未来に目を向け
ご感想&議事脱字の報告、ありがとうございます。
ただならぬ病が流行っておりますが、皆様も気をつけてお過ごしください。
レイモンドに白い根菜を見せる。
「こんな根菜、そっちにある?」
台所を任されているわけじゃない末っ子息子に、食材に関して質問した俺が馬鹿だったかもしれない。
でっぷり太った大根を両手に半身を乗り出している俺を見やり、根菜の表面を撫でつつ感触を確かめるレイモンドは、難しい顔で問い返してきた。
「根菜……?」
「土の下で育つ作物なんだが……」
「土の下というと、キロと同じような野菜か」
「キロ……」
「あー、そっちではニンジンと呼ばれている物に似ている」
こちらに来た時、あれこれとメモ書きしていたレイモンドだったが、季節が夏だったせいで大根料理までは行き着かなかったらしい。
まじまじと大根を見つめている彼に、俺はニヤリとほくそ笑んだ。
この異世界と繋がる窓の『原則』が、だいたい理解できていた。
窓から向こうに持ち込もうとした場合、まずは『残る物』と『残らない物』で判断されているらしい。
残る物の代表が容器やカトラリー、包装物、輪ゴムや紐。それらの中で、レイモンドとフィヴそれぞれの世界に存在する物ならばそのままで、無い物なら代用品に変化する。代用品すら無い時は、そもそも窓を通してくれない。
そして、残らない物は料理だ。食っちまったら存在しなくなるし、食わずに誰かに渡そうとしても腐って別物になるだけだ。
ただし、材料は残る物判定される上に代用品なしにカウントされるらしく、以前バニラエッセンスが拒絶を喰らった。
考えてみりゃ、確かにアウト判定されるのも解る。
バニラもガラスも無いフィヴの世界で、あんな謎な物を持っていたら大騒ぎになる可能性大だし、野菜なんかはそれ自体が『種』だ。
料理法は流行らせられても、未知の食材を持ち込ませるわけにはいかないンだろー。
つまり、こーして俺が両手で持って窓をすんなり通れたってことは、大根と同じような食材が存在しているっつー証拠なわけで。
「レイ、夫人が在宅なら訊いてきてくれ。そーしたら、美味い物と作り方を教えるから」
俺の一言で、レイモンドはキリッと眉を上げると無言で部屋を駆け出していった。
「…」
なんの躊躇も見せずに出ていったレイモンドの、料理人トールが発する「美味い」の一言に寄せる信頼を損なうわけにいかないと、改めて自分に言い聞かせた。
さて、大根を引っ込めて、カウンター上に置いたふたつの素焼きの白い小鉢を手に取る。
ひとつは、生姜の利いた甘辛い醤油漬けの大根スティック。もうひとつには、鷹の爪やゆず皮が散る酒と塩と昆布で作られた浅漬けだ。こげ茶に染まった大根と、カラフルな欠片が散らされた白いままの大根を盛った小鉢を手にして、また窓に上半身を突っ込んだ。
しばらくして、ドドドドッと大きな靴音を響かせて野郎が戻ってくる。
「あれ?」
靴音は、ひとり分じゃない。
この乱暴さは男爵夫人のはずはなく、俺は慌てて小鉢ごと窓のこちらに避難した。
長男か次男か。はたまた、初お目見えの男爵様か。誰であっても、面倒事になるのはわかりきっている。感情の揺れ幅が大きい人物とは、あまり相性はよくないみたいだ。
「私が毒見をしてやると言っているだろうがっ!」
「兄上は、ただ食べたいだけでしょう!? 素直に白状したらどうですか!!」
あー……。
お役人しているご長男様。お仕事はどーしたんすか?
「この間のソースは、あれは……アブナイ品だったっ! あれは、人をダメにする!」
「ダメになったのは、兄上だけですよっ」
この間のソースって、あれか? トマトで作ったキーマカレーか?
