サイド・アインフォード 4 ゴブリン襲撃
この村は比較的新しい開拓村である。人口は50人ほどで比較的若い男手が多い。開拓村は野獣やゴブリンなどのモンスターと遭遇することも多いので戦闘経験がないというものは少なかった。ゴブリンは単体であればそれほど驚異的なモンスターではない。大人の男性で武器を持っているなら撃退することはそれほど難しいものではないのだ。
当然そんなゴブリンに後れを取るような開拓村の住人はいない。村人達も奮闘していた。しかし、それでも今回のゴブリンは圧倒的に数が多かった。
よく見るとゲラシムとアクサナも村人に混じってゴブリンと戦っていた。
「ゲラシム、これはおかしい。ゴブリンの数が多すぎる。」
「そうですね!アインさん達がいることが幸いでしたねっと!」
ゲラシムはショートソードでゴブリンを斬り伏せながらアクサナを背後に守っていた。アクサナもマジックミサイルなどの魔術で応戦していたが、ゲラシムの言う通りゴブリンの数が尋常ではなかった。
そのうちにその圧倒的なゴブリンの数に次第に打ち倒される村人も出始めていた。
飢えているのか、殺された村人にゴブリンは群がり食い散らかしていく。それはまさに吐き気をもようすような地獄だった。
「く、くそ!なんだってこんな大量のゴブリンが!」
「女達を守れ!絶対に連れ去られないようにしろ!」
男たちはたとえ自分が犠牲になろうとも女たちは逃がすつもりだった。決して彼らがフェミニズム溢れる英雄気質だったという訳ではないが、ゴブリンに攫われた女性の末路は悲惨である。
ゴブリンは他種族の雌を媒体に繁殖することで知られている。その妊娠期間は極めて短く、妊娠一か月で出産し、生まれるとすぐに立ち上がり、半年もするとほぼ大人と変わらない大きさまで成長し繁殖可能となるのだ。しかも極めて多産であるため一回の出産で二匹、三匹は当然であった。
母体となった女たちは次から次に出産させられる家畜となり、妊娠中であろうがなかろうが日常的に犯され続ける。当然精神が耐えられるはずもなく、ほどなく気が触れて死んでしまう。
幸いなことに(不幸なことに)ゴブリンの雌は非常に少数しか生まれることがない。そのため人間や他のヒューマノイドモンスターを苗床にするのだが、ゴブリン自体がそう強くないモンスターであるため、他種族の雌を多量に用意できないので大繁殖が起こるといったことは起こっていなかった。
他の種族を苗床にするという繁殖方法はゴブリンだけでなく、オークやコボルドと言った下等なヒューマノイドモンスター全体の特徴と言えるが、ある意味死ぬよりつらい状態に置かれることを恐怖しないヒト種の女性はいない。
自分たちの村の女性を、妻や娘をそんな目にあわせることを良しとする男がいるはずもなく、村の男たちの抵抗は壮絶なものだった。
だんだんと村人たちは後退を余儀なくされていく。女たちはこの村で最も大きく頑丈な造りである村長の家に避難させ、男たちはそれを守るように戦っていたが気が付くと追い詰められ、村長の家を守るように村の中央広場で戦うようになっていた。
「あの冒険者たちはまだ来れないのか!?」
「今、女たちが呼びに行っている!畜生!さっきワイバーン見えてたからな!」
アインフォード達が今頃ワイバーンと交戦中であろうことは彼らも理解していた。そしてワイバーンが決して容易い相手であるはずがないことも。
彼らはあの冒険者の力を期待できない状況で、この大量のゴブリンを押し返さなくてはならないのだ。それはあまりにも絶望的に感じられた。
しかし、彼らの予想は良いほうに裏切られた。
「加勢します!エリーザさん!ファイヤーボールを!」
「はい!まっかせて!」
「アルベルトさんとバルドルさんは盾をお願いします。キャロット、物理シールドを!」
「はい!」
「おう!」
「了解しました。マテリアル・シールド。」
「クラーラさんとドーリスさんは怪我人の救護を!」
「はいよ!」
「は、はい!」
アインフォードはメンバーに指示を出し終わるとすぐに魔術を発動させた。
「ダブルキャスト、ファイヤーボール!」
火球の魔術の二重発動を無詠唱で行い、先に詠唱を始めていたエリーザと同じタイミングでファイヤーボールを射出する。
合計3発の火球は大量のゴブリンが密集する地点に到達すると大爆発を起こした。爆風と飛び散る火炎弾に多くのゴブリンは火に包まれはじけ飛んだ。
「す、すげぇな…。これが一流の冒険者ってやつか…。」
その魔術を見ていた村人から感嘆の声が上がった。
なだれ込んでくるゴブリンの軍勢を前衛で支えるアルベルトとバルドルも一歩もゴブリンを内側に通すことがなかった。
「しかし、一体何匹いるんだこいつら?」
