二、お掃除をします
やがて、省内が落ち着きを見せた頃、
「執務室が気に入らない。雑然として 風流に欠ける。掃除をしようと思う」
と、クロウが 言い出した。
「では、下官の者を 呼びますゆえ、お好きなように ご指示をお申し付けください」
「いや、誰も呼ばなくて良い。自分でする」
「いえ、それはちょっと。中務卿に御自らお掃除をさせるなど、もってのほかでございます。どうぞ遠慮なく こき使ってやってください」
「私を殺す気か。退屈で死にそうなのだ。 どうしても駄目なら、他に面白そうなことを考えなくてはならぬ」
あわてて了承された。
妙な騒ぎを起こされるよりは、掃除でも何でもさせておこう。
外聞は悪いが、内緒にしておけばいい。
確かに、退屈なのは理解できる。
今のところ、仕事は宮中の行事をはじめ、クロウが就任する以前からの流れで 動いていることばかりで、本当にすることが無いのだ。
執務室にこもってコツコツ掃除に励んでくれれば、かえって安心かもしれない。
手伝いも一切断って 全員追い出したクロウは、まずは軽装に着替え、腕まくりをして備品の整理をしてみると、どういうわけか重複しているものがかなりある。
入用になりそうな予備を除き、余分なものは配下に下げ渡した。
どれも一級品ばかりで、これは大いに喜ばれた。
次には、立派な書類棚の中身である。
よく見ると、どうでも良いような書類ばかりだ。
最終決定された形ばかりの報告書で、旧いものから丹念に見ていったが、毎回変化が無い。
基本のものを残し、変更が出た部分だけを纏めて書き直した。
書き手が替わった場合の基本形は残し、どんな些細な変更も見逃さず、漏らさなかったが、
それでも、ぎっしりあった書類は四分の一に減った。
その結果、書類棚に大きな空きが出来た。
仕切り板は、外して動かせるような作りである。
クロウは 不要な仕切りをどけて、 出現した大きな空間を眺めていたが、何を考えたのか、 もぐりこんで 内側から扉を閉めた。
それ以降は、戸棚の暗闇で日がな一日 引きこもって過ごしたが、
人気の無い執務室を気にする人間は、なかなか 現れなかった。
自身を収納したクロウは、そのまま気づかれること無く放っておかれ、幾日かが 過ぎた。
そうしたある日のこと、やっと部屋の外から人の近づく気配がした。
クロウに向かって声をかけていたが、返事が無いのをいぶかしみ、様子を確かめようと恐る恐る部屋に入ってきた人物が二人いる。
「おお、部屋が随分とこざっぱりしたようだが、主の姿が見えないようだ。飽きてくださったのであれば重畳。何処ぞで遊んでいらっしゃるなら、面倒が省けて助かる」
ナユタの声だ。
「この時期はちょうど宮中行事も無く、各部署で、移動をはじめ仕事の動きを抑えておりますから、 そろそろと思っておりました」
もう一人の声が 応じる。
「皆の協力のおかげだ。これで 仮令有ったとしても、やる気など消えただろう。後はお気楽な置物に仕立て上げれば、以前と変わらず上手くやっていける」
「これまでどおりにナユタ様の天下。われわれも甘い汁のお零れがいただけるというものです」
他に人目の無い 無人の執務室と思って交わされる会話は、
胡散臭い内容を孕んでいた。
書類戸棚の中で、クロウは欠伸をかみ殺した。
それから数日後、みすぼらしい身なりで 腕まくりと頬かむりをした男が、
「お掃除に参りました」
と中宮司に現われ、勝手に そこらを整理し始めたが、
誰も その男を気にしなかった。
備品はきちんと整えられ、書類も見事に分類されて、ぎっしりと詰まっていた棚や戸棚に 大きな空きができた。
「旧い書類は 庫に納めました」
「ご苦労であった」
その男が中務卿だなどと気づく者は、ついに一人もいなかった。
いつの間にか空いた書類棚に、人が隠れる場所が出来ていることなど知るよしも無い。
それ以降、中務省の各部署には、まめな掃除人が出没し、次々に書類が整理されていった。
