四、めでたし(完)
大当たりだった。そんなことは当ってなど欲しくはないが 調べなくてはならない。
表面上は「中務卿の犬っころ」としての無害を装い、その実 優秀な頭脳のありったけを駆使して調査をすることになった。
ことは予想以上に大きかった。
先王の時代、ウケラの各所で 土地が強制的に召し上げられた。
普段は公園として利用し、災害などの有事の際には 避難場所にするためだ。
ついでに 都の整備も兼ねた大規模な計画で、泣きながら立ち退かされた者も大勢出た。
大騒ぎの事態だったが、そのおかげで ウケラの町並みは、見違えるほど美しくなった。
その公園に絡んだ策謀が 進んでいた。
図面上、公園の敷地は はっきりと区分けされているが、現地に仕切りは無い。
美しい木々が植えられ、非常時には防火用水に利用できる池も、散策に適した風景の一部になって、ただただ広い土地があるだけである。
公園整備の名の下に、いくつかが不正に下げ渡されようとしていた。
事情を知るにつれ、カケルは 怒りを覚えた。
陰で多くの人間が涙を飲み、やっと作られたものが、
一握りの悪人の私服を肥やすために利用されようとしていた。
けちな贈収賄事件どころではない。
いつになく本気になって調べた。
すると、それまで表面に出ることのなかった大物が浮かび上がってきた。
おおよその筋は読めたが、大物だけあって用心深く、確たる証拠をつかませてはくれなかった。
何とか未然に防ぎたいが、それには一手足りないのだ。
謀略は静かに潜行したまま、まもなく実行に移されようとしている。
カケルは焦りだした。
気落ちしそうになる心を支えて、糸口を探していたカケルの目に、一人の哀れな男の姿が見えた。
いつぞやカケルに声をかけてくれた小役人だった。
とんでもないことに関わってしまったと、やっと気づいたらしい。
見た目どおりの小心者らしい彼は、気の毒なほどにうろたえ、落ち込んでいた。
哀れだった。
その男を突付けば、糸口の手がかりを探りだせないだろうか。
だが、失敗すれば、こちらの正体をさらす危険もある。
どちらに転ぶかは賭けだった。
仕掛ける好機を探して観察していたある日、足取りも重たげに 裏庭に向かう男の後を 追ってみた。
裏庭は 文字通り雑木と草が生い茂っているばかりで、訪れる者など めったにない場所だ。
男は よろよろと進み、草に埋もれるように 頭を抱えてくず折れた。
カケルが踏み出そうとしたとき、雑木の陰に立つ人がいた。
驚いたことに、クロウだった。
一睨みでカケルを押しとどめて、男に近づく。
何が起こるのか知らないが、カケルは見なかったことにしたいと思い、裏庭に背を向け、他の人間が近づかないように 見張りに立った。
ややあって、男が飛び出してきた。
カケルを見て、慌てて取り繕うように息を整えると、速足で去って行く。
ブブーっ、プ、スー、ビ――ッ、ズズズズッ、
裏庭から奇妙な音が聞こえた。
「何をなさって いるのですか」
音源は クロウだった。
「草笛。案外難しい」
カケルは、草笛なら子どもの頃から得意だ。
音の出しやすい葉を選んで渡し、吹き方を教え始めた。
「一向にうまくならぬ。カケルは教え方が下手だ」
「お言葉ですが、子どもたちには、私の教え方はよく分かると評判が良かったです。クロウ様が下手なだけです」
「世辞だろう。子どもだとて、世辞くらい知っている」
「……くっ、しごきますよ」
上達の見えないクロウに、草笛を本気で指導し始めたものの。
「才能がありません」
投げ出そうとした時、小役人が戻ってきた。
重そうな包みを抱えている。
出てきたのは、日記だった。
何冊もある。
耳障りな草笛を気にする余裕もなく、男は わさわさと日記をあちこちめくり、
「あ、ああ、ありました。この日でございます」
震える手で日付を指した。
ぎっしりと毎日書き綴られた男の日記は、よほど自身について書くことが無いのか、上司や同僚の言動ばかりが事細かに書き記されて、職場の業務日誌と間違えそうなしろものだ。
覗き見たカケルは、目を見開いた。
次々とめくってみていくと、知りたかったことが、ここかしこに見え隠れする。
書いた当人は まるで分かっていないようだが、手がかりの宝庫だった。
何冊もある日記の日付を確認していくと、一冊だけ 昨年のものが混じっていた。
「あ、あ、すいません。あわてて 余計な物まで紛れていました」
クロウが草笛をやめて、それを手に取り、ぱらぱらとめくる。
「これは面白い。この前後のものを全部持ってくるように。その後は病気になれ。寝付いて出仕がままならない。良いな。命が惜しかったら、すぐに寝込んだほうがよいぞ」
完全な脅しである。その一冊をカケルにぽんと放った。
悪巧みは、そんなに以前から始まっていたのかと読みすすめて、カケルの手が止まった。
思い当たる事柄の端切れがそこにあった。
ある意味、悪巧みは すでに始まっていたのだろう。
前哨戦がカケルの追い落としである。
確かに カケルが官吏の座にいたなら、こんなに苦労しなくても気づく立場にあった。
後任が、今回追い詰めようとしている大物の息子だ。
それからのカケルの働きは目覚しかった。
最後のほうは 命の危険を感じる事態にも遭遇したが、知らないうちに窮地を抜け出していた。
自分が何故助かったのか不明だったが、無事なのだからそれで良い、と深くは考えなかった。
自分の身の心配よりも、陰謀を防ぐことが大事だった。
「カケル、出揃った証拠は検非違使長官に持っていけ。話は通してある」
「御意」
