心残りは少しでも…
デカい問題は起こってない。レイモンドもフィヴも、目指す先を見つけた。
身内を巻き込んで大騒ぎしたり改革したりと忙しい時期は過ぎて、今度は自分がやりたいことをじっくりやってみる時期に入ったらしい。
二人を足掛かりに、その世界の歴史や進歩を邪魔しない程度に知識を渡した。味や食感、風味や舌ざわりなど、その時の状況や気持ちなんかと一緒に記憶に残る。それが快感として覚えちまっては、そーそー忘れることなんかできねぇってもんだ。
おふくろや親父の味だったり、故郷の味だったり。日常の生活ではあまり思い出さなくても、何かのきっかけで蘇る舌の記憶。
同じ名前の料理なのに、同じカテゴリの調味料なのに、口に入れた瞬間「これじゃない」とがっくりくることってないか?
育った土地や慣れた味は、人を安心させて心穏やかにしてくれる。
そんな記憶の中に、新たな快感を提供してくれた料理。そんなもんに俺の料理もなれりゃあ、それだけで十分満足。
――そー言えば、こんな味だったなぁ……。なんて。
「結局は国軍に戻ったんか……」
俺の前にはレイモンドが座り、大根もどきを使って塩と柑橘を使った漬物の試作、俺が差し入れたじゃがいもとほうれん草のキッシュを食っている。
大根もどきの漬物は、『漬物』っつーよりドイツのザワークラウトみたいな感じの酸味があって、柑橘の果汁のせいかサラダに近い。
「王宮入りしたが、武官ではなく文官に属する部署だ」
「はぁ!? レイが文官……って、事務仕事だよな?」
「机に向かってする仕事じゃないぞ。私が配属されたのは、農産部だ」
「ええ!?」
上品にナイフとフォークを使ってキッシュを食べるレイモンドを見ながらニヤニヤしていた俺は、思いもよらない再就職先に驚いて身を乗り出した。
すまし顔でいたレイモンドが今度はニヤリ。
「兄上がこっそり持ち込んだ『漬物』を口にした陛下がな、色々な食材を使って種類を増やせと……。それに私が指名された」
「王様に何を食わせたんだよ~」
「トールの言う『蕪』に似たワーレンという根菜を薄切りにして、赤色香辛料と塩で漬けたものだ」
わーっ。鷹の爪入りの浅漬けか。そこに切り昆布や柚子皮がはいりゃ完璧なんだが。きっとグルタミン、イノシン、グアニル酸なんかの旨味成分はあるはずなんだが。
「ん~~。海藻やきのこを干して、それを細切りにして少し入れるとグッと旨味が増すぞ」
「良いことを聞いた。ありがたい」
しかし、魚や肉の塩漬けなんつー原始的な調理方法があるのに、野菜の漬物に発展していなかったってのは不思議だ。青物を遠方に運ぶ際に、腐敗を防ぐために塩漬けにしたとかって聞く話なんだがなぁ。
レイモンドの住む国は、一年を通して寒暖差があんまりないのか? そーだったら、同じ野菜を国全体で栽培できる。
「調理場で総指揮を執る役とか?」
「違う。城内の仕事ではなく、むしろ新たな食材を求めて遠方に出向く仕事だ。他国からの輸入になれば、私の他に外務役人が同行するが」
「……大変そう、だな」
「だが、やりがいもある。香辛料を探す手段にもなるから、両得だな。……トールには感謝しているんだ。二ホンに避難させてくれて、様々な料理を堪能させてくれて……」
カチカチと懐かしい音が、レイモンドの手元から聞こえる。薄茶の紙の上の走り書きと、神様からの褒美だっつー奇跡のペン。
癖になったノックの音を聞きながら、俺は笑った。
「レイの食いしん坊の才が花開いたんじゃねぇか?」
「それは……否定できないな」
実直で頭の柔らかなレイモンドだからこそ、俺が差し出した未知の物を受け入れられたんだ。
米がない世界で、初めて握り飯を口にした異世界人。
今だな。
「レイーー近い内に、もう会えなくなりそうだ」
「!」
ペンを弄る手が止まる。その手だけを見下ろしながら、俺は先を続けた。
「キッチンカーが燃料切れしそうな気配がある」
車を動かす燃料を指しての話じゃないことは、察しのいいレイモンドだからわかるはず。
「……補給させるのは、無理なのか?」
「うん。元の持ち主だから付喪神になれたらしい。俺じゃ使うだけで溜めることは……」
「そう、か……」
「いつになるかはわからないけど、そう遠くない内に……」
「月の光があればと言っていたから安心していたが、そう簡単な事ではなかったんだな」
レイモンドの声に驚きと落胆はあれど、思いのほか冷静だ。
俺は深呼吸をすると、レイモンドを見返した。
「色々あったけどさ、思えば楽しかったって思ってるよ。普通に生きてりゃ、絶対に経験するはずない事ばっかりだったしな!」
「別れの挨拶のような物言いはよしてくれ……」
「いつ、何があるかわかんねぇから、とりあえず先にってことで。悪いな」
今度はレイモンドが目を伏せた。優し気なイケメンがくしゃっと顰められ、またカチカチとペンをノックしだす。
「まだ……教えを請いたいことがたくさんあると言うのに……」
「ははっ。これも運命だって」
そう。これも人生の一コマ。流れってもんだ。