あれだけ俺を目の敵にしてたってのに、あの後に食ったんかい。あの兄貴は。
それにしても、防音壁のない家は声が通る通る。
ガッと取っ手が震え、勢いよくドアが開いた。
「私が食ってやろう! 貴様が自慢する一品を!」
声の主は、やはりご長男エリオット氏だった。
わずかに顎を上げて胸を張り、横柄な仕草で俺に宣う。
俺は笑いで震えそうになるのを耐えながら、真面目な表情を作って尋ねた。
「あのー、お仕事は?」
「馬鹿め。今日は休日だ」
「ああ、そうですか」
エリオット氏の後ろに立つレイモンドに視線を投げると、奴は白けた顔で頷く。
時間の流れはともかく、月日とか曜日とかの概念があるのか確かめていないが、レイモンドが嘘をつくことはないだろう。
俺は緊張していた肩から力を抜くと、退避させておいた小鉢を差し出した。
同じ形でいて白と茶の料理を見下ろし、エリオット氏の眉間の皺が一層深まる。
「なんだ、これは?」
「大根という根菜を漬けた物です。こちらでは総菜になりますが、そっちでは酒のアテになるかと」
「むっ、酒の……」
酒と言った途端、エリオット氏の眉間皺が薄らいだ。
レイモンドも酒好きだけど、兄貴はもっとのん兵衛のようだ。ひょいと指で浅漬けを摘まむと、こちらも躊躇なく口に放り込んだ。
パリパリと軽快な咀嚼音がして、細めていた目が見開かれる。
「なんと!」
感想は、一際大きな感嘆の声と緩んだ頬が語った。
その後は、もう無言での試食だ。あっという間に小鉢は空になり、一口も味見できずに終わったレイモンドは恨みの視線で兄貴の背中を焼いていた。
結局、大根に似た根菜は存在していて、男爵夫人が使用人と作っている小さな菜園にも同じ物があるって話だ。
それをレイモンドと一緒に聞いていたらしいエリオット氏は、物足りない表情ありありの顔で俺を見て、それからレイモンドを振り返る。
「作り方を教えてもらえ。けしてあ奴らに伝授するなよ」
「……我が家の独占品と?」
「当然だ。いずれ王が帰還した時の献上品とする」
「……」
単なる浅漬けが国王への献上品になるとは……。
しかーし、漬物程度と言うなかれ。
こっちじゃチャチャっと作れる物だが、味わったことのない世界じゃそれなりに新しい一品になるんだろう。
「兄上に見つかった時はどうなることやらと慄いたが、こんな結果になるとは」
「まぁ、結果オーライじゃね? ほい、レイの分。まあ、味わってみてくれ」
気を利かせて持ってきてくれた木の皿に、タッパから上げた二種類の漬物を乗せて出した。
さすがに学んだレイモンドは、色や匂いを確認してゆっくりと味や歯ごたえを試す。その間に、漬け汁の説明をつらつらとする。
醤油漬けは無理として、お勧めは浅漬けだ。
「こちらの根菜はラデという名で、長くなく丸いらしい。使う料理はほぼ煮込みかスープにする」
お? 聖護院大根に近いのか? もしかして、蕪じゃないか?
「生の味は?」
「辛いそうで、生では食べない」
「ぬめりとかある?」
「……そんな話は出なかったな」
それなら大丈夫だ。
大根は辛味成分があり、蕪はペクチンによるぬめりがある。煮ると、かぶのほうが味が染みやすく煮崩れしやすい。
「お、旨い! これは、いいなー。ツマミどころか……手が止まらない」
やっぱり醤油漬けのほうが好まれる。甘辛い漬物だけに、酒だけじゃなくお茶請けにまでなるんだもんな。
「醤油がないから、そっちじゃ無理だ。この白いほうならできるだろ?」
「ああ。もちろん作るさ!」
酒のアテとなると、彼らは目を輝かせるんだ。まったく。のん兵衛ってやつは。