「これでそなたも晴れて潔白の身だ。掃除は飽きた。後は好きにしろ」
「はい」
カケルが執務室を出て行くと、クロウは おもむろに立ち上がった。
腕に負った怪我を庇って書類戸棚の空間に身を潜め、内側から扉を閉じた。
カケルが 検非違使の長に面会を求めると、すぐに通された。
徹夜で纏めた証拠を差し出して 頭を下げる。
間に合った。これで終わりだ。
公園地は 無事に民の憩いの場として、非常時の避難場所として、従来の姿を損なわずに済む。
ついでにカケルの無実もはれた。
同じ人物の仕業だった。
ゆっくりと顔を上げると、検非違使の長と目が合った。
鋭い視線で じっと見ていた。
「やはり、カケル殿か」
「あっ、それも クロウ様からお聞き及びでしたか」
「いや、聞いておらん。これでも長年この職にある。薄々そうではないかと思っておった。せっかくだ。 片がつくまで手伝っていきなさい。細かいところも確かめたい。中務卿には こちらからお願いしておこう」
「クロウ様が良いと仰れば、私はかまいませんが」
「ではそうしよう。最後まで見届けなさい」
主だった面々が集められ、見る見る段取りが組まれて 怒涛の逮捕劇に突入した。
それからの大騒ぎは、あまりの大物が絡んでいたこともあって、都を震撼させた。
全部片がつくまでには、それなりの日数を要することになった。
やっと王宮に平穏が戻ってきたある日のこと、
中務卿の執務室にやってきた者がいた。
執務室には人気がなかったが、それを気にもせず入っていく。
カタカタ、バサバサ、と音を立てて しばらく何かをしていたが、
それが終わると部屋の中を見回し、
おもむろに書類戸棚の扉を開けて、覗きこんだ。
「クロウ様、何をしておいでなんです」
「沈思黙考」
中から返事が返る。
「出ていらっしゃいませんか。お茶を入れます」
クロウが戸棚から這い出しざまに言った。
「カケル、せっかくの髭を剃ったのか」
やはり腕をつかんで引き寄せての 一言だった。
言われたカケルは、久しぶりに どぎまぎする。
むき出しになった顔が赤くなっているのが 丸見えだ。
「ふん、髭が無いと ますます間抜けな面だ。とんと真昼に出た月のようだ」
「あ、あのう、お茶を……」
無理やり体を引き離して カケルがお茶を入れ始め、クロウは腰を下ろした。
閑散と片付けられていた執務室に、二つのものが増えていた。
大きな花瓶いっぱいのとりどりの季節の花と、小さな花瓶に挿した草笛用の葉っぱである。
クロウが気づいたことを見定めて、カケルが にこりと笑った。
「掃除のしすぎは殺風景でいけません。花びらが何枚か散らかっているくらいが 風流です」
「…………そうか、風流を解するようになったのなら、大臣になってもやっていけよう。我慢した甲斐があった」
今回集めた膨大な不正の証拠は、カケルが大半を隠した。
全部を立件すれば 王宮の運営に差しさわりが出る ということもあるが、わざわざ罪に落さなくとも何とか 方法はありそうに思えたからだ。
放っておくわけにはいかないから、手を打たなければならないのは同じだが、罪人を増やせばいいというものでもない。
しかし、それには 一つ、どうしてもしなくてはならないことがある。
くすぐったそうな顔で、カケルがお茶を差し出した。
「どうぞ。クロウ様のおかげです。以前の私は、真面目一辺倒で 余裕がありませんでした。今の私は 融通無碍、酸いも甘いも 試しに齧ってみる余裕が出来たように思います」
「おっ、茶を入れるのも 少しは上達したようだ」
お茶を飲み干したクロウの腕に そうっと手をかけ、カケルのほうから近づいた。
クロウは わずかに目を見開き、面白そうな表情を浮かべる。
「そこで お願いがあります。私の濡れ衣も晴れました。王宮勤めに戻りたいのですが、お力を貸していただけますか」
「よかろう、引き受けた。何処の職が良い」
「中務省に……。ここにおいてください」
「……」
カケルが さらに顔を近づけた。
「引き受けたと仰いました」
「いいのか。ここにいたら太政官参議になる資格が取り難い。大臣にはなれぬ」
「大臣なら他にもなり手がございましょう。ですが、クロウ様のお守りは、憚りながら、私が適任と思います」
「ふっ、やっと私のものになるか」
今度は、クロウがカケルの腕に手をかけて 微笑んだ。
「ああーっ、いけない、忘れていました」
突然のカケルの大声に、何事かとクロウが驚く。
「病気を命じた小役人に、治っても良いと言っておりません」
「ああ、まめに業務日報を書いていた男か。まだ引きこもっておるのか」
「日記です」
「あれが日記? 日記なら私も書いているが、どう見ても あれは日記とはいえぬ」
カケルは目をしばたいた。
クロウと日記が 結びつかない。
いったい何を書いているのだろう。
考えていることも、行動も、予測不可能なクロウである。
日記を読めば 少しは理解出るかもしれないと考え、にわかに興味をそそられた。
「クロウ様が日記ですか……」
「見たいか」
「はい、あっ、いいえ」
「ふふふ、カケルならば見せても良い。どうせ、そなたのことばかりだ。毎日カケルが何をしたとか 何を言ったとか、どんな報告をあげてきたとか……」
「あのう、それも業務日報では……」
クロウは、むっとした顔をした。
「違う。明らかに日記だ」
腕をつかんでいた手を ぐいと引き寄せ、
近頃さらに美しさを増した顔を 触れんばかりに近づけて、
真剣な目で宣言する。
「わ、分かりました。では、私はあの男に使いを……」
「捨て置け。もう少し、ここにいろ」
マホロバ王国に 爽やかな季節が巡ってくる。
了