「あまりに間抜けだ。警戒心も無さ過ぎる」
各部署で見つけた不審な事柄と、盗み聞きした不審な会話や怪しい噂 を纏めた膨大な覚書を手に、
クロウは 呟いた。
「私専用の下官を雇いたいと思う。一人ぼっちは寂しい」
執務室に現われ、ナユタを呼びつけたクロウは、こう切り出した。
「かしこまりました。早速 手配をいたしましょう」
内心では、自分から下官も召使も遠ざけたくせに、 今更何を、と思いつつも、
気まぐれな王子をうまく操れる人物を、頭の中で物色し始めた。
「いや、自分で探す。退屈なのだ。しばらく留守にしても かまわないだろうか」
これまでも、居るのか居ないのか分からない状態だったのだ。
これも、今更な話だった。
「はい、ご不在を埋め合わせるよう、私どもが精一杯努力いたします。お心おきなく どうぞ。月初めだけは、前月の報告とその月の予定を ご確認いただきたいので、お顔をお見せいただければ有難く存じます」
要するに、居なくても 一向に差し支えない、という意味だ。
「では、後のことは よろしく頼む」
どうせ 好き勝手にやるんだろう、という意味である。
翌日、宮中からも都からもクロウの姿が消えたと知って、さすがにナユタは慌てた。
どういう手段で下官を探すつもりか知らなかったが、まさか、いきなり都を出るとまでは 思っていなかったのだ。
さらに、護衛を命じられた者が誰もいないと知り、
月初めになっても現われなかった時の言い訳を考え始めた。
変人とは聞いていたが、ここまで無謀な行動に出るとは 思っていなかったのだ。
やっかいなお飾りを押し付けられたものだ。
だが、やりようはあるだろう。
変人ぶりを利用すればいい。使い方次第 というわけだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
マホロバ王国の都ウケラの西北に、小さな里村がある。
ゆっくり歩けば 、二日ほどでウケラに行くことが出来る。
冬には山おろしの風が強く、起伏の多い土地は作物を作るのに苦労が多い。
広い国土からすれば 豆粒ほどの領地ではあるが、
代々の貧乏領主が工夫をしながら真面目に統治してきた甲斐あって、領民は 穏やかな暮らしをしていた。
都から近い距離にありながら、正真正銘ド田舎である。
「よーし、ナギは読み書きがよく出来るようになった。 えらいぞ。あとは 算術をもう少し頑張ろうな」
村の子どもたちを集めて 勉強を教えているのは、領主の息子カケル。
二十四歳になるが、未だに独り身である。
昨年まで 宮廷官吏として将来を嘱望されていたが、故あって都落ちしていた。
故郷で冷や飯を食う身である。
「ああああ、算術は苦手なんだ」
しかめっ面のナギに、他の子どもたちが笑う。
ここまで小さい領地では、領主の若君といえども 領民と分け隔てのある暮らしをしている訳ではない。
子どもたちも、臆することなく懐いていた。
「計算が出来れば、大人になって 暮らしや仕事に役に立つ。だが それだけではないぞ。物事の筋道を立てて考える時にも きっと役に立つ。案外面白いのだ」
「あたしは好きだ。面白い」
「ほう、アマメはよく分かってきたな。その調子だ。 ナギも分かるところからでいい。頑張ろう」
情けない顔のナギに、また みんなが笑う。
そのとき、遠くから蹄の音が近づいてきた。
そのあたりでは、馬は荷を運ぶもの と思っている。
乗って走らせる者は、めったにいない。
近づいてくる音は、明らかに荷車を引いていない。
子どもたちは、興味を引かれて騒然となった。勉強どころではない。
「今日はここまでにしよう。 何処の誰が馬を駆けさせているのか知らないが、近くの者ではないだろう。みんな 気をつけなさい」
子どもたちに注意を与えて返したが、
まさかその馬が自分のところに来るとは、思ってもみなかったカケルであった。