極めし者
「いいですか?危ないことは絶対にしないで下さいね?」
「はいはい」
「栄養の偏った物ばかり食べてはいけませんよ?」
「あー、はいはい」
「夜更かしはダメですよ?常に気品を持って……」
「分かってる。そんなに心配しないでも大丈夫」
屋敷の前でメイドとハグを交わした私は、踵を返して門を出た。
「お嬢様ぁー。いってらっしゃーい!」
背後からメイドの声が追ってくる。
時刻は早朝6時。
春先の風はまだ冷たい。
「……ああ、もう無理。屋敷に帰りたい」
生粋の温室育ちである私は、歩き始めて僅か三歩で根をあげた。
『ヘル様ぁ。しっかりして下さいよ』
前を飛ぶ藍色チョウが、呆れたような声を出す。
レンドルシー家の屋敷は緩やかな丘の上に建っていた。
背後には森、麓にはそれなりに大きな街がある。
王都を中心とした都市圏の衛星都市、『セクトール』。
周囲で採れた作物や動物の毛皮などを王都へ流すことで儲けている。
私より早く屋敷を出たお姉様達は、そろそろ街に着いている頃合いかな?
手元の用紙を広げる。
ヘレンに渡された手書きの地図だ。
街外れの林に正午過ぎに集合。
……今から向かってもギリギリだ。
「くぅー、厳しいー」
自らの頬をパシリと叩いた私は、足早に丘を下った。
◇◆◇◆
「ヘレンお姉様?いらっしゃいますか?」
集合場所である街外れの林道には人気がなかった。
聞こえるのは風の音だけ。
集合時間はとっくに過ぎている。
ヘレンお姉様はまだ到着していないのかな?私よりも大分早く屋敷を出た筈だけど……。
私が辺りをキョロキョロと見回していると、
ズシャリ。
背後で土を踏む音がした。
「あっ、ヘレンお姉様?」
音と同時に背後を振り向くが、そこにいたのは全くの別人だった。
全身黒装束の男。
口元を布で覆っており、素顔が全く見えない。
……何この人?異世界版の忍者?とても好意的には見えないんだけど。
男の手に握られていたのは刀身剥き出しの短剣。
とても飾り物には見えない。
……もしかして、ヘレンお姉様に騙された?私を呼び出して先に殺しておこうとか?
『ヘル様!これ罠ですよ!ヘレン様に計られたんです!』
頭上を舞う藍色チョウが、慌てたように叫んだ。
……そんなこと言われなくても分かってるよ。だって、殺気がハンパないもの。
己の魔力の流れを探りつつ、男と正面から向き合う。
ヘレンお姉様が送ってきた刺客なら、
きっと相当な手練れだろう。
私が魔法の英才教育を受けているのはお姉様も知っているし、それを考慮した上での人選のはずだ。
刺客はたった一人。益々、油断できない……。
「お前がヘル・レンドルシーか?」
男が静かに口を開いた。
「いいえ……私はリンと申します。ただの通りすがりですよ?」
柔らかな笑顔を作り、ゆっくりと首をかしげる。
男が射抜くような視線で私の瞳を覗き込んできた。
訪れる束の間の沈黙。
「そうか。お前がヘル・レンドルシーか……ならば、ここで死んでもらう!」
深く腰を落とした男が、私に向かって突進してきた。
滑るような足運び。
その姿が霞んで見える。
この人、私の言うこと聞いてるの⁉︎
「紅蓮の炎よ敵を焼け、ファイアボール!」
右手を前に突き出した私は、大声で呪文を唱えた。
手の平から生み出された人頭ほどの火球が、相手に向かって真っ直ぐに飛んで行く。
「無駄だ」
静かに目を細めた男が、僅かに体の位置をずらすことで火球を回避した。
無駄のない洗練された動き。
……ん?魔法の軌道を読まれてる?
「烈風よ敵を切り裂け、フーラ!」
「凍てつく冷気よ敵を貫け、アイスランス!」
男の動きを疑問に感じた私は、風の鎌と氷の槍を続け様に放った。
空を裂くようにして男に迫った氷槍。
右手に握った短剣であっさりと受け流される。
男の首元へ飛んで行った風鎌も、上体をそらすことで難なく躱された。
この男……初動が速すぎる。
私が発した呪文を聞いて、先に動き出しているということ?
もし、そうだとしたら相当戦い慣れている。
魔法使い殺しのプロといったところだろう。
ブワリッ。
あっという間に私の眼前に到達した男が、短剣を大きく振り上げた。
間髪おかずに振り下ろされた右手。
私の首元目掛けて短剣が一直線に迫る。
……呪文を聞いて予め動きを読んでいるなら、聞いたことのない魔法を使うまでだ。
「私に全ての理を見せよ、アイナ!」
素早く叫び、瞳を紅く輝かせる。
途端にゆっくりと動き出す世界。
男の剣筋を完全に見切った私は、後方に飛び退くことでその一撃を回避した。
ズジャッ。
男の短剣が土の地面を叩き、鈍い音を立てる。
再び距離を取った私と黒装束の男は、足を止めて互いに睨み合った。
虫魔法三大秘術の一つ、アイナ。
360度の視界と驚異的な動体視力を獲得する。
「……身体強化か?子供騙しだな。所詮は魔法使い。底が知れている」
そう吐き捨てた男が、顔前で短剣を構えた。
コォーッ。
洞穴から風が吹くような音と共に、男の全身から赤い湯気が上がる。
オーラ。
本当に強い剣士のみが纏えるという、超常の力だ。
使用者の身体能力を飛躍的に上げ、その実力を数倍にするという。
「子供騙しって……オーラも身体強化系でしょ?」
ゆらりと両手を前に突き出した。
バチッ、バチバチ。
私の指先に帯電した電気が音を立てる。
「死ね!小娘ぇぇぇ!」
怒号と共に突っ込んでくる男。
十分に引きつけてから電撃を放った。
ジッ、ジジジジッ。
青白い稲妻が相手の顔面を強襲する。
電撃の速度は超高速。
どれだけ身体強化していても反応すらできない。
ふっ、勝った。
勝利を確信して笑う私の眼前で、予想外の出来事が起こった。
ガクリ。
稲妻が途中で方向を変え、男の短剣へと吸い込まれる。
な、導雷針⁉︎ こんな至近距離で?
「ぐおっ⁉︎ 」
驚いた声をあげた男が短剣を取り落とした。
カランコロン。
土の地面に転がった短剣が、乾いた音を立てる。
男は手のひらに火傷を負った程度だ。
僅か数十センチ先に男の顔がある。
これは……マズイ!
我に帰った私が動くと同時に、男も動き出していた。
ジッ、ジジジジ。
私の手のひらから再び電撃が迸り、男が右の手刀を高速で繰り出す。
ズガン。
男の体が燃え上がり、その手刀が私の胸に大穴を開けた。
黒焦げになり、絶命する男。
その姿を眺めながらゆっくりと後ずさる。
「ゲホッ。ゲホゲホッ」
口から漏れた空咳。
私の胸からは血が一滴も流れていなかった。
血の代わりに飛び出したのは金色の蝶々。
空中をヒラリヒラリと彷徨い、再び私の胸に帰ってくる。
数百匹の蝶が傷口を覆い隠し、次の瞬間には元の身体に戻っていた。
傷一つない滑らかな肌。
……ああ、我ながら気持ち悪い体。
『神託を授かりし者は、秘術を極術へと昇華させ、神をも恐れぬ力を得る』
虫嫌いの私には良い迷惑だよ。
深い溜息と共に空を仰いだ私は、白目をむいて失神した。