魔法の薬
「あれから丸一日が経ったわ。まだ報告はないの?」
「はい。一切の音沙汰がないことを考えますと、暗殺は失敗に終わったものと思われます」
真っ暗な部屋の中、二人の人物が小声で言葉を交わしていた。
豪華なドレスに身を包んだ貴婦人と、彼女に仕える執事だ。
「大金を払って雇ったというのに、小娘一人も始末できないとは……」
「奥様、これからいかがなさいますか?」
執事からの質問に一瞬、悩むような表情を浮かべた貴婦人。
「猶予はまだ八年ある。ゆっくり考えるわ」
静かに首を振ると、薄く笑った。
◇◆◇◆
ガタンゴトン。
体が心地よいリズムで揺れる。
「お嬢ちゃん。本当に『ケムルス』に行くつもりかい?あの街は今、相当治安が悪いよ?」
御者台の隣に腰掛けた男が、私に話しかけてきた。
荷台付きの馬車の上。
後ろには動物の毛皮が積まれている。
黒装束の男の襲撃を受けてから3日。
身の危険を感じた私は、王都周辺を離れ、国境沿いに向かっていた。
「はい。少し入り用で」
男の言葉に静かに頷く。
昨日の朝、一人で高原を歩いていた私を、馬車で通りかかった男が拾ってくれた。
国境沿いの街『ケムルス』。
隣国同士の戦争の所為で、流れ込む難民が後を絶えないとか。
治安の乱れが激しい場所は、身を隠すにはもってこいだ。
「お嬢ちゃん。その手に持っているのは……もしかして蜂蜜かい?」
小瓶いっぱいに注がれた黄金の液体。
この世界では高級品だ。
「はい、そうですよ。私の叔父が蜂蜜農家をしていまして」
「成る程。それは素敵だね」
嘘を織り交ぜて話をする。
実際はハチ達に作らせたものだ。
昆虫神の加護のお陰で、虫達は私の言うことを何でも聞く。
『ビンいっぱいに蜂蜜を詰めろ』と命じたら、一晩で完遂してみせた。
「その脇に置いてある巾着袋。中に入っている白い粉はなんだい?」
男の言葉を受け、横に置いてある布袋をチラリと見る。
中に詰められた白く透き通った粉。
私が生み出した一種の薬物だ。
私が一番初めに覚えた魔法、ラクル。
『この粒子に触れた者は一時的に幸福感を覚え、少しの間、運気が上がります』
かつて藍色チョウが言っていた通りの幸せのおまじないで、実際に効果も見込める。
私はこの魔法を改造し、より益のある魔法を生み出そうとした。
人造魔法の開発。
『一時的に幸福感を覚える』という効能を無くし、代わりに『少しの間、運気が上がる』という部分の効果を高めようとしたのだ。
苦労の末に一応、形になった魔法。
しかし、生み出された粉の色は白く、思っていたものとは真逆の効能を持っていた。
『粒子に触れたものは一時的に多大な幸福感を覚えるが、少しの間、運気が下がってしまう』というもの。
一度に覚える幸福感がかなり増幅した分、癖になる感覚、依存性も高まった。
言うなれば、魔法製のケミカルドラック。
人をダメにする、かなり危険な代物だ。
「これは……小麦粉ですよ。品質が悪くて売り物にはならないですけどね」
大袈裟に肩をすくめてみせる。
「はは、そうかい。なかなか変わったものを持ってるねぇ」
私の言葉を聞き、男が楽しげに笑った。
ガタンゴトン。
人が行き交う街道をゆっくりと進む。
「ああ。実は……お嬢ちゃんに一つ頼みがあるんだ」
しばらく行ったところで、男がおずおずと口を開いた。
頼み事?
「なんですか?私にできることなら喜んで協力しますよ?」
私がゆっくりと首をかしげると、
「実はこの道をもう少し行くと検問があるんだ。そこを通らないと、ケムルスに辿り着けないんだけど……その時に、僕の娘のフリをして欲しいんだ」
男が申し訳なさそうに両手を合わせてきた。
「娘のフリ?別に構いませんけど」
「はは、本当かい?ありがとう!」
私の返事を聞き、明らかに上機嫌になる男。
この人……怪しい。底抜けに怪しい。
その反応に眉をひそめる。
まず、検問の時に娘のフリをして欲しいという頼みが怪しい。
何か後ろ暗いことがある証拠だ。
チラリと後ろの荷台を見る。
積まれているのは毛皮のみ。
下に何かを隠している?もし、そうだとしたら一体何を?
しばらく思考を巡らせていた私だったが、馬鹿らしくなって途中でやめた。
「後ろの荷台を調べて、毛皮の下に何かあったら教えて」
小声で藍色チョウに命じる。
『了解ですー!』
何故か嬉しそうな様子で馬車の後ろへと消えて行った藍色チョウ。
しばらくして私の元に戻ってきた。
『毛皮に暮らすノミ達の話では、布製の巾着袋が幾つか積まれているようですよ。中身は僅かに毒性のある白い粉だとか』
藍色チョウの報告を受け、ニヤリと笑う。
ビンゴ!本物のドラッグだ。
しかし、どうやって検問を通るつもりなんだろう?
まさか、私に娘のフリをさせるだけじゃないだろうし……。
いや、それだけじゃないよね?
一定の速度を保ち、静かに運行していた馬車。
その進行方向に突然、複数の人影が飛び出してきた。
キキーッ。
派手な音を立てて軋む車輪。
馬車が急停止し、御者台から空中に放り出される。
「ひょえっ」
素っ頓狂な声をあげた私は、顔面から地面に叩きつけられた。
バリン。
手に持っていたビンが割れ、蜂蜜が周囲に飛び散る。
あっ、大事な蜂蜜が⁉︎
痛む鼻頭を抑えながら立ち上がった。
私達の方を睨むようにして、前から革鎧を纏った集団が近づいてくる。
「積み荷を置いていけ!逆らったら殺すぞ!」
若い男女の六人組。
皆、肩を怒らせ、手に抜き身の剣を持っていた。
うわっ、人の行き交う街道で白昼堂々の犯行。大胆だなぁ……。
両手を上げ、馬車から離れる。
男も私に従い、若者達に馬車を譲り渡した。
「さ、さあ。行ってくれ。邪魔しないから」
震える声で促す男。
馬車の御者台や荷台に素早く飛び乗った若者達が、一目散に去って行った。
電光石火の所業。
……随分と手馴れてる。常習犯かな?
地面に放り出された巾着袋を拾い上げ、男の方を振り返る。
シクシク。
男は地面に両膝をついて、静かに泣いていた。
「ちょっ……大丈夫ですか?おじさん」
大人のマジ泣きに若干引く。
まあ、私も精神年齢は三十を超えてるんですけども……。
「ああ、私はもう終わりだ。命惜しさに積み荷を失ってしまった。金に目が眩んで悪事を働こうとしたばかりに……」
頭を抱えて嘆く男は、私が側にいることにすら気づいていない様子だ。
うーん、哀れなり。
手に持った巾着袋を男の真横に置いた。
ズシリ。
袋一杯の白い粉が音を立てる。
「これは、小麦粉?」
「いいえ、魔法の薬です」
やっと顔を上げて私の方を見た男に、そっと笑いかけた。
「あなたの元に幸せを運びますよ」