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救難信号!

「もう無理。これ以上歩けないんだけど……」

ゼェゼェと肩で息をした私は、小声で弱音を吐いた。


数メートル先を老爺が、軽やかな足取りで進んで行く。


『もー、ヘル様しっかりして下さいよぉ。70過ぎのお爺さんより先にバテてどうするんですかぁ?』


呆れたように呟き、頭上を行き交う藍色チョウ。


「……うるさい。少し黙ってなさい」


額の汗を拭った私は、ゆっくりと周囲に視線を走らせた。


相も変わらず乱立する中背の木々。

緩やかな上り坂がどこまでも続いている。


……ああ、蒸し暑い。魔物なんていないじゃない。


初めての遭遇以来、チラホラと姿を見せていた黒狼型の魔物だったが、山の中腹を過ぎた辺りからめっきり見なくなった。


……これ以上登る必要あるのかしら?喉も渇いたし、そろそろ体力的に限界なんだけど。


私がフラフラと歩みを進めていると、


「なんじゃ?これは……」

前を歩いていた老爺が、突然足を止めた。


「ちょっと、お嬢ちゃん。こっちへ来とくれ」

こちらを振り返り、手招きしてくる。


ん?なんだろう?

私がゆっくりと近づいていくと、正面の茂みに一体の石像が横たわっているのが見えた。


背の低い草木の中で、異質な存在感を放っている。


それは全長2メートルに満たない人型の石像だった。

鎧を纏った青年の姿が、非常に精巧に象られている。


『これは凄いですねぇ。今にも動き出しそうですよ!』

石像をまじまじと眺めた藍色チョウが、感嘆の声を上げた。


……まるで生きているみたい。

その細やかな造りに思わず息を飲む。


私達が石像に見入っていると、


ズパンッ。

突然ド派手な破裂音が山中に木霊した。

直後に上空で眩い白光が瞬く。


「これは……閃光弾?」

頭上を見上げた私が、目を細めて呟くと、


「どうやら救難信号のようじゃのぉ」

隣で老爺がゆっくりと頷いた。


救難信号?あの真下で誰かが窮地に陥っているということ?


『けっこう近いですねー。助けに行きますか?』

藍色チョウからの問いに、小さく顔をしかめる。


「うーん、危ないことはしたくないんだけどなぁ」

私が空を見上げたまま、逡巡していると、


「おーい、お嬢ちゃん。早くしないと置いてくぞーい」

いつの間にか老爺が再び歩き出していた。


向かう先は閃光弾の打ち上がった方角。


「きっとあの下で、美しいおなご達がわしの助けを待っておる!ドラゴンでも魔王でも何でも来いじゃ!」

意気揚々と語る老爺の後を渋々とついて行く。


……本当に能天気なお爺さんねぇ。危なっかしくて放って置けないわ。


老人は敬い大切にするべし。

前世で培った敬老の精神はそう簡単には消えないのです。


◇◆◇◆


途切れることなく続いていた森が、突然、目の前で開けた。


……ここが救難信号の打ち上がった場所か?誰もいないようだが?


眉をひそめ、じっくりと辺りを見回す。

身に纏ったトレードマークの黄金の鎧が、陽光を煌びやかに反射した。


俺の名前はケインズ・セルフ。

リンドール家に仕える剣士の一人だ。本日の魔物狩りの仕切りを任されている。


空に打ち上げられた閃光弾を見て、山の麓からこの場に駆けつけた。


「場所を間違えてはいないと思うのだが……」


そこは地面の土が剥き出しの円形の広場だった。

奥に人型の石像が数体規則正しく並んでいる。


……なぜ山の中にこんなものがあるんだ?

疑問に思った俺が目を細め、じっくりと観察していると、


「おお、やっと着いたわい。遠かったのぉ」

「全く、足が折れるかと思ったわ」

背後からガソゴソという音と共に男女の声が聞こえて来た。


なんだ?魔物狩りの参加者か?

俺が音のした方を振り返ると、そこには参加者の中でも特に印象的だった二人がいた。


銀髪碧眼の小柄な少女と、人の良さそうな細身の爺さん。


……俺と同じく救難信号を見て集まってきたのか?


「おい、お前らこっちに来い」

とりあえず声を掛けてみると、こちらに気づいた二人が近づいてきた。


「ホホ、隊長さん。こんにちは」

老爺が快活に挨拶してくる。


……隊長さん?もしかして、俺のことか?


「他の参加者はどうした?姿が見当たらないようだが」

「さぁーて、どうしたのかのぉ?」

俺の質問に老爺が首を傾げた。


ふむ。この爺さんに訊いても無駄か。


「他の参加者はどうした?」

同じ質問を少女の目を見て繰り返す。


「私たちも今来たばかりなので……ゼェゼェ……詳しいことは分かりません」

膝に手を置き、肩で息をした少女が、ゆっくりと答えた。


この娘、なんでこんなに疲れているんだ?一緒にいる爺さんはピンピンしているのに。


「そうか。少し考える必要がありそうだな」

顎に手を当て、状況を整理する。


閃光弾が打ち上げられたのは今から30分ほど前。

俺は麓からここまで全速力で駆けつけた。

しかし、当然、元々山中にいた連中の方が早くこの場に到達できたはずだ。


ところが、実際来てみれば参加者は誰一人としておらず、閃光弾を打ち上げた者すら見当たらない。


姿を確認できたのは遅れてきた爺さんと少女だけ。


一体、この場で何があった?


