武侠 2
「武侠」はこれまで対象者が支払えないような要求をしたことはなかった。村々から金品を脅しまがいの行為で徴収することはあっても、女性を拉致したり作物を強奪したりするようなことをしたことはなかった。
そういう意味でも今回のアインフォード一行に対する要求は異質であったのだ。
ゲラシムより「武侠」の話を聞いたとき、アインフォード達は無茶な要求をされることはないとは聞かされていたが最悪の事態もある程度想定していた。
これまででもヘルツォーゲンにてリコリスが暴漢に襲われたことがあったし、キャロットに至ってはアインフォードと共にシュライブベルグにおいて拉致監禁までされたことがあるのだ。
キャロットとリコリスの美貌はそれほどまでに際立っているのである。
「武侠」がそう言った要求をしてきたときにどう対応するかはアインフォード、キャロット、リコリス、エイブラハムの4人の間である程度話が行われていた。
もしこの場にいる女性メンバー全員を要求された場合、「武侠」がたとえ地域の安全に貢献していようが殲滅させるつもりであったのだが、今回のように1人だけを要求された場合はリコリスが彼らについていくというように取り決めてあった。
もちろん出来るならそれは避けたい事態であり、金品で済むならそれに越したことはなかったのだが、リコリスであるならどのような状態であろうと脱出することが可能であるのだ。
リコリスはガス化することであらゆる束縛を脱出することができる。また最悪殺されるようなことになっても、ヘルツォーゲンの棺で次の日には復活する。
もちろんリコリスやキャロットを殺害できるような猛者がそうそういるとは考えにくいのではあるが、ダーク・アポストルのような歪んだ転移者がいないとも限らない。
そしてこの街道で問題を起こしてしまった場合、「武侠」は意地になってでも敵討ちと言って襲い掛かってくることになる可能性もある。
そうなるともう彼らを殲滅するほかなくなってしまうので、街道や人目に付くところでの問題は避けたかったのだ。
それゆえわざと拠点まで連れて帰らせ、そこで逃がしてしまったというならこちらは何もしていないわけだし逆恨みもされないだろうという判断もあった。
もっともそれで納得してくれるような人種であるならそもそもこんな問題など起きないのではあるが。
「私が行きます。」
リコリスがそう宣言すると一団のリーダーは大層満足な顔をしてリコリスを拘束するように部下に命令を下した。
「悪いな嬢ちゃん。なに命まではとらねぇよ。ちょーっと窮屈な思いさせちまうが我慢してくれよな。まあ出来るだけ優しくしてやるから後でたっぷりご恩返ししてくれよな。」
「いったい私をどうするつもりなのかしら?」
「うへへへ。んなこたぁ分かってるだろ。大人しくしてりゃしばらくしたらシュライブベルグでいい暮らしができるように計らってやるよ。」
ここまでの会話でアインフォードには彼らが何を目的にこのような提案をしてきたのか想像がついた。
ぶっちゃけた話彼らの目的は違法奴隷の確保であると思われたのだ。「武侠」は今までそういったことはしていなかったはずだが、何らかの事情があって方針転換したのかも知れなかった。
「はあ、でも命の保証はしてくれるのね。それを聞いて安心したわ。」
「当然だろ。ひどい怪我を負わせたりもしないから安心してよいぜ。」
「傷ものにすると値が下がっちゃいますわよね?」
「まあそういうこった。おい、早く縛り上げろ!」
それを見ていて慌てたのはアインフォードとキャロット以外のメンバーである。
「な、アインさん!いいんですか?」
アルベルトは今にも剣を抜きそうな勢いでアインフォードに尋ねた。
「ええ、そういうことにしていますから。」
アインフォードは「武侠」に見えないようにアルベルト達に振り返ってウインクした。
―大丈夫―
口の動きだけで全員に伝える。
それを見たアルベルト達はきっと何か策があるのだろうと動きを止めた。アルベルト達もリコリスの異能は十分に知っている。殺されても死なないこと含めてである。
「あ、ごめんなさい。この外套は借り物なので返しておきたいのですけれどいいかしら?」
「なんだいそりゃ。結構な上物みたいだが…。まあいいだろ。」
「助かりますわ。」
そう言ってリコリスは大切な父の形見であるパラケルススの外套を脱ぎ、それに包ませてこっそり賢者の石もアインフォードに手渡した。
「外套ありがとうございました。」
「ああ、どういたしまして。その代わりこれを持って行ってくれ。」
そう言ってアインフォードは自分の指から指輪を抜き取りリコリスの指に丁寧にはめてあげた。