アルベルトは次から次へとなだれ込んでくるゴブリンを斬り伏せながら呟いた。
「見当もつかんのう。しかし、こいつらなんか雰囲気おかしかないか?」
バルドルはハンマーを振り回し、それに答えながら違和感を覚えていた。
ゴブリンどもが必死すぎるのだ。ゴブリンは決して頭の良いモンスターではない。せいぜい獣に毛が生えた程度であるが、人型をしているせいか普通の獣にはない残虐性や享楽性を持ち合わせているのだ。
そのためゴブリンは他者を襲う場合は自らの嗜好を満足させるように、より残虐にまた相手をいたぶるような行動をとることが多い。そして不利を悟れば一目散に逃げ去るだけの臆病さも持ち合わせているのだ。
それが、これだけの魔術にさらされ、多くの同胞が死んでも一向に逃げ出す個体がいないのだ。むしろまだ此処の人間に立ち向かうほうがましだと思っているような節さえ感じられた。
バルドルとアルベルトがそう言ったことを考えていると、彼らの前にアインフォードが飛び出してきた。
「蹂躙します。」
アインフォードはそう一言言うと、黒い大剣を背中から引き抜きゴブリンの群れに飛び込んでいった。
「お供します。」
その後ろをキャロットが静かについていった。
アルベルトとバルドルは顔を見合わせ、肩をすくめた。
「そろそろ終わりかな。」
どちらからともなくそう呟くと二人は苦笑したのだった。
蹂躙の言葉通り、アインフォードの通った後はただただゴブリンの死体であふれていた。もちろん難を逃れたゴブリンもいたが、後ろに続くキャロットにことごとく刈り取られていく。
村中でまだ戦いは続いていたが、ようやくゴブリンの数が尽き始めた。男たちはみな満身創痍である。いかに単体では弱いゴブリンとはいえ、数は力である。常に複数のゴブリンにまとわりつかれているような戦場で、無傷で戦い続けられるわけがない。
全滅するまで戦うのかと思われた大量のゴブリンだが、逃走を始める個体も散見されるようになってきた。
「どうやら乗り切ったようだな。」
アルベルトはどっかと地面に腰を下ろし、大きなため息をついた。
「全く一体何匹のゴブリンを殺したんだろうねぇ。あたしも途中から数えるのやめたよ。」
ドーリスも矢が切れてからは短剣でゴブリンと戦っていた。
「こういう時は魔術師ってあまり役に立たないんだよねー。ファイヤーボールはまだ2回が限界だし。」
混戦になると防御力に劣る魔術師は戦力にならないことが多い。エリーザは第三位階のファイヤーボールが使えるので、敵の数を大きく減らすことに貢献できるが並みの魔術師なら足手まといにしかならない状況なのである。
「で、いったい何匹いたんだ?」
「わかんないよねー。少なくとも300位いたんじゃない?」
アルベルトの疑問にエリーザは300位と答えたが、これからこのゴブリンの死体を片付けなくてはならないのかと思うとその数にげんなりしてきた。
生物の死体をそのまま放置していると物凄い腐敗臭がする上に、衛生上極めて問題がある。細菌、病原菌などという概念がない世界ではあるが、腐乱死体から伝染病が起こるという事は経験則として知られていた。
さらに、アンデッド化という無視出来ない問題がある。戦場で亡くなった戦士なども弔われず放置されるとアンデッド化することがあると知られている。
人に限らずゴブリンや動物なども死体のまま野ざらしにされると、アンデッドとして彷徨いだすことがあるのだ。
それを防ぐためには丁寧に弔うか、もしくは火で焼き尽くす必要があるのだ。ゴブリンを弔うことはないので一か所に集めて燃やすことになるのだろうが、300体以上となるとその労力は大変なものである。アルベルトやエリーザがげんなりするのも当然であった。
「やはり何かおかしいですね。ゴブリンがこんな大量に溢れ出ることは珍しいですよね?」
アインフォードがアルベルトに確認するように尋ねる。
「ええ、バルドルとも話していたのですが、連中何かから逃げているとかそんな気がしたんですよね。」
「何かから逃げている…。」
アインフォードは腕を組んで何か考え込み始めた。
「ちょっと気になるので見てきますね。あ、キャロット、ワイバーンの素材の回収をしておいてくれるかい。」
「え、アインさん?」
「了解いたしました。いってらっしゃいまし。」
アインフォードは村の外に走っていくとフライの魔術で空に飛びあがり、そのまますさまじいスピードで大森林の方に飛んで行ってしまった。それを見てキャロットは農場に放置してあるワイバーンの死体から素材の回収に向かった。
「とりあえず俺たちはゴブリン片付けないとな。」
アルベルト達は村の外にゴブリンの死体を運び出す仕事にとりかかった。
