宮仕試験!
王都は国の中心に位置する巨大都市だ。その最奥には豪華絢爛な宮殿が存在し、王族たちが暮らしている。
物流の中心である王都は他の都市と比べても人口密度が高く、どこも賑わいであふれていた。
私が王都を訪れた目的は、王族との婚約を発表した姉ネイル・レンドルシーの身辺を探ることだ。
この世界の常識として、王族の結婚相手は貴族であり、平民が選ばれることはまずない。
過去に王族と平民が結婚を試みたという話は幾つか存在するが、何れの場合も貴族達の強い反発に合い、実現に至ったものは一つもないようだ。その中には結婚相手の平民が原因不明の死を遂げた例も少なくなく、王族との婚約発表は非常にリスクが高い行為と言えるだろう。
ここ数日、王宮の周辺を歩き回り、多くの人や虫から話を聞いてみたが、中の様子は殆ど分からなかった。
微かに聞こえて来た噂話の中には、平民と王族の結婚に、何故か貴族達が反対していないというものもあった。
もし、それが事実だとしたらかなり不気味な状況だ。
「まあ、その辺の真偽を確かめるためには直接王宮に踏み込むしかなさそうねぇ……」
ため息混じりに独り言をこぼした私は、ぼんやりと眼前の立札を眺めた。
宮仕試験実施のご案内。
多くの大通りが交わる地点に、そう記された和紙が張り出されている。
宮仕試験とは年に一度行われる王宮に仕える者を募集するテストだ。
『ヘル様……もしかして、宮仕試験を受けるつもりですか!?︎』
私と同じく立札を覗き込んでいた藍色チョウが驚いた声を上げた。
「ええ、これを利用して王宮内に入り込むわ」
当然のように頷く。
『一応言っておきますが、宮仕試験の難易度ってめーーーちゃくちゃ高いんですよ?試験日は3日後……いったい何の職を受けるつもりですか?』
首をかしげた藍色チョウが、私の鼻先をあたふたと飛び回った。
ちょっ、ぶつかるぶつかる……。
慌てて顔を逸らし、静かに遠ざかる。
試験について藍色チョウの言っていることは正しい。
宮仕試験は恵まれた環境で勉学に励むことができる貴族が必死の努力をしてやっと合格できる非常に難しい試験だ。平民の合格者はここ10年で1人も出ていない。
「宮仕試験が難しいのは充分承知よ。でもね、私には絶対の自信があるの」
・聖職者
・魔法使い
・靴職人
・絵師
・料理人
募集要項にズラリと並んだ職種を見て、フッフッフッと含み笑いを漏らす。
「私が試験を受けるのは……絵師よ!」
『え、絵師!?︎』
素っ頓狂な声を上げる藍色チョウを横目にドヤ顔で前髪をかきあげた。
「知ってる?私、前世では美術部だったのよ」
◇◆◇◆
「制限時間は二時間!用意、始め!」
真っ赤なローブを羽織った髭面の男が大声を張り上げた。
その直後、青空の下に銅鑼の音が響き渡る。
宮仕試験開始の合図だ。
王宮の中庭に正座した人々が一斉に手元の用紙に筆を走らせ出した。
その数およそ500人。
全員が試験の参加者で、綺麗に刈り揃えられた芝の上に答案用紙を置き、屈み込むようにして解答している。
私はその様子を最後尾からボンヤリと眺めていた。
……机くらい用意できないかね?腰が痛いんだけど。
そんなことを考えながら、ゆっくりと手元の用紙に視線を落とす。
そこに記されていたのは、中学卒業レベルの簡単な図形問題。
やばい、簡単すぎる……。
なんとか欠伸を堪えた私は、静かに手元の筆を動かし始めた。
この世界の文明レベルは日本の文明レベルに遠く及ばない。
数学においては微分、積分、因数分解などの複雑な考え方は存在せず、この世界で最難関とされる問題も、日本の賢い小学校なら解けてしまうレベルだ。
それは他教科でも大差なく、日本の教育を受けた私にとって、宮仕試験は片手間で解けるものだった。
1問目の図形問題を含め、全ての問題を30分足らずで解き明かす。
「うーん、楽勝ねっ」
宮仕試験は三つの要素で評価される試験だ。
今日の午前中に教養試験、午後に各職の実技試験。別日に礼儀作法の試験が行われるようだ。
しかし、あと1時間半も正座していないといけないなんて退屈だなぁ。
暇を持て余し、他の参加者たちの様子を観察してみる。
みな仕立ての良い服を着ており、育ちの良さが一つ一つの所作から滲み出ていた。
私以外はみんな貴族かな?流石に少し気まずいかも……。
私がそう思ったその時、視界の端に他の参加者とは明らかに雰囲気の違う少女が見えた。
赤縁の眼鏡をかけ、清潔感のある黒髪を肩口で綺麗に揃えているが、着ている服の素材が周囲の人々より明らかに劣っている。
真面目そうな子だなぁ。きっと平民よね?
