その日は突然に
その『時』は、不意に来た。
きっとジィさんの力が底をついて窓を開けても異世界と繋がらなくなるとか、キッチンカーのどこかが故障して修理したけどそのせいでジィさんの力が消失しちまったとか。そんな見当をつけてたんだが。
「あっ」と声を上げてブレーキペダルを踏み込んだ時には、最悪の結果が待っていた。対向車がグラッと横揺れしたなと思ったら、俺のほうに向かってきたのだ。
俺が走ってる車線側から何かが飛び出してきたらしい。それに対して反射的にハンドルを切った運転手。
ガードレールにぶつかりそうになり、慌ててハンドルを戻したが、切り替えしを誤ったためにこっちに車の鼻先を向けちまったらしい。長距離トラックの後ろにいたうちのキッチンカーに気づかず、そのままドーン! と。
減速してただろうから、それほどでもないと思っていた衝撃はことのほかデカくて、相手が四tトラックだったのが災いした。
斜め前方から衝突されたキッチンカーは運転席を凹ませて押され、弾かれるように横倒しになった。
シートベルトをしていた俺だが、エアバッグに殴られてぶれた頭が仕切り用のポールにぶつかって――そのままブラックアウト。
真っ暗な闇の中に、ぽーんと放り出された。
意識を失くしたなずなのに、暗闇の中に突っ立っている自分。
黒く塗りつぶされた空間は、どこを見回しても何も見えなくて。
お花畑や三途の川って、どこだよ!
――すまんのぉ……。耐えられると思っておったんじゃが。
ジィ様の声がする。でも辺りに重く響くだけでわからない。
――じゃが、お前さんの命だけは護ったからのぉ。
残念だけど……ジィさん、もういいよ。
ありがと。
それと、長い間ご苦労様でした。
いつか、また会えたら……。
ところで、俺はどーなってんだろー?
命は助かったって……。
中井ぃー? 野々宮さーん。
レイモンド―。フィーヴ! おーい!
た、たちかわぁ……。
会いてぇ。これで終わりなんてこたぁ、ないよなー?
でも暗い。真っ暗だ。
上も下も。右も左もわからねぇ。
おーい。おーーーいっ!
おー……い……。
――最後……じゃ…。いつ……か……な。
◇◆◇
どれくらい闇の中にいたのか。
最初は意識みたいなものはあったようだが、最後は闇にのまれたのか意識自体が休眠したのか。
ゆらゆらと揺れる水面を深い海底から見上げているみたいな――幻覚かもしれないが。光の乱反射をぼんやりと眺めている内に、のろのろと水面に向かって上昇を始めた。
それが意識なのか魂なのかまでは認識してなかったが、鈍い思考と動きにまかせた。
脆弱だな、と波に揺さぶられる自身を知覚した瞬間、唐突に息苦しさを感じた。
水中で呼吸ができないことを思い出したように、窒息による死を身近に感じて慌てた。
気持ち的にはあわあわと焦りながら水面を目指して必死に水を掻き、揺れる光の元を目指す。死んでるみたいなもんなのに、なぜか「死ぬ――!」と足掻いた。
「うぐっ――」
「あ……目、目が覚めた! 了! わかる!?」
「先生を呼んできます!」
バタバタと周囲が騒がしい。
誰かの声が俺にかけられるけど、それに応えるだけの気力は湧いてこない。泳ぎ疲れとでもいうか、とにかく息切れと倦怠感で瞼をそろそろと上げるので精一杯だった。
かと言って、視界はぼんやりと霧がかかったように霞んでいて、薄っすらとした明かりの中を行き来する影くらいしか判別できない。
「――……っか」
ねばつく舌を動かし、貼り付く唇を開けてみる。
でも、出てきた声は掠れた息だけだ。
「了! とーるちゃん! あ、待って、待って! 口の中が乾いてるから無理するとだめ!」
鈍い思考が漸く回りだして、相手が誰で何を言っているのか理解できるようになってきたが、それでも気を抜くと瞼ががくりと閉じて夢の世界へ引き込まれそうになる。
「まだ寝ないで! ほらお水。すぐに飲まないで、口を湿らす――先生! 息子が目を!」
ああ、やっぱりオカンだ。
変に甲高い声で喋ってるから、別人かとちょい悩んでしまった。
少しだけ含まされた水を口内で転がし、喉の奥に流し込む。
「了君、目を開けられますか?」
深くどっしりと落ち着いた声の男が、俺の手首を軽く掴んで問いかけてきた。
ああ、お医者だ。と、そこでやっと生きてるんだって実感できた。
それからは、色々と調べられて質問され、寝そうになるたびに起こされて、チューブや線を外されたり新たに付けられたりした。
うとうとしながらもわかった現状は、事故から一ヶ月が経っているってこと。
右足の骨折と折れたあばら骨が肺に刺さって重傷だったが、側頭部の強打が原因で意識不明に陥ったらしい。
「事故のこと、覚えてる?」
「あー……衝突されて転がったまでなら」
「キッチンカーだっけ? あれ、廃車にするかどうか話し合いたいから、了が目覚めたら連絡してって」
車の処理や保険に関する話。
脚はギブス、胴はコルセット、ベッドの上から動けずにいる俺は、つい数日前に目覚めたばかり。
嘆きや悔しさを感情として表すこともできやしない鈍った頭に活を入れるだけ。
こんな惨憺たる現実が待ち構えてるなんて、な。
事故の内実。
キッチンカーにぶつかってきたトラックは、小動物を避けた対向車を回避するためにハンドルを切ったんだそーだ。
猫だか犬だか知らんが、そいつらの命の代わりに俺は死にかけたんだなー。(遠い目)
ま、小動物が助かったのは喜ばしいけど、ジィさんがいなかったらと思うとちょい恨みがましく思うのは許してくれ。
「……俺の城、直せるんかなー……」