アインフォードは一つ恐れていることがあった。それはこの世界でも100年前に起こっている「オークの狂化」である。
100年前、ヘルツォーゲンに押し寄せたオークの大軍団は10万匹以上だったと語り継がれている。おそらく誇張などもあるだろうが、その時にはヘルツォーゲンの兵力のみならず、王国中の騎士や兵士が動員され、多大な犠牲を払って撃退したとなっている。吟遊詩人の歌う物語の中にその時の伝説は多く残っており、民衆にも親しまれている話だ。
しかしそれがきっかけで王国の国力は減退し、帝国による侵攻が起こり、以後つい最近まで続いていた100年戦争が起こったのである。ちなみに100年戦争は現在停戦されているだけであり、正式に終了したという訳ではない。平和とは次の戦争のための準備期間であるというのは国の運営にかかわる者なら誰でも知っていることだ。
ヘルツォーゲンはその時の教訓から高い城壁を築き、モンスターの襲撃に対しては他に類を見ない城塞都市となっているが、この100年はモンスターの襲撃はなかったはずである。
もし、狂化が起こっているのなら今回のゴブリンの襲撃や、ひょっとしたらワイバーンがこんな人里近くに巣を作ったことも関係があるかもしれない。
ゲーム「ソウル・ワールド」にはレイドイベントがあった。一つのパーティだけでなく多くのプレイヤーが協力して当たる大規模戦闘イベントである。
オークの狂化は初心者から中級者用レイドとして知られていた。ボスであるオークキングはレベルで言うと60であり、初心者パーティがレイド入門として中級者と同行することで経験を積むためのイベントと言えた。
オークの狂化といっても登場するモンスターはオークだけではない。この時ばかりはヒドラやジャイアントまでどういう訳かオークと共に行動を行い、大挙して人里に襲いかかるのだ。たちが悪いのはそれこそワイバーンのような飛行型のモンスターが混じっていることである。いかに高い城壁を築いても空を飛ぶモンスターには無意味である。
このように幾つのも種のモンスターがオークとともに現れるのはあくまでゲーム的な理由によるものだろうとアインフォードは思っていた。ゲームのイベントに登場するモンスターがオーク種のみだと面白みに欠けるから多様なモンスターが配置されているのだろう、そう思っていたのだ。
では、それがこの現実と化した世界で起こったらどうなるのか?多様なモンスターはオークキングの支配下にはいるのか?そもそもオークの狂化はなぜ起こるのか?
それはもちろんアインフォードにもわかるはずもない事だったが、いくつかの仮説をアインフォードは立てていた。
1つ、オークキングは異常なカリスマを持った個体であり、周囲のモンスターを支配下に置くことができる。
2つ、単に大量のオークに押し出される形で他のモンスターも人里に押しやられてしまった。
3つ、オークキングは表向きのボスであるが、その裏にいわば「魔王」ともいうべき存在がいる。
「ソウル・ワールド」には常設的なラスボスとしての「魔王」は存在していなかった。イベントとして「魔族の王」というレイドイベントが行われたが、それはオークの狂化とは全く別のレイドイベントであり、難易度も狂化どころではなかった。3か月にわたって行われたそのイベントは過去最高の難易度と言われ、すべてのプレイヤーを強制的に巻き込んだまさに世界の命運をかけるようなイベントだったのである。
しかし、アインフォードは先のマシーナリー事件でかつてはゲームの世界と同じような歴史があったことは確認しているが、100年間オークの狂化が起こていないという事はゲームのイベントを起こしているとは考えにくいと思っていた。ここはすでにゲームの世界ではないのだ。ましてや魔族などという存在はアインフォードの知る限り存在した形跡がなかったのである。
では今回のこのゴブリンのスタンピードは何が原因で起きているのか。アルベルト達が言っていたことは、戦いの中でアインフォードも感じていた。ゴブリンの必死さが尋常ではなかったのだ。あれは何者かから逃げている、もしくは強力な上位者から強制されているといった可能性が高かった。やはりオークキングが発生したのだろうか。
レベル60のモンスターをこの世界の戦力でどうやって倒すというのか。100年前のオークの狂化を乗り切った当時の指導者には尊敬を禁じ得ない。
アインフォードはそのようなことを考えながら大森林に差し掛かるところまで飛行していた。
そしてそこで大森林の彼方から押し寄せるように迫ってくるオークの大軍と木々の上に頭が飛び出すほどの巨体を持ったジャイアントの一団を発見するのであった。