「あら、こんな時でなければ泣いてしまうところですわね。」
そう言ってリコリスは武侠のリーダーを振り返りこれは取り上げないでくださいね、とお願いした。
リーダーはその指輪をちらっと見たが石もはまっていない銀の指輪である。まあそれくらい良いかと頷いた。
そうこうしているうちにリコリスは後ろ手に縛られ目隠しをされた状態でリーダーの馬に乗せられていた。
「お前さんらは運がいいぜ!女一人で実質通行料は只だ!じゃ、良い旅をな!がはははは!」
「リコリス!元気でやるんだぞ。最悪の時は元気にやりすぎちゃってもしかたないからね。」
それを聞いたリコリスは「はい!」と大きな声で返事をした。
武侠が彼らの前から立ち去ってからすぐにゲラシムは狼狽えたようにアインフォードに詰め寄った。
「あ、あの。良かったのですか?確かに私もリコリスさんは高位のアンデッドで普通の人間では相手にならないと聞いていますが…。」
「ええ、大丈夫ですよ。もとよりこういうことが起きたらリコリスが手を上げる手筈にしておりましたので。リコリスはあらゆる拘束を脱出する手段を持っていますから。」
「それに先ほど渡した指輪ですがあれは私の持ち物でして。あれに対してロケートオブジェクトを使用することでリコリスの居場所は特定することができます。」
「そのような魔術もあるのですね…。」
ゲラシムは魔術に明るくはない。アインフォードの言った魔術は物品捜索には定番の魔術であるが、その探し物の事を良く知っていたり長時間身に付けていたりしたものほど広範囲にまた正確にその場所を知ることができる。
アインフォードが身に付けていた指輪である。相当な広範囲で捜索ができるだろうし、あまりにも距離が遠いところにある場合でも物品のある方角を知ることができる。
「リコリスさんはいかなる拘束も脱出可能だという事ですが、脱出しても目隠しをされていましたし、我々を見つけられるのでしょうか?」
アルベルトはこちらから探しに行けることはわかったが、リコリス自身が迷子になってしまうのでは?とアインフォードに尋ねた。
「それも大丈夫ですよ。リコリスも同じロケートオブジェクトを使用できますから。そのためにこの外套を置いていったのですよ。しかも彼女は空を飛べますのですぐに追いついてくるでしょう。」
とは言いながらアインフォードとしてもリコリスが心配でないわけではない。出来る事ならこのような事態は避けたかったのだが、こうなってはリコリスを信じるほかないと考えていた。
「とりあえず私達は先を急ぎ、北の砦でしばらくリコリスを待っていることにしましょう。」
アインフォードの言葉で一行は再び進みだした。
リコリスは目隠しされたままおよそ1刻(2時間)ゆっくりと馬に揺られていた。
このスピードで2時間ほどという事はまだあの場所からそう離れてはいないわね。そうリコリスが考えていると、リーダーの指示でリコリスは馬から降ろされた。ここからは徒歩で進むようである。
「目隠しはまだとるわけにはいかねぇんだ。階段になるから担がせてもらうぜ。」
リーダーはそう言うとリコリスを担ぎ上げ、階段を上りだした。
「もう少し女性は丁寧に扱うべきだと思うのですけれど?」
リコリスはまるで物のように扱われていることに不満を漏らした。
「まあそう言うな。」
それだけ彼は言うとあとは黙り込んでしまった。
そのままリコリスはどうやら牢のようなところに入れられそこでようやく目隠しを外され、縛られた両腕も自由にしてもらえた。
「しばらくそこでゆっくりしているんだ。わかっていると思うが余計なことはしないようにな。」
余計な事と言われても…。両手の拘束まで解いてくれちゃって、私が魔術師という可能性を全く考えていないわね。
リコリスは辺りを見渡し、そこが予想通り地下牢のようなところで、いくつかの牢が連なって設置されており中には幾人かの女性が捕らわれていることが見て取れた。
どうやら皆さらわれてきた人たちみたいですわね。とりあえずリコリスは正面の牢に入れられている女性に声をかけてみた。
「ねえあなた。いつ頃からここにいるのかしら。」
声をかけられた女性はビクッと体を震わせ、リコリスを見つめ返した。
「…昨日連れてこられたの…。」
その女性は村娘の様な身なりをしており、あか抜けない純朴そうな10代の少女だと思われた。
「そう。あなたも大変な思いをしてきたのね。彼らに何かされたかしら?」
「いえ!私は生娘だという事でそういったことはされていません…。でもそうじゃない人は昨晩連れていかれて…。」
