緊急事態!
その日は、妙に暖かい日だった。
もう初夏に近いし、そろそろ冷製のデリも作ろうかって思案しながら、いつものように片方の窓だけ営業してたんだけど、車内の換気のために反対の窓を半分開けていた。
全開にすると、気づかないうちに虫が入ってきたりするから閉店業務の間だけと。
「あのー…」
そろそろお昼の客は引けたかなーと、営業窓口を様子見しながら閉店準備をしてたら、反対の窓から爽やかな男の声がした。
「ここは、なんですかー? 薬師さんの店でしょうか?」
「はぁ!?」
聞きなれない単語を耳にして、慌てて持ち上げかけた寸胴を下ろすと振り返った。
半分開いた窓から、若くてカッコいい兄ちゃんが顔を覗かせていた。緑色の目に金髪の頭に甲冑の兜の…。
ええええええええっ!? コスプレ!? でもでも、兄ちゃんの背後には、森が見える!!
そこ、どこ!? ねえ!?
「え…いいえ、ここは…弁当屋で…すが」
商売人の性で、つっかえながらも答えてしまう俺。でも、視線は左右を行ったり来たり。
右の窓は、ちゃんとビル街の大通りだよ。車がいっぱい走ってるよ。でも、左は深そうな森をバックに中世騎士な異人さんが、興味深げに緑の眼をキラキラさせながら窓から顔を覗かせている。本当なら、そこはビルの茶色い壁面のハズなのに。
俺、営業中に居眠りしてて夢でも見てるのか!?
「ベントウヤ…? 薬師の店ではないのですか?」
「違うっ、違います。弁当と言って、箱に入った料理のセットを売ってます。ランチボックス!」
危なくなさそうなんで、そろそろと近づいて窓をもう少し開けてみた。兄ちゃんが首を傾げながら、少しだけ後ずさる。
そーだよな、変だよな。お互い頭の中が「???」だよな。うん、とってもよく分かる。
「ランチボ…? 旅の携帯食料…ですか?」
「いえいえ、保存食じゃなく、お持ち帰りの屋台食です」
なんだろー…弁当って日本特有かもしれないけど、ランチボックスなら英語圏では日常だと思うんだけど。それに、旅って…駅弁ならわかるけど街中の屋台で売ってるのに駅弁って思う人はいないよ?
と、それ以前にだ! なんで窓の外が異国なのかが問題なんだが!
「持ち帰りの屋台飯…」
ゴクッと、兄ちゃんの喉が鳴った。あ、微妙に怪しいと疑ってるけど、車内から漏れ出る残り香が胃を刺激したな? ははは…は。
ほんと、そこ、どこだよ!? 誰か、俺にこのイリュージョンの種明かしをしてくれよ!!
俺の脳内が大混乱中なんだが、今度は兄ちゃんの腹がのんきな音を響かせた。
「試しにちょっと、味見してみますか?」
「え? いいのですか?」
「はい。残り物ですが、お口に合ったら買いに来てください」
もう、どう考えてもおかしな状況だけど、危ない人じゃなさそうなんでお試ししてみる。食える物を売っていることを証明しないと、この兄ちゃんはいつまでも帰らないだろうし、食ってもらえば絶対に理解してもらえる自信があった。
壊れて使えなかったプラ容器に、唐揚げ2つと余ったご飯で作った小さい握り飯1個を入れて、そっと彼に差し出してみた。
兄ちゃんが恐る恐る受け取るのを息を飲んで見守りながら、途中であれ?と目を疑う。
だって、俺が窓から差し出したプラ容器が、なんでか竹皮モドキに変化してるんだぞ!! 俺が魔法使いだったのか!?
容器が兄ちゃんに渡ったと同時に素早く手を引っ込めて、自分の手に異常がないかビクビクしながら確かめてみる。
……大丈夫だった。ふーっ。
兄ちゃんをみると、包みをそっと開いて摘まみあげた唐揚げをじっくり観察して、匂いに我慢できず腹を括ったって顔でこわごわと口の中へ投入した。
パァーッと花が開いたように広がる美味しい笑顔。それから、今度は勢い込んで握り飯にかぶりついた。
具は、これまた壊れたサケの切り身をほぐして混ぜて握った、形良い三角おにぎりだ。異人さんに米はOKなのかと、渡してからふと不安に思ったが、兄ちゃんはあっという間に完食した。そして、満面の笑顔。
「あの! 凄く美味しかったです! まだ、ありますか? 今度は買います」
どうどう、オチツケ! 息せき切って窓にかじりつく兄ちゃんにちょっと引き。餌付け乙! 俺!
律儀に空いた容器(竹皮)を返されて、受け取ってびっくり。プラ容器に戻ってるよ。容器を掴んだ手が、冷汗でじっとり。
「もう閉店なんですよ。明日のもう少し早い時間に営業してますんで…」
「はい、明日ですね。分かりました。また来ます。あ、おいくらぐらいでしょうか…あんなに旨くって、高いんでしょうね…」
「1パック500円ですよ」
「500円って…異国の通貨でしょうか…?」
異国? まぁ、異国だけどさ。そっちが異国じゃ…?
「これです」
500円玉を掌に乗せて、そっと窓の先へと出してみる。
うわーーーーー!! 銀色の硬貨1枚が、なぜか茶色の四角い硬貨になってるよっ!
「ああ、500ニルですか。それなら大丈夫です。また明日来ますね」
「ああ、はい! お待ちしてま―――あ! あのー」
「はい?」
にこにこ笑顔で去りかけた兄ちゃんを、慌てて引き止めた。
引っ込めた手には、ちゃんと500円玉。ニルってなに? 通貨だよね? 聞いたことないけど。
これだけは訊いておかないと。
「そこ、どこですか?」
兄ちゃんは、あんぐりと口を開けて絶句していた。