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商人の心得

 どうしたわけか、ひとりの時に窓を開けるとレイモンドの個室に繋がり、中井たちが同行すると薄暗い倉庫の一室に繋がるようになってしまった。

 ジィちゃん神様のご厚意か、はたまたガラスを新しくしたせいなのか不明だが、この判断に感謝した。

 ただし、親しくなったとはいえ、主人が留守にしている私室を勝手に眺めているのは無作法だろう。だから、いないとわかればすぐに窓を閉める。万が一、あの怖い兄貴と再会しちまったら大変だし。

 中井たちも散々な騒ぎで頭が冷えたのか、多忙を理由に夜の来訪を控えるようになってきている。来るのは休日のデート帰りがほとんどだ。それも手土産を置いて、ちょっとお茶をしたら帰っていく。

 フィヴ側は俺だけしか接触できないから、月が出ている間なら誰かに気遣うことなしに窓を開けられた。

 火の気のない車内は寒く、パーカーの上に薄手のジャケットを羽織る。そっと息を吐くと、わずかに白くなる。

 そんな俺の姿とは正反対に、フィヴは深緑の森の中を半袖の制服で駆けてきた。

 

「フィヴは結婚相手を決めたか?」

「……それ、トールにも返そうか?」

「申し訳ありません……」

「別にいいわよ。実際に騒ぎになってるんだし」

「でも、フィヴとしては自分で決めたいんだよな?」

「当然でしょ? 一生を共にする相手なのよ? 相性やら家柄やらが合うからって他人に決めつけられたくないし、見た目だけでお似合いだとか言われても腹立たしいだけだわ」


 口調はきついが、フィヴの手は繊細な動きで細かい網目の籠から新作の菓子を木皿に盛り付けている。

 大木の前に設置された木製のテーブルで、せっせとスイーツを小皿にセッティングしているフィヴの顔は、もう一端の菓子職人だ。販売だけじゃなく、イートインまで始めるつもりか?

 皿の上には、見た目は巾着っぽい菓子。玉子色に焼かれたクレープ生地に何かを包んで閉じた商品だ。その回りに、ちっちゃなクッキーがいくつか添えられている。


「はい。どーぞ。新作よ」

「お、おう」


 受け取った木皿の中の菓子を目の高さに持ち上げ、じっくりと観察する。

 薄い生地を通して、中身がぼんやりと透けて見える。赤や緑、黄色のキューブがコロコロと詰められ、生地の口は飴のような物でキュッと閉じられている。


「……中身は果物?」

「果物と木の実を甘く煮た物よ。それを泡みたいに柔らかく焼いた生地とクリームを混ぜて入れてみたの」


 これは生菓子に相当する商品だ。クッキーなどの日持ちのする物と違い、半日から一日間しかもたないだろう。

 この前のプリンもだが、広範囲に名を売るつもりはないんだろーか?


「日持ちしないお菓子が増えてきたな? お土産や卸し用の商品は打ち止めか?」


 クレープ包みを手作りの細いスプーンで割って、中身をすこしずつ掬って食べる。

 細かく砕いた木の実をほろ苦いキャラメルを絡め、赤や黄色の甘酸っぱい果物の角切りや砕いたクッキーとクリームと混ぜた物がたっぷり入っていた。


「おおっ。うめぇ……」


 マギーの記憶やフィヴが書き溜めた知識を取っ掛かりにして、いろいろと試行錯誤しているのが見てとれる。クリームも、俺が知っている生クリームとは違って、チーズクリームみたいな風味がある。


「ケーキを作りたいと思ってるのよ。でも、生地を膨らませるための材料が見つからないの。トールの世界で得た情報の中にタンサン水を使ってたお菓子があったから、同じような湧き水が見つかった時は喜んだんだけど……」

「炭酸かぁ。ありゃあ、膨らませるっつーより柔らかさを増すための材料だったはず。いっぱい使えばいいってもんでもないし」

 

 炭酸水は苦みがある。こっちの世界で販売されてる飲料は、人工的に生産されてるから飲んでも苦にならないが、湧き水となると苦みが強くて扱いづらいだろう。


「そうなのよ! 入れてみたら膨らむんだけど苦いの! それに、時間が経つと萎んじゃうし! ベーキングなんとかって粉の代わりになる材料を探したんだけど……」

「それなら、玉子を思い切り泡立てて使ってみれば? あと、甘味や粉も様々なモンで試してみりゃいいよ」


 膨らませるなら酵母もある。レイモンドたちが手こずった酵母だが、時間をかけりゃどーにかなるだろう。でも、パンとケーキじゃ、味や風味の違いがある。パンじゃなく、スポンジケーキが作りたいんだろう。


「玉子を泡立てるの?」

「おう。全卵を硬く泡立ててみたり、白身だけ先に泡立てて後で卵黄に粉を混ぜた物とさっくり合わせてみたり――たしか、そんなレシピがあったと思う」

「泡立てるの、大変そう……」

「妹愛に溢れた脳筋兄貴がいるじゃん?」

「そうね! そうだったわ!」

「焦らず、いろいろと試してみりゃーいいさ」


 緑茶に似た色の爽やかなお茶を受け取って一口飲むと、香りが薄いせいか菓子の甘さがほんのり口に残る。

 陶器じゃない木のカップは、軽いし持てないほどの熱さを感じさせない。それを手の中で回しながら、フィヴに笑いかけた。


「フィヴは……失敗らしい失敗を俺に見せないけど、裏じゃそれなりに努力してるんだよな……」

「当然よ。レイには悪いけど、彼のように人々のためになるとか知識として広めたいとかって想いはなかったわ。これは私がやりたいこと。私の我が侭から始めたことなの。誰かに食べさせたいとは思っても、皆のために世界のために――なんてまったく思わない。この知識は私の宝であって、私の夢を叶えるための大切な材料なのよ。だーれが商売敵を増やそうなんて思うもんですか!」


 フィヴは、ふんっと鼻息荒く腰に手をやり胸を張って立った。

 俺は、思い切り拍手喝采する。

 気づかない内に、俺や中井たちのライバル商売人が新たに育っていたらしい。


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