夢うつつ
俺はどこかの空中をふわふわと漂っていた。まったく重力は感じず、幽霊にでもなったみたいだ。
眼下には緑濃い森が広がり、ぽつぽつと集落が点在している。ここはどこだ? と当たりをつけようと覚えのあるポイントを探すが、そんなもんどこにも見当たらない。
見えるのに風も陽光の暖かさもまったく感じないし、ここがどこなのかも知らなければ、漂う速さも方向も変えられない。
何者かの意思(風じゃないのは確か)によって、シャボン玉みたいにただ流されているって感じか。
やがて森が切れ切れになり、広大な農地の中に太い道が何本か現れ、その先に大きな町が見えてきた。町――というか、小都市って規模だ。
外周が高い石壁で囲まれ、中央よりすこしだけ北側に寄った地点にやっぱり石造りの宮殿と半欠けの三本の塔、そして復旧工事中らしい王城がどーん! と。
そこから扇状に城下が広がり、裾野は庶民街らしく人通りでにぎやかだ。
『あっ!』
小都市の上空に差し掛かると、急に視界が回転した。くらりと眩暈がして、次の瞬間には移動してた。
地面から三・四メートル上に浮かび、小都市の大通りを行き交う人々の流れを見下ろしている。
通りの左右には商店が並び、どこも活気にあふれて喧しいくらいだ。呼び込みや商談をする人たちや、店主は見えなくても客が引っ切りなしに出入りしている店。店先に雪崩そうな商品の山が連なり、万引き小僧を怒鳴る店主。
すげー熱気だなーと感心しながら眺めていると、一際繁盛している店――屋台の上に差し掛かった。
『あれ……コロッケ? ああ、フライの店か』
斜め上からの視点であちこちを見渡すと、ぽつぽつと建築中の建設現場が目に入る。その隙間に、これまたぽつぽつと人だかりの屋台がある。
じっと見つめていると、不意に身体が引っ張られて客の頭の上から覗き込めた。
屋台の親父が黙々と油を満たした鍋に向かい、じゅわじゅわと音と湯気を立ててパン粉を塗したいろんな食材を揚げている。その横で奥さんらしい女性が赤いソースをかけて笑顔で差し出してる。
コロッケはともかく、他は串カツだった。串を受け取った客は、一口頬張って笑顔。美味いって顔に書いてある。
『ああ、俺が教えた……』
コロッケが串カツになり、さまざまなフライにアレンジされてる。
そして、それらは庶民の味だ。
嬉しい。俺が伝えた調理法が、異世界に広がっていく。凝った料理じゃないから、発想力豊かな料理人が色々とプラスして、もっと様々なバリエーションに変化していくんだろう。
これから何年、何十年とかけて、進化しながら異世界の隅々まで行き渡ればいい。
ポッと胸の辺りがあったかくなって、思わず手で押さえてみたが腕を動かした感覚はなかった。
やっぱり霊体なのか? それとも夢でも見てるのか?
でも、目の前の光景が俺の想像でも夢であっても、嬉しいことは変わりなかった。
「ようやくですね!」
「いや、まだまだ足りないよ」
「え? もっと必要なんですか……?」
「うん。何種類もの香辛料や調味料が合わさって、深くコクのある味が出来上がるんだ」
「あー、大変そうですね……」
「あははっ。そうそう奥深いからね。カレーは」
「羨ましいです……」
「これは! と思えるモノができあがったら、真っ先に味見させてやろう」
耳が声を拾う。
カレー? あ? この声は――レイモンド!!
吸い寄せられるように声のした方を見れば、そこはまた別の光景。
『ありゃ? ここは――?』
小都市の大通りだったはずが、今は辺り一面に樹が生えている。
森っつーほど密集はしてなくて、林っつーほど薄くない。
『あれは……』
また何かに引き寄せられ、進む先に目を凝らす。やがて木々の間から小さな建物が見えてきて、一方からの記憶しかないけど間違いない。
フィヴの店だ。
遠目で見てもログハウスのようだと思った店舗は、やっぱり丸太を組み合わせて造った可愛らしい建物だった。
ぐるっと店舗の周りを巡り、遠くからしか眺められなかった異世界のお菓子屋を堪能する。鎧戸が開け放たれた窓から覗き込むとそこは厨房らしく、マギーと見覚えのないふたりの娘さんが作業に熱中していた。
ちろちろと焼き窯から炎が見え、きっと辺り一面にいい匂いが漂ってることだろう。
見えるだけ。聞こえるだけ。飛べるだけ。声も出せず鼻も利かず、体の感触もない俺。それなら! と店内に忍び込もうとしたが、窓から入れず。
なーんとなく、俺のキッチンカーの窓みたいな反応に似ていた。
「アウラ! 焦がさないように小火で手早くかき混ぜるんだよ!」
「姐さん……。そんなに大声出さなくたって聞こえるって……」
せっかくのカワイイ制服の袖を捲り上げたマギー姐さんが、腕力にものを言わせてクリームらしき白いふわふわを泡立てている。それも、俺の肩幅はあろうって直径の木のボウルで。
『俺には無理……』
またそっと店の入り口まで移動して、今度こそはと意気込んで入ろうと試みたが、ご来店拒否されちった。
「なにか、妙なモノの気配がするわ!」
「フィヴ様、また王子ですか?」
「違う! もっと――優しい――」
どこにいたのか、フィヴが売り場に繋がるドアを勢いよく開いて飛び出してきた。
なんとも物騒な台詞と共にだがな。
こんにちは。妙なモノです。
でも、フィヴの視線は俺を見つけることはなかった。