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優しく柔らかく

 残業を終えた立川 真波を迎えに行き、パーキングから小走りに鍋物専門店に駆け込んだ。

 新月の夜空には冴え冴えとした光を放つ星だけで、鼻先に軽い痛みを感じる寒さに、熱々の鍋物を求めてしまう。白い呼気の向こうで鼻先を赤くした立川が、店のドアを押して早くと手招いた。

 下戸の俺が足になり、立川は煮立つ鍋の湯気と飲める嬉しさに相好を崩した。


「――移住したいわけじゃないのよ。やっぱ住むなら日本だって思うし、でも文化や宗教の違う外を観にはいきたいの」


 牡蠣と蟹の脚が突っ込まれた海鮮鍋をつつきながら、酎ハイをちびちび啜る立川が話す。

 きっかけは職業の選択についてだったか。前回会った時は、俺がなんで料理人を、そして移動式屋台の店長を選んだかって語りだった。だから、今度は立川の番だ。


「でも、添乗員(ツアコン)じゃねぇんだろ?」

「うん。今はね」


 ツーリスト会社の支社に勤める立川の業務は、客の要望に応えて旅行の予定を組んだり、会社側が提案している旅行パックを勧めることだ。

 詳しく聞けば雑多な準備に忙殺され、客と業者間の調整や思いがけないアクシデントに腰を落ち着ける暇もないほどだそうだ。


「私の仕事は、お客様を無事に日本から旅立たせて向こうのエージェントに送るまで。あるいは、面倒くさい手続きなしにスムーズに旅や観光ができるように手筈を整えること。なんだけど、その間に語学や外国の文化、常識なんかを学んでるの」

「語学や常識かぁ……」

「住むつもりはないからさ、向こうに渡ってエージェントになりたいなんてわけじゃないんだけど、向こうからこっちに観光に来る人もいるから」

「外国人の案内のため?」

「それだけじゃなく、プライベートな旅行のため」


 日本観光の外国人のために、時どき添乗員の補助や案内もする。そのための語学だってことか。ひいては、個人旅行で役に立つ。わざわざ自費で語学学校に通わなくても、会社が業務の一環として費用もちで習わせてくれるってんなら一石二鳥。


「へぇ……。なぁ、もしもさ」

「うん?」

「異世界に行けるってなったら、行くか? 言葉は通じるし、まずいかもだけど料理は食える。ただし、戻ってこれるかはわからない」


 リアルな話からいきなり夢物語へと飛んだ俺の問いに、立川は酎ハイのグラス越しに呆れたように目を細めて笑った。


「なに、それ~。流行りのアニメかなんか? あははっ。でも、まあ、帰ってこれるかわからないなら、行かないかなー」

「どーして?」


 気軽に何気なく、雑談のついでに。観光旅行ってやつにのっかった話題ってことで、蟹の鋏をほじって食いながら。

 立川はぷりぷりの牡蠣を掬いあげて、もみじおろしのはいった器に投入。熱いから冷ましてだってさ。


「だって、親や兄弟に心配かけたくないもん。やっと慣れた仕事だってあるし、夢だって叶えてないんだよ? そんな無責任なことしたくない。まぁー、やりたいことやって人生楽しかったな―って思いながら死ぬ直前だったら、考えるかな?」

「それじゃ、マジでファンタジーアニメじゃねぇかよ」

「そ。画面越しに眺めるくらいならいいかなーって」


 ふたりでげらげら笑って、食って、海老真薯(しんじょう)の旨さに唸って材料を真剣に調べて……。お開きとなった。

 俺と同じ考えだ、なんて安直に感動したりはしない。だって雑談の中の仮定のお遊びだ。頭の中で想像しただけの。

 俺と同じ立場に立った時、旅好きな立川は本当にどう考えるか。

 それでも、遊びであっても無暗に行きたいと言わなかった彼女に、好感度がアップしたのは確かだ。



 ちょっとだけ落ち着き、ちょっとだけ年相応の幸せを感じ始めた頃、身辺でなんとなくざわざわと胸騒ぎを覚える問題がいくつか起こった。

 カチン、と走行中のキッチンカーの底部から響いた異音。小石でも蹴っちまって腹に当たったかと気を紛らわすが、それが何度か起こると不安が大きくなる。

 以前、一度だけ聞いた異音に焦る。あの時は、どこにも不備はないって言われたが、ここに来て続けて音がするのもなぁ。気のせいならいいんだが、ここにきて頻繁に聞こえだすと不安が過ぎる。

 それに、だ。

 午後の営業を終えて取引先を回る時、どこからともなく現れる見覚えのある車を度々見かけるようになった。

 メタルグレイのコーキューシャって以外メーカーや車種なんて知らないが、行く先々でやたらと同じ形の車を見るな―? と首を傾げてたら、思い出したわけだ。

 大野さんのカレシの車と同じだっつーことに。


「……もうバイトは終ったってのに、なんだよ……」


 はじめは、何してんだろー? くらいの気持ちだった。

 行動範囲が同じなら偶然すれ違うことくらいあるだろうし、以前から接近遭遇してたのに意識が向かなかっただけ、とか。

 でもさ、ちょっと込み入った路地の果てまでストークされるのって、どう考えても尾行としか思えなくてな。

 路地の先は地元の農家さんちの畑が広がってるだけで、IT 企業の社長が訪問する先とは思えませんが。

 なんか恐いから修理工場にキッチンカーを向けることにして、とりあえずは陽が落ちきらない内にと路地を走り出た。


 こーゆー場合、大野さんに連絡を取ってみたほうがいいのだろうか?




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