恋人と未来と愚痴
書籍化作業に入りまして、報告なく停止してしまい、すみませんでした。
一山越したので、再開します。
世は未知の存在との戦いで大変ですが、窮屈な気分をすこしでも解消するつもりで、楽しんでくだされば幸いです。
大野さんのバイト期間は、二ヶ月間の契約になっている。
これは、金銭目的のバイトじゃないからということと、二ヶ月後から前期試験が始まるからだ。専門学校であっても、もちろん試験はある。前期で習った成果の確認だ。
「あと、一週間ですね」
大野さんは、お手拭きやナプキン、割り箸やプラのカトラリーを籠に補充しながら感慨深そうに言った。
俺は頷く。
「定休日があるから、正味実働五日な」
世間はもう冬だ。雪は降らないけど、雨は冷たいし晴れても風は頬を痛くする。
スクーターでやってきていた大野さんも、今ではカレシの車で送迎してもらっていて。
「それにしても……大野さんの彼氏、何やってる人? こんな時間に自由に動けるって、リーマンじゃないってことだよな?」
「えーっと、自由業? 小さいらしいけど、IT関連の……」
「社長さんか! すげぇ!」
付け合わせのフライドポテトを揚げる手を思わず止めて、声を上げる。
俺も一応は事業主だが、『会社』と胸を張って言えるほどの規模じゃない。社長も従業員も俺ひとりだし。
俺の感嘆の声に、大野さんはわずかに眉尻を下げた。
「仕事中なんだからって断ったんですけど、あれこれ言われて……」
「そりゃ、仕方ねぇよ。彼女がこの寒空の下をスクーターでって、危ないって心配になっても」
「まぁ……」
「まだ明るいけどさ、日に日に暮れるのも早くなってきてるしなー」
「感謝してますよ。でも……」
ちょこっと唇を尖らせて俯く大野さん。
きっと気恥ずかしいんだろーな。けど、俺はそれをあえて見ないふりで仕事を進める。
今の彼女は、フィヴと一緒だ。違うのは、恋人がいるかいないか。
どっちも自分で立てた目標に向けて、真っ直ぐな目をして夢中で走っている。
その時、恋人がどんな位置取りをするのかが問題だ。
邪魔者になるか、頼りになるか。
「時々、彼が言うんですよ。『それは今じゃなくてもいいんじゃないか? まだ若いんだし、今はもっと広い視野で色々な物を見たら?』って……」
お? 大野さんから愚痴をこぼすなんて、めちゃ珍しい。
俺は何食わぬ顔で聞き流し、胸の中だけで「あ~あ」と呆れる。
「……たくさん話し合えばいいよ」
下手なアドバイスして、彼氏に恨まれたくない。
午後の営業拠点まで送迎してくる彼氏は、一度も車から降りてきたことはない。挨拶くらいしろよとまでは言わないが、年上会社経営者ならさ、大人の顔して様子見しようかとは思わんのかねぇ。
と、まあ、そんな態度もあって、大野さんのバイト、ひいては小さな店の店長を目指すことに関して、彼氏は不満を持っているんじゃないかと、勝手に憶測してるんだが。
「はい!」
「イイ返事。さあ、開店だ」
あと五日。すこしでも良い指針になれる雇い主でいよう。
がんばれ、俺。
フィヴのくりんとした目が吊り上がり、耳が後ろに伏せられる。
まるで、イカのエンペラみたいだ。
「私なら怒る! そんなこと言われたら、絶対に怒る!」
「そこまでのことか?」
「そうよ! なんで愛する人の夢に協力できないの? お金や物じゃなくてもいいの。信じて応援してくれるだけも、嬉しいことなのに!」
両腕を振り上げて怒りを見せるフィヴは、力強くて逞しい。
試行錯誤の毎日だろうに、すこしずつでも実になっていくのが楽しいんだろう。
努力は成果を残す。失敗でも成功でも。その成果をどう扱うか、が先に進むための糧になる。
俺も覚えがあるから、努力を諦めないフィヴに助言をしてやろうと思えるんだ。
「フィヴの好みは、そんな男なんだなー」
「それは、条件のひとつよ! 当て嵌まるからって、誰でもいいわけじゃ――」
いきり立つフィヴの後ろに、食いしん坊王子が足音を忍ばせて近づいているのに気づいた。
向こうは見えていないが、俺からは丸見えだ。だから、黙って動向を見ていた。
「……誰と話している?」
「うきゃーーっ! 何よ! なんなの!? いきなり声をかけないでよっ!」
「お前の言動が怪しすぎてな。何やら怖ろしい大樹の精と契約しているなどと、噂が立っているぞ」
「大樹の……精?」
驚かされたフィヴは相手に文句を言いながら、その内容に顔を顰めた。 そして、ちらちらと俺に視線を送りながらも、男に向かって問う。
「そうだ。婚約者として心配でな。悪い精霊に騙されているなら、成敗せねばと思い、様子を見に来た」
「誰が! 婚約者よ! 馬鹿じゃないの!?」
「お前が、俺の、だ。嫁に来い。そして、俺に美味い物を山と作ってくれ」
おーっ。これは、プロポーズのシーンではないだろうか?
しかーし、そこに愛情らしき感情が窺えないのは……どうしたもんだろう。愛情よりも、どう聞いても食欲のみ。
「あのね。私が得意なのはお菓子なの。お店だってお菓子しか販売してないのっ。理解できてる? それに、確か私の婚約者は第二王子のアルフ殿下だったはずよ」
「アルフは、お前ではなくお前の作る菓子に夢中なだけだ。だが、俺は菓子だけではなく料理も認めて――っ!!」
俺の視界で、赤茶けたざんばら髪が舞い踊る。ズシーンと重い震動音がして、窓と一緒に樹が揺れた。
フィヴの拳が唸りをあげて、暴言王子の鳩尾に叩き込まれたのを、俺は「あちゃー」と思いながら眺めるだけしかできなかった。
……大野さんの拳が、唸ることがなけりゃいいが。
*手洗い・うがい・マスクにハンカチ。
みんなで協力し合って、がんばりましょう。