近くて遠い「美味しい」
ケモ耳フィヴちゃん、一歩リードか!?
良いか悪いかで判断すれば、悪くない。初心者にありがちな生焼けは無いし、材料も上手く混ざっている。干し果実をチョイスして上手く焼けている所なんて感心した。
しかし、イケてない。形じゃなく、味が。
「ん~~…バターが手に入らなくて、ナッツ系の種油を使ったかな?ミルクは、風味に覚えが無いから異世界動物かな?甘味を抑えて干し果実で出してるから優しい味だねぇ…」
ぽりぽりこりこりと噛んで味わい、舌触りを目を閉じて確かめ―――そこにはパティシエールの顔をした野々宮さんがいた。
「悪くないが、ぼやけている…」
中井の感想も、おなじく「悪くない、が…」だ。
歪な形は手作業だから当然だが、大きさが不揃い過ぎて固さがまちまちになっているし、香ばしさは出ても、焦げ臭さは大敵だ。程よく焼けた物にまで臭いが移る。甘味を控えめにしたため、焦げまでは時間がかかって難を逃れただろうが、ムラは避けないとな。
くるりと振り返って窓から身を乗り出すと、神妙な態度と不安げな表情のフィヴがいた。
「全員一致で、悪くないって感想だ。すげーよ。初めて作ってここまでフィヴならではのクッキーを作ったってのは!」
「ほ…本当に!?食べられた?大丈夫だった!?」
「食べられたし味わいもあった。ただし、「美味い!」にはまだ遠いのは自覚してるよな?」
「うんっ。それは当然でしょう!今の私は、ただのお菓子作りを始めたばかりの女の子だもん…」
思っていたほどの酷評じゃなかったことに安堵し、でも「美味しい!」にはまだ遠いことに肩が落ちた。
「バターは見つからなかったか?それと、砂糖は?」
「あ…バターは有翼種の地域で売られているんだけれど、まだ国の混乱が収束してないから、もう少し先になりそう。それと、お砂糖はこの国で作られているの。でも…」
「国がまだ安定していない、かぁ?」
「ええ。だから手に入る物だけで頑張ってみましたっ!」
「偉い!」
腕を伸ばしてフィヴの頭を撫でまくってやる。努力と学習の成果をきっちり出した、彼女の凄さに完敗だ。
そこから細かい指摘とアドバイスを伝え、フィヴの世界の事情も聞かせてもらった。
彼女の世界には、『バター』という名称の物は無く、別の名称で呼ばれているミルクの加工品があるんだそうだ。ただ、フィヴは俺ん家でバターを口にしたことがあるだけに、同じような物はないかと探したら存在していたってことらしい。そしてミルクだ。これも、野々宮さんが気づいたように、牛なんて生き物はいないから、乳を搾る家畜に目を付けた。この乳が、バターに似た加工品を作るための材料にされているってことで、これなら使えるだろうと判断したと言う。
凄い熱意だ。
俺は、フィヴのその熱意に感嘆し、そしてしっかりと反省した。
実際に、俺はフィヴをたいして評価していなかった。幼児の「将来はお菓子屋さん」並みの気持ちだろうと、端から思い込んでいた。
でも、虚仮の一念岩をも通すって諺があってだな、どんなに無知な素人でも努力と根性、そして挑戦し続ける熱意が成功への一歩になるってことだ。
人の夢や目標を、頭から否定ちゃだめだな。俺だって、件の彼女に言われた一言が、すげー腹立たしかったもんな。
誰かの手がバシバシと背中を叩いている。この遠慮の無さ加減は野々宮さんだろーなーと頭だけ向けると、メモ用紙と竹籠に入った人形を模ったクッキーがにゅっと差し出された。
それを手に、フィヴへと差し出した。顔の前を通すと、仄かにスパイシーな香りが。
「職人さんが、これを味わってみろってさ。全く違う味のクッキーだ」
「…違うの?…なんだか、香辛料の香り…」
恐る恐る受け取った小さな竹籠の中を見て、あまりの可愛い形に破顔し、そして口へ持っていって―――ぶはっ!