宮仕試験を受けることができる年齢は14〜17歳。
……あんなに若いのに宮仕試験を受けるなんて偉いなぁ。
私が自分のことを棚に上げて感心していると、
『ヘル様ーヘル様ー。こんにちは!』
『おーい、聞こえますか?』
『ヘル様ぁ!おーい』
『こんにちは!こんにちは!こんにちはーー!』
不意に四方から幾つもの小さな声が聞こえてきた。
ギクリ。この声は……。
私が恐る恐る声がした方に視線をやると、私が座っている周囲の芝が真っ黒に染まっていた。
その正体にすぐに気づき、悲鳴を上げる。
「アブラ虫だぁぁぁぁぁ!!!」
泡を吹いた私は、そのまま意識を失った。
◇◆◇◆
ドンドン。ドンドン。
遠くから銅鑼の音が聞こえてきた。
「ハッ」
その音で飛び跳ねるようにして目を覚ます。
やばい。いつの間にか意識を失ってた……。
どうやら教養試験が終わったらしい。
慌てて周囲を見回すが、既にアブラ虫たちの影はなかった。
『ヘル様ー!次は実技試験ですよ!しっかりして下さい!』
頭上で藍色チョウが甲高く喚き散らす。
「分かってるわよぉ〜」
力なく返事をした私は、なんとか上体を起こし、正面を向いた。
「それではこれより、実技試験に移行する!」
赤ローブを纏った試験官の号令で教養試験の解答用紙が回収され、替わりに質の良い白紙が配られる。
それと同時に中庭の中央に色とりどりの花が生けられた巨大な花瓶が置かれた。
「絵師実技試験の今年の課題は、この花瓶の模写だ!……各自、取り掛かれ!」
試験官が偉そうに号令をかける。
それに合わせて皆が一斉に絵を描き始めた。
花の花弁一枚一枚まで拘られた非常に細かい絵。
美しい色づかいの奥行きのない平面の花。
ニヤリ。
周囲の人々が描く絵を見て小さくほくそ笑む。
今回、絵師の試験に臨むにあたって私には絶対の勝算があった。
転生した当初から気づいていたのだが、この世界の絵画には遠近法という概念が存在しない。
地球上の歴史では13〜14世紀頃に奥行きを表現する手段として発明された遠近法。しかし、それ以前の絵画は全て平面図で絵に立体感を持たせるという考えがなかった。この世界は未だにその状態という事だ。
つまり、これから私が描く水彩画は、この世界の常識に風穴を開けることになる。
静かに目を細めた私は、上質な白紙の上に素早く筆を走らせた。
◇◆◇◆
「な、なんだ……この絵は?」
宮仕試験から3日後。
王宮の片隅に位置する絵画工房で、一人の男が驚愕の声を上げていた。
彼の名はジョー・ヒューマス。
額の広い魚顔の青年で、王宮に仕える画家だ。
彼が纏う緑色のローブの胸元には、金糸で星型の刺繍が施されている。
これは主席絵師の証で、彼が王宮内で最も優れた絵師であることを示している。
二十代後半にして名誉ある地位に上り詰めた天才。
そんな彼を驚かせたのは、宮仕試験で描かれた一枚の水彩画だった。
(まるで、実物がそこにあるようだ……)
画用紙に描かれた花の絵を指先でなぞる。伝わってくるのは乾いた絵の具の感触だ。
(平面である画用紙に絵の具でこれほどの立体感が出せるものなのか?これは……凄いな)
ゴクリと唾を飲んだジョー。
手にした絵の裏に描かれた名前を見て目を細めた。
ケムルスの街出身のヘル・メイルズ。
「凄いが……少し邪魔になりそうだな」