「そうなのね。辛いことを聞いたわね。ありがとう。」
生娘だと手を出されていないという事はやはり商品価値を落としたくないという事なのだろうとリコリスは考えた。…ある意味私も生娘なんだけれど。アンデッドだけれど。
さて、どうしようかしら。夜を待ってガス化して脱出することは容易なのだけれど…。
この娘たちも不憫よね。たぶんアインフォード様のおっしゃっていたシュライブベルグの娼館に売られるのでしょうね。
少し調べてみましょうか。
場合によっては「武侠」を壊滅させてしまったほうが良いかもしれないとリコリスは考えていた。
この場からわかることはこの地下牢には独房となっている牢が合計で8室あり、3人の娘が捕らわれている。リコリスが捕らわれているのは奥から2番目の牢である。外に通じる扉は一つだけ。その前には見張りが腰かけておりその近くの壁には鍵束が吊るしてあるのが見えた。
とりあえず外に出ないことには状況もわからないわね。リコリスは見張りが交代するまでの時間を計っておおよそ交代の時間間隔を把握しようとした。
「ねぇ。見張りさん。武侠って人攫いはしないって聞いていたのだけれど?」
リコリスは見張りの男に話しかけた。
「ああ?まあそうだな。」
「でもここにいる人は私を含めてどう考えても人攫いに遭っているようなのだけれど?」
「状況が変わったんだよ。黙ってろ。」
ふーん。どう変わったのかしら。リコリスはその会話だけでどうやら武侠内部で何かお金がいる事態にでもなったのだろうかと予想を付けた。もしくは頭領が変わって方針変更したのかしら。
リコリスがここに連れてこられたのが昼過ぎの事なのでおそらくまだ日は高いところにあるだろう。ここから連れ出されお相手をさせられるにしてもそれは夜になってからであろうから、今のうちに脱出して情報を集めようとリコリスは考えた。
そんな時、外からの扉が開き見張りの交代が行われるようで簡単な引継ぎのようなことがなされていた。
「どうだ新入りの様子は。」
「えらい別嬪さんだよな。妙になれなれしく話しかけてきやがるが大人しくしているぜ。」
「そうか。ま、高く売れそうだな。」
見張り達はそういったことを話しながら粗野な笑い声をあげ引継ぎを終わらせていた。
引継ぎってもう少し話すことがあると思うのですけれど。あまりにも簡単な引継ぎでリコリスは碌な情報を得られなかったことを残念に思ったが、この程度が武侠の組織力なのだろうと彼女の中の武侠の評価を一段下げることになった。
さて、引継ぎが完了したなら次の引継ぎまでの今が一番時間があることになる。リコリスは早速行動に移ることにした。
「ねぇ見張りさん。お手洗いに行きたのだけれど。」
「ああ?そこに桶があるだろ。そこにしとけよ。」
「ええ?よくわからないわ。教えて頂戴。」
リコリスはあまり慣れないことだが少し媚びた口調で見張りに話しかけた。
「ちっめんどくせぇな。」そう言って見張りはリコリスの牢の前までやって来た。
なんか予想通り動いてくれて助かるわね。リコリスはちょっと面白くなってきていた。
「スリープ。」
眠りの魔術を発動させるとあっさりと見張りはその場で眠り込む。ついでに牢に入っている娘3人も眠ってしまった。
本来眠りの魔術はエリアエフェクトであり、範囲内の対象を術者のレベルに合わせて最大人数が決定され眠りにつかせる。わざわざ見張りを近くまで呼び寄せたのはエリアから外れている可能性を考慮してである。
この場合範囲内にリコリスも入っているのだが、リコリスに状態異常系の魔術は無効であるため、自らの魔術で眠りに落ちるといったことはなかった。
リコリスはそのままアンチロックで牢のカギを開け、見張りを入口まで担いで椅子に腰かけさせた。
その後一度牢に戻り、衣服を脱ぎ丸めて寝台に自らがそこに寝ているかのように毛布を掛け偽装した。
これでぱっと見は脱出したようには見えないだろう。牢に鍵をかけなおして地下牢を出たあとリコリスはコウモリに変身した。
さて、ここはどういった場所なのかしら。
一匹のコウモリはパタパタと通路の奥に消えていった。
ペトラの日記
10月某日
今日は冒険者ギルドに行ってきました。もう何度か依頼を出したことがあるのでウドさんとは顔見知りです。
ヒーリングポーションの素材を発注した後、依頼掲示板をなんとなく眺めていました。
いろんな依頼があるのねー。採取系、討伐系、作業系、護衛系、運搬系、調査系。
討伐系を見てみるとオークの討伐が多いみたい。でも中にはオウルベアやライカンスロープの討伐まで!狼男!こわ!




