発端
6月21日
「零戦の機体をベースに、ですか?」
国会前の議事室でそうきいたのは、防衛省大臣の上堂源一だ。その発言に、首相の鳥井秀満が応ずる。
「そうだ。第二次世界大戦時に「大きな活躍」をした零戦の機動性を注視したものを、作ってほしい。――できぬかね?」
最後の「できぬかね?」は拒否権を封じたものだろう。こうなると鳥井は止められない。上堂の隣でふいに溜め息をひとつきした私――楠田坰にとって、これが悪夢の始まりであった。
日本国。目覚しい科学技術の発展によって生活をより良いものにしようと、日本の全都市を地下へと移した。そうして地上に内閣府と貿易点だけを置いたため、安全な取り引きが可能となったのである。また、地上と地下とを繋ぐゴンドラにもロックがかけてあるため、「機密性」が保たれるようにもなった。――そう、機密性が――
一般人がそうやすやすと地上に出る事はできないため、地上に作られた「内閣府」の内部情報を知る由もない。これが鳥井内閣のねらいである。
一見すると平和で穏便、民主主義的な内閣だが、その実情は絶対に地下市民の目に触れる事の無い恐ろしいものであった