俺が思考の海に沈んでいると、


「あら?ここにも石像があるのね」

「そのようじゃのぉ」


不意に老爺と少女の会話が耳に飛び込んできた。


「しっかし、この女像……見れば見るほど先ほど麓で見たおなごにそっくりじゃのぉ」

「魔物狩りの参加者ですか?そう言われれば……似たような人がいたかもしれませんね。いや、いなかったかもしれないけど」


俺が顔を上げると、老爺と少女が石像の前まで移動していた。

老爺の言葉に少女が適当に相槌を打っている。


……この娘、殆ど話を聞いてないだろ?

若干呆れつつも、彼らと同じ女像をジーっと眺めた。


ロングヘアのグラマラスな女性。

口元のホクロがかなりセクシーだ。


この石像が魔物狩りの参加者に似ているか……。

そう言われれば、こんな女性がいたかもしれないな。


そう思いつつも、内心で溜息をつく。


……いや、いなかったかもしれないけど。


「このセクシーな娘っ子だけじゃないぞい。そこのおかっぱの子も、そこのツインテの子も見覚えがあるのじゃ!」

「ふーん。よく見てるんですねぇ」


「勿論じゃ!ワシの目的は美しいおなごをゲットすることじゃからな!」

「はいはい……って、え?あなたもこの男に見覚えがあるの?それ本当でしょうね?」

意気揚々と叫ぶ老爺と、その右手に乗ったムカデに話しかける少女。


……ヤバい。こいつら二人ともヤバい奴だ。


改めて全ての石像に目を通す。

すると、見覚えのある顔があった。


この顔に十字傷がある男、確か……俺が魔物の狩りの説明している時に先頭にいた奴だ。

特徴的だったのでよく覚えている。


だが、どういうことだ?参加者が石になっている?そんなことがあり得るのか?


かつて存在した伝説の土魔法師リック・デイラスは、視線を合わせた相手を一瞬で石化するという恐ろしい極術を操ったという。


しかし、土魔法の修得紋持ちは彼以降一人も確認されておらず、伝説上の極術が今回用いられた可能性は限りなくゼロに近い。


魔法じゃないとしたら、魔物か?

そうだとしたら、いったいどういう……。


俺が再び思考の海に沈みかけたその時、一列に並ぶ石像の向こう側に小さな人影が見えた気がした。


木々の間に一瞬チラつき、すぐに消えてしまう。


なんだ?子供か?

俺がもっとよく見ようと、身を乗り出しかけたその直後、


ズシャリ。

背後で土を踏む音がした。


魔物か⁉

突発的に身を翻し、腰の鞘から長剣を引き抜く。


すると、少し離れたところに目深にフードを被った巨漢が立っていた。


森の奥から同じような背格好の男がゾロゾロと出てくる。

正面だけではなく、四方八方から。


何なんだ、こいつらは?

異様な雰囲気に包まれた広場。

その中心で、一人の男がフードを払いのけた。


それに習うようにして、周囲の男達もフードの下の素顔を晒す。


その不恰好な頭を見た瞬間、俺は戦慄を覚えた。


切れ長の鋭い目に、顔全体を覆う艶やかな鱗。

俺の目に飛び込んできたのは、人間の身体に蛇の頭を無理やりくっつけたような不気味な姿だった。


蛇人間。

そうとしか形容しようがない。


2メートル超の巨体を引きずるようにして、ゆっくりと近づいてきた。


先頭の一体が静かに腰を落とし、そのままの姿勢で一瞬停止する。

次の瞬間、その姿がフッとぶれた。


気づくと眼前に黒い影が覆い被さっている。


……速い⁉

そう思うと同時に、剣を握る手に力を込めた。


「オーラ、解放」

小さく、素早く口走る。


ドクン。

その直後に、心臓が大きく脈打った。

体の中心から燃えるように力が溢れ出す。


周囲を流れる時間が、何倍にも引き伸ばされたように感じられた。


表皮に沿うようにして爆発的に広がる青光。

深蒼色のオーラを身に纏う。


眼前の蛇人間が頭上に掲げた右腕を、こちらに向かって振り下ろそうとしているのがはっきりと見えた。


オーラの特性は身体強化。

常人離れした反応速度でその一撃を躱す。


素早く後方に飛び退いた俺の眼前で、高く土埃が舞い上がった。

蛇人間の右腕が強く地面を打ち、辺りに轟音が響く。


なんて威力だ……。

驚きで言葉を失う俺の目の前で土埃が二つに割れた。

中から物凄い勢いで蛇人間が飛び出してくる。


今度は先程とは逆の手、左腕を大きく振りかぶると、力任せに叩きつけてきた。


体を僅かに捻ることで、その一撃をやり過ごす。


低い姿勢で相手の懐に飛び込んだ俺は、跳ねるようにして上体を起こすと、上から下へ素早く長剣を凪いだ。


「グゲェェェェェ!」

鉄の刃が敵の胸元を切り裂き、辺りに鮮血を撒き散らす。


上半身を大きく仰け反らせ、たたらを踏む蛇人間。

その腹部にすかさず返す刃で切りつけた。


「グボァァァァ!」

肉を断つ確かな手応えと共に、目の前の蛇人間が膝から崩れ落ちる。

腰の位置まで下がった敵の頭を、全体重を乗せた一振りで吹き飛ばした。


ズパン。

辺りに破裂音が響き、大量の血飛沫が上がる。


頭を失った蛇人間の体が、風に吹かれた枯れ木のようにパタリと倒れた。


頬を伝う一筋の汗を手の甲で拭い、小さく呟く。


「まず、一匹」


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