え!?
妙な胸騒ぎに急かされながら、家に向かってアクセルを踏んだ。
暗くなった道路はしとしと降りだした雨のせいで黒光りし、対向車のライトがいつになく目に刺さる。土日休みの企業が多いせいか、退社時間帯であっても平日ほどの混みようじゃないけど、やっぱり日が落ちてすぐって時間だけに行き交う車は多い。
法定スピード以下でキッチンカーを走らせ、時おりバックミラーに目をやった。よかった。後ろは軽トラにワゴン車だ。
肩の緊張を解いて、わずかにブレーキペダルを踏み込んで車間を空けた。
◇◆◇
このところ会えずにいたフィヴの顔をようやく見れたせいか、挨拶よりも先に笑ってしまった。
頬を膨らませて怒り心頭のフィヴの横顔。オッドアイを眇めて威嚇している相手は、やっぱりあの第三王子ブロンだ。
俺を見ることができない相手が側にいた場合、黙って成り行きを眺めて楽しむ他ない。下手に声をかけて、フィヴを困らせるのは悪手だし。
と、思ってたのに、だ。
「トールも黙って笑ってないで、何か言いなさいよ!」
「……何かって。でも、王子様は俺が見えないんじゃ?」
「見えなくてもいいの! トールの存在は話してあるから!」
おいおい、そりゃー問題なんじゃないのか? 婚約者候補が妄想語りをするオカシナ女の子だと思われたりしねぇ?
「それ、マズくねぇの?」
「マズくはないわよっ。トールとの交流も大樹の窓も、みーんな私の一部だわ。お菓子やお店と同じように大事なの。それを信じられないって言うなら、迷わず婚約者候補から外してくれてもいいんだからっ」
「ええ!? 聞いてた話と違うんだけど? フィヴが選ぶ立場だから、王子様たちは熱烈アピール中だって」
ギロリと細めた両目が俺に向けられる。
思わず数センチ後退したのは、フィヴの本気の怒りを受け止めたから。
「それ、誰から?」
「いやー、誰だったかなぁ? ん-っと」
「バレッバレな誤魔化しはやめて。どうせマギーからでしょう!」
「まーまー。で、決めたのか?」
両手を前に伸ばしてフィヴをいなし、話題を変える。だって、王子様が俺(大樹の幹)とフィヴを交互に見遣って困惑気味だ。
じっとりとした不審げな視線は、見えてないとわかっている俺に罪悪感を植え付ける。
「まだよ! 証拠を見せろって煩いのよ。その上、あの料理を作ったのはトールだってばらしたから、会える方法がないのかって……」
「うわー……」
「あるわけないじゃないって言ってるのに、しつこいったら!」
菓子店の制服姿のフィヴが、プリプリしながら腰に手を当てて仁王立ちしている。勇ましく美人度が上がって見えるのは、フィヴのオーラがいきいきしてるからか。
「あるぞ。その方法」
「え!?」
「ただな……、確実じゃないかも、だ」
そう。俺の頭に浮かんでいるのは、『かもしれない』って程度の可能性でしかない『濃厚接触』だ。
ここでフィヴにそれを話して聞かせ、試してもらう。なんてことは無理中の無理だ。話した段階で顔をしかめ、提案したらお断りされる以前に怒りだすだろう。
だいたい、キスしたからと言って成功するとは限らない。正解かどーかもわかってないんだしな。
フィヴの眼力の強さに負けて、俺は目を逸らした。
「その態度から察するに、あんまり良い方法じゃないみたいねぇ?」
「……まぁな」
「試すかどうかはともかく、とりあえず教えてくれる?」
「……話すけど、怒らずに最後まで聞けよ?」
「内容によるわね」
強気のフィヴに心理的圧迫をされ、言い出しっぺの癖に重くなった口を開いた。
その間も、王子は無言で立っている。
「あっちの世界でさ――」
俺はレイモンドとの交流の際に起こったあれこれを前置きとしてさらっと語り、謝罪を受けるためにシャーリエ嬢と再会した時の状況をつぶさに話した。
窓を開けた時、すでに俺たちが見えていた様子だったこと。ゆえに、俺たちが持ち込んだ料理が影響したわけじゃないこと。そして、何か変わったことがあったかを当人たちに思い出してもらった結果――。
「どうも、キスらしい」
「キス? キスってお互いの口をつけ合う――?」
あー、なんて生々しい言い方を! と、オニイサンは憤りを感じたりするが、世界も種族も違うんだと思えばしかたない。
はっきりと聞いたことはないけど、恋人や夫婦関係になった場合、キスっつー触れ合いはないらしい。人間の戯れよりもっと獣っぽくて、舐めあったり甘噛みしあったり……まあ、そんな感じらしい。
んで、その過程で口と口がーってことはあるが、それをキスや接吻っつーふうには分けたりしないとか。
「おっ、おう。それな。でも、突き詰めれば、俺が見える側の体液を相手に摂取されりゃいいんじゃないか……と。だから、キスじゃなくても血をちょろっと――おい!」
それは、いきなり行われた。
フィヴは王子に近づくと、何の説明もせずに唐突にヤツの頭に手を伸ばして引き寄せ、その可愛らしいくも色気皆無の唇を呆気にとられている野郎のそれと深く合わせた。
恥じらいも色気もまったく皆無は行為は、王子がフィヴの肩を掴んで引きはがすまで、俺の目前で長々と続けられた。
「おい! なんのつもり――」
「あれ、見える?」
王子の非難を無視してフィヴは俺を指さす。良い子は人を指さしちゃいけないんだぞぅ。
「それがなんだって――!!」
ほっそりした指の先を辿った鋭い視線が、再び大樹の幹に到着し、そして見開かれた。
驚愕。
その表情は『キス』が正解だったと示してくれた。でも、何とも言えない寒々しい雰囲気の漂う中、俺は静かに窓を閉めたのだった。
「……フィヴ、残念兄には黙っておけよ」