フィヴの災難-2-
フィヨルド兄の嘆きと興奮が収まるまで、俺はマギーと料理談話に花を咲かせた。
マギーは、俺の世界に訪れたフィヴより長い時間を老夫婦の飼い猫として過ごしてきた。
飛ばされた時に時間軸が狂っていた上に、俺の世界と時間の流れが違うせいで、年単位で野良や飼い猫として生きていたらしい。
その間はまったく成長せず、とはいえ腹は減るし痩せるし毛並みも悪くなるしで辛かったとこぼす。フィヴたち同様に便利な翻訳機能は搭載されておらず、それでも戦士だった頃の勘を発揮して悪い奴を避けて過ごせたそうだ。
体験の後半は、料理の上手なお婆さんの側で驚き一杯の生活をして知識を蓄えた。老人の悪い癖で、飼い猫に人間の食べ物をお裾分けしてしまうのも、マギーにとっちゃラッキー! だったらしい。
こんな便利な道具や美味い物がたくさんある世界すげぇ!と。
でも、このまま自分の世界に戻ることは無理なんだろうと考えると、悲しくて泣いた夜もあると呟いていた。
そして、相次いだ老夫婦の死。ふたたび野良に逆戻りして巡り会った俺とキッチンカー。
たぶん――いや、絶対に地球側の神様の干渉があったはず。俺ならマギーを帰せると。
「トールに会えて本当によかったよ。あれが神様の失態だったとしても、いつもなら神様ってやつは簡単に償いなんてしないからねぇ」
「でもさ、俺と会えたのは偶然とは思えないが?」
「そっちの世界の神様は、きっとスゴク優しいんだよ。それにさ、異世界の物は受け入れ禁止って約束事に反してるアタシだったし、さっさと戻さないとって考えてたんだよ」
「んじゃ、たとえば何かが起こって俺がそっちに飛ばされたとしても、そっちの世界の神様は無視するってことか?」
「あー……自分たちの失敗じゃない限りは知らん顔しそうだな」
こえー! 異世界の神様怖ろしい!! やっぱり絶対に異世界旅行をなんっつって、気楽に考えて踏み込んだりだけはしないでおく!
「で、でもさ、神様からの贖罪らしい変化があったって聞いたが?」
「あ、あれねー。だから、自分たちの大失態を償うためだって。魚の出現は今でも続いてるけどさ、適齢期解除期間はすぐに終わったよ」
あいかわらず『適齢期』と翻訳されるのには違和感がある。適齢ってのは適切な年齢ってことじゃないのか? でもマギーは年齢に関係ないと言うし。
それに、フィヴと再会した時、彼女が神の贖罪として「長い繁殖期がきた」と言ってたのを思い出したんだが、どっちが正しい翻訳なんだ?
まあ、これは女性とじっくり話せる話題じゃないから、フィヨルド兄が正気に戻ったら訊いてみよう。
「ほんと、そっちの神様は気まぐれだな?」
「当たり前じゃないか。もともと神様はアタシたちのために在るわけじゃないんだから」
あ、すげー悟ってる。てか、それが神の世界じゃ真実なんだろうな。
単なる興味なんだか実験なんだか知らんが、どこの世界の神様の話でもまずは創造神ありきで始まってるもんな。
俺たちは、神の手によって飼われてるペットみたいなもんだ。それも血統書付き希少種なんかじゃなく、もりもり増えるネズミ系あたりかもな。
それでも、他の生物より知能や思考力が高いだけ幸せを感じられるってのはありがたいかも。
美味い物を美味い!と感じて食えて、そこに幸福感を覚える。その幸福感を突き詰める知識や技能を持つことを許された俺たちってスバラシイ!
「美味い物を追い求める我が身が愛おしい……」
両手を交差して胸に当て、芝居がかった口調でうっとりと呟く俺を見て、マギーは大笑いした。
姐さん、そんなに派手に笑うな。ふくよかな胸が盛大に揺れて目の毒だって。
そーだ、美味い物といえば。
「なあ、魚の流通率上がってる?」
「ああ、凄いよ? 三国全土にくまなく広がってる。多少の好き嫌いはあるけどさ、三種共々共通の食料が増えたって喜んでる。ことにアタシらと有翼族は消費量が多いねぇ」
「あれ? 竜種には不評?」
「いいや。食いはするが、なんかねえ……同じような鱗持ちを調理するのに忌避感があるらしくてさ、料理人がすくないんだって」
なんだ? それ。
爬虫類系と魚類じゃまったく違うじゃねぇかよ。そんな程度で忌避してたら、獣種が被毛のある小動物を狩って食ってるのすらおかしいことになる。
それに、だ。
「なら、さっきのギルギスの卵だっけ? あれも竜種は避けてるのか?」
「いいや。ギルギスはありふれた畜産種だよ。もともと竜種が始めたんだぞ」
「はあ!? じゃあ、魚ごときの鱗程度で忌避感ってなんだよ! ギルギスってのは竜種と同系統なんだろ? その卵を食っといて鱗はダメって」
「だろー? やっぱし変だよね? でも連中に言わせると、本体の身を食うのと卵を食うのじゃ違うんだってさ。アタシたちは卵生じゃないから理解できないけどね」
「俺も分からん……」
竜種にとって魚はゲテモノになるんだろうか。でも同類系統の爬虫類を家畜化して、その卵をありふれた食材だというのは……俺にとっちゃ奇妙な常識としか思えん。
本体を殺して食うのと、殺さず食材だけを入手するその差が、彼らの境界線なのか。
「たとえば、こっちの世界の鶏のから揚げとか、有翼種は避けることになるんだがー」
「そりゃないね。だって、こっちにも鳥類はいるし、三種みんなふつーに食ってる」
「あー! 分からん! 複雑すぎる!」
よかった! フィヴが選択したのが菓子で!
「まあね。おかしな世界だなって思うよ。トールの世界で過ごしてきた経験があるアタシだから感じるんだと思うけどさ」
マギーが遠い目をして言った。
「だからこそ、同種としか結ばれない世界なんだろーね。ここは」
こっちだって同じだ。人間は人間としか結ばれない。稀に他種と結婚したって人間のニュースを見たことがあるけど、だからって子供を作ったりできない。
人が決めた制度は使えるが、神が決めた生態を越えることは無理だ。
たかが食い物の話だが、実は生態に関してまで話は繋がるのだと改めて実感した。
あ、そろそろフィヨルド兄が我に返ったようだ。
半裸の男前が、目を真っ赤にして近づいてきた。
「トール! マギーはやらんぞ!!」
ほんと残念イケメンだよ……あんたは。