピラみたいな野郎が五人ほど現れた。
俺は全く作業の手を止めることなく、振り返りもせずにいつも通りに撤収作業を続けた。
その後ろを、いちいちついて回るのに内心で笑いながら、平坦な声で応えた。
「この土地の持ち主であるオーナーさんとの契約です。なんなら電話で確認しますか?」
営業用の傷だらけのガラケーをエプロンのポケットから出し、短縮キーを押して耳にあてた。
「ちょっ!まっ!」
「え?あー透瀬です。今、ビル前で営業してい―――あれ?」
俺が無表情で電話越しに相手と話し出したら、いきなり野郎どもは逃げて行った。それを目で追うと、一人だけ向かいの社屋の中へと走り込んで行った。
なので、時報サービスを切ってガラケーをしまい、片づけを最後まで終えてキッチンカーを施錠し、向かいのビルの受付へと向かった。
あれは、この会社の社長かオーナーの関係者だなと見当をつけて、涼しく綺麗なロビーへと入り、受付のお姉さんに声をかけた。
受付嬢とはすでに顔馴染みで、俺がここで営業を始める時に挨拶に伺ったのだ。
「お世話になってまーす」
「いらっしゃいませ。こちらこそお世話になっております。ご用件をお伺いいたします」
「今、ここを通って入って行った大学生くらいのヤツ、ここの関係者ですか?」
俺が営業スマイルで、でも声は少しだけ低くして尋ねたことで、ニコニコしていた受付嬢の顔が強張った。
「あの~…なにか、失礼を?」
「移動式屋台をやってると、よくある話ですよ。…主にチンピラがやる様なことですが」
「え?」
そこで、彼女の顔色があからさまに変わり、すぐに手元の内線の受話器を掴んだ。
「で?どうなったんだ?」
「雇われ社長の息子さんだってさ。長期連休中(夏休みと言っても分からなかった)に家に帰りもせずに、あちこちフラフラしてたらしくてさ」
俺の愚痴を窓を挟んで聞いていたレイモンドが、くくっと含み笑った。
俺は俺で、病み上がりの初日で疲れ切って―――結局は決断した予定を覆して愚痴をこぼしに参上してしまった。
あの野郎は雇われ社長のご子息で、自分の親父が『雇われている役付き社員の一人』でしかないことを理解せず、『オヤジは社長イコールここは親父のカイシャ』なんて寝言を友人たちにほざいて、俺に難癖を付けて来たのが内実だった。
大学生になった途端に遊び惚けて、バイト一つせずに小遣いの無心をしたところが両親と喧嘩になり、家を飛び出して友人宅を回遊して過ごしてたらしい。が、やはり金が尽きて…お小遣い稼ぎに俺に絡んで来た。つまり、難癖付けて恐喝しようと計画したってこと。
馬鹿息子は親父さんに恥をかかせてもなお自分の罪を認めず、小遣いをくれない親が悪いの一点張りで謝罪すら口にしない始末で、結局は最後まで親父さんだけが俺に頭を下げまくっていた。
オーナーへの苦情は上げないって話しになったが、次に来た時は即警察へ通報の言質は取った。
「…どこの馬鹿息子にも苦労させられるものだな…」
「なに?そっちも何かあったのか?」
「白パンはともかく、エリック兄が黒パンでコロッケを試作して売り出してみたんだが、色は悪いが思いのほか好評でな。売れ行き好調だったんだが……一部の貴族の馬鹿子息が作り方を盗もうと躍起になって絡んで来ててな」
「うわー!そりゃ大変だぁ」
あんな物、食えば大体が分かりそうなもんだが。素人さんは無理だろうが、それなりの料理人なら思いつくだろう?
「コロッケでこれなら、白パンができたらと思うとな…」
「ああ、そっちの方が怖いな…」
こっちの世界でも、昔の欧州では「白パン」は貴族のパンだってことになっていて、庶民の口には入らなかったと聞いたことがある。ハイジだって、お屋敷に行って初めて白パンを食ったんだもんなー。
でも昔の欧州で白パンが食えたんだ。レイモンドの世界だって、同じ過程を辿っているのかもしれない。現世界の白いパンほど旨くないかもしれないが、白くて柔らかいパンが完成するといいよなぁ。
しっかし、何処の世界にも馬鹿息子はいるもんだな!
誤字訂正 3/29




