表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

117/148

己の弱さに気づかされた時

 何をどこで間違ったのか。


 僕の手の中に残っていたのは、トールから貰ったメモ用紙と神からいただいた自動ペンだけだった。どちらも常時身につけて大切に保管し、誰の手にも渡らないようにしている。

 しかし、劣化した用紙の上に書かれた情報をひとたび口にした途端、それらは僕から離れて次兄ジョアンのモノに、ひいては商会の商品になってしまった。

 唐揚げも卵焼きもジョアン兄さんの商会が売り出した名物になり、許可料制の商売になって広がってゆく。珍しくて美味い料理は安価なのもあって庶民の間に浸透し、あっと言う間に町から町へと伝わっていった。

 結果だけを見れば、僕が望んでいた形だ。

 家族を亡くし友を失い、家財を財産を壊され燃やされ荒んだ人々に、すこしの楽しみと心の癒しになればと思っていたのだが、それらは思いのほか早くに受け入れられた。

 トールとフィヴが言っていた「美味しいは正義!」の言葉は、確かに人々の心をわずかばかり潤した。

 僕は嬉しかった。良かったと安堵した。屋台や店先に並ぶ人々の笑顔を見て、僕も笑顔を取り戻した。

 そう、僕はそこで安心してしまい、結果だけで望みが叶ったと満足して終わらせたのだ。


 ある日、ジョアン兄が密閉できるガラスの容器を探すと告げた。

 トールの友人であるナカイの助言から始まった、『白く柔らかいパン』製造のためのひとつだ。

 下級貴族や庶民はライ麦や粗挽き小麦でパンを作るが、色は茶色くみっしりと詰まっていて重く硬い。それが、僕らが日常で食べているパンだ。ただし、上級貴族の家では上質な材料を使っているため、それなりに白く柔らかいパンが作られている。

 しかし、そのパンですらトールの家で食べたパンの白さや柔らかさとは程遠く、だからこそ兄たちは夢中になった。

 上等な小麦と製粉問題。パン生地の練り方と発酵時間や回数。ナカイの指摘を受けて、ひとつひとつ欠点を取り除いていって――『酵母』まで行き着いた。


「俺は、パンを売るだけではなく、酵母も商品のひとつにしたい!」


 パンを膨らませて柔らかくする素が『酵母』だと知り、商品化する計画を打ち立てた。そのために密閉し、売り出すという。


「商品にできるものなのか?」


 ジョアン兄との情報交換の後に、こっそりナカイに尋ねてみた。

 彼はトールの友人にしては冷静な性質(クール)で、感情を顔に出すことがほとんどない。一見すると取っつきにくそうだが、トールとは長く友人関係だという。だからこそ、トールは彼を紹介してくれたんだし、僕もナカイを信用した。

 そんなナカイが僕の質問に、薄く笑う。苦笑というか……呆れ笑いのような。


「できはするが、商品化して膨らまなかった場合、商会の信用を落とすことになる。なにしろ、酵母は生き物だからな……」


 トールの世界と僕の世界。その違いをまざまざと感じさせられる瞬間。

 知った程度では、理解できたとは言えないのだ。所詮は商人。物を売るための戦略には頭が働いても、料理を作る職人ではないのだ。


 僕が持ち込んだ知識のほとんどは、上澄みを掬っただけの事柄がほとんどだった。

 あちらの世界にいられた時間が足りなかったのは確かだけれど、とにかくたくさんの『何か』を持ち帰りたかったのだ。質より量とばかりに、「こんな物もある」というヒントだけを掻き集め、まさに()()集めた。

 同時に、早く帰りたくてしかたなかった。

 帰りたくて帰りたくて、キッチンカーの窓の外を塞ぐ巨大な瓦礫を見た時の絶望が、帰郷したい気持ちをことさら後押しした。蹴っても殴ってもびくともしない瓦礫を前に帰還方法が見つからず、焦りをすこしでも紛らわすために知識を集め、帰郷の希望を忘れないように自らを追い詰めた。

 トールも僕を帰したがっていたし、僕も諦めないように頭を、体を、働かせた。

 フィヴの機転で帰れた時、僕は安堵した。家族が、仲間が無事だったと知った時、溜まりに溜まっていた辛さや苦しみのすべてがすっと抜けて、心が軽くなった。

 それと同じように、持ち帰った知識を兄たちが使って人々を和ませたことで満足した。


「レイ、あれはお前が命がけで集めてきた情報だろう? なぜ、そうも簡単に手放す!?」

「そうは言っても、僕は商人ではないんだよ? 人々の間にあれらを広げるためには商会を使ったほうが……」

「そうじゃない! なぜそこで身を引くのかと訊いてるんだ!! お前はいつもそうだ。俺や兄貴に遠慮し、身を引いてしまう」

「人には才能と――」

「その言葉は、お前の逃げでしかない! やれることをせずに、逃げるな!」


 エリック兄が怒鳴る。

 すべてが上手くいっているのに、兄は俺を悔しげに見下ろして怒る。


「ジョアンの、無意識の搾取も目に余るが、お前のその依存体質も問題だぞ! そんなことでは、いずれ……」


 そう。

 エリック兄が心配し、不安視していた「いずれ」は、すぐにやってきた。

 人とは、賢くなるのは大変だが、愚かになるのは簡単なのだ。

 分に余る野心は目を曇らせ、「やがて」その身を滅ぼす原因になる。


「異世界人に会わせてやる」 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