「ん~~~っ!!」
久しぶりに見た、美味しい物を食べると地団太を踏んでしまう女の子の姿。なんだろーねぇ、あれ。
フィヴは美人顔をくしゃくしゃにして、満面に美味しいって書いてある表情で足踏みしていた。
「辛いのに美味しいっ。なにこれ!?」
「ジンジャークッキーと言ってな、甘味を少しにして花の蜜や生姜の粉を練り込んだクッキーだ。全部が甘いわけじゃないんだぞ? これならバターよりも種子油が合うらしい」
すでに真剣な顔でメモに視線を走らせ、頭の中でフィヴの世界用にレシピを思案している様子だ。
「次、これを作ってくるわ。職人の人に伝えておいて? 私、絶対に諦めないからって!」
「おう!伝えとく!」
「えーと…チョリお姉さん?に「ありがとう」と…」
お?なんで赤面して照れながら言ってるんだ?
あんなに大胆にレイモンドや俺と抱擁を交わしてた時ですら、そんなに可愛らしい照れなんて見せなかったくせに~。まぁ、あの時は別れがたさが先に立って、涙が出ちまったんだけどな。
モジモジしながら小声で呟いたフィヴに頷いて、「頑張れよ」と激励しておいた。
木漏れ日の中をふわふわとしたスカートの裾を舞い上げながら、フィヴは手を振りながら走り去った。
「おーおー、後も振り返らずに帰っていったぞー」
お兄さんは、少し寂しい。
「ねぇー、美人ちゃんは?」
「やっぱり見えなかったなぁ…」
職人カップルの好き勝手な言い草に振り返り、後ろ手に窓を閉めながら指でOKマークを示した。
それを見た中井が、いそいそとレイモンドの世界に繋がる窓へと寄っていき、そろりと開けていた。
「チョリお姉さん、ありがとう。だってさ。次はジンジャークッキーに挑戦してくる。絶対に諦めないってさ」
「うふふ~っ。かーわーいーいー!!会いたいよぅ!!」
こちらも少しだけ照れながら、狭い店内でくるくる回っていた。
なんだろう…女の子の可愛さの源って、生命力の強さに裏打ちされた自信の現れなんだろうか?きらきら輝いて見えるのは、彼女たちが発している力だな。
だから――フラれたあの時、腹立たしさ以外は何の感慨も覚えなかったんだ。あの時の彼女は、口では将来のことを話しながら、実は自分の感情を満足させてくれる、そんな力を持った他の男を求めていただけだから。
そして、なんとドラゴン肉の効果は切れていなかった。
ジィ様が言っていた通り、一度窓越しに直接結んだ縁は切れはしなかったらしい。中井がそろそろと開けた窓の向こうにはジョアンさんがいて、なんだかんだと昨夜の続きのパン談義を始めていた。
しみじみとフィヴからの伝言を噛みしめていた野々宮さんは、やっと妄想世界から戻ってくると、彼氏の背中を眺めながら俺に質問をしてきた。
「ねぇ、透瀬。スマホって窓の向こうへは通らないの?」
「無理。代替えの品が存在しない物は、こっちからも窓を通らない。でも、食べ物だけは何故か通るんだよなぁ」
「変なのーっ」
「食い物屋ですから!」
改めて訊かれると、異世界交流に伴うアレコレをきちんと話していなかったことに思い至った。だから、硬貨の話から始めて、現在判明している結果を彼女に話して聞かせた。
「異世界の硬貨の消失と、似非日本硬貨か…」
やっぱりそこに引っかかりを覚えるのは、商売人だからだろうな。
「だから、物々交換を始めました。互いに食って無くなる物なら行方を気にしなくていいからな」
「なるほどね。じゃ、あたし達は向こうに行って帰ってこられるん?」
そこはなぁ…。
「俺は一度、向こうの地に足を着いた。しかーし、キッチンカーに掴まった状態で、すぐに戻った。なら、向こうでそれなりの時間を過ごせるか?と訊かれても答えられない」
「車から離れた場合、もしかしたら戻れない可能性が?」
「絶対に無いとは言えない。試してみたいが、ある意味命がけだ。野々宮さんがやりたいってなら、俺は止めないぞ?」
「しません!」
行きたいか?と、現時点で問われたら、やっぱり行きたいとは思えない。観光旅行みたいな気分でなら…なんて考えてみたが、俺は異世界を信用していない。
魔法と剣があり、人の命がこちらよりも軽い気がする世界へは、全く行きたいと思わない。
「俺にはさ、マンガやアニメの主人公みたいに無敵の力があるわけじゃないからなー」
俺は主人公じゃ、ないんです。非力な料理人ですから。




