序
その日は月のない夜だった。
「あら、おにぃさん。あたしを買わないかい?」
魔法の街灯が仄かに照らし出す石畳の街角で一人の黒い髪の夜鷹がふらふらと歩いてきた黒いマントを羽織った冒険者風の男に声をかけた。
その夜鷹は大きな娼館で働くことが厳しくなってきた年齢なのだろうか、比較的安い値段で冒険者風の男に話しかけていった。
ヘルツォーゲンの街は比較的治安が良いとされている。治安は良いとされているがそれはあくまでほかの街と比べれば、と注釈がつく。スラムは普通に存在し、強盗、殺人、強姦などあらゆる犯罪がそこでは日常的に行われていた。スラムでなくても女性が夜に独り歩きなどもってのほかであったが、そういう闇の部分に属している者にとっては過ごしやすい環境と言えた。
特に先の女性のような夜鷹はそういった犯罪者関係の組合に属していることが多く、むしろ犯罪者の側であったので、危機意識は低かった。
「どうだい?ちょっと年は行ってるけど、技じゃその辺の小娘には負け…」
そこまで喋った後を続けることはできなかった。
ゴトリ、と音がして女性の頭部が地面に落ちた。
「…悪いな…。あんたにゃ何の罪もないんだ。あえて罪というなら、そこに居たということだ…。」
男は懐に大事に持っている包みを一度広げ、その中に細長いクリスタルが入っていることを確認した後、まるで何事もなかったかのようにまたよたよたとスラムに消えていった。
「く、また右腕がうずく…忌々しい血だぜ…。」
男の呟きは夜の闇に紛れて誰かの耳に届くことはなかった。
そこにはただ、虚空を睨みつけるように目を見開いた女性の首が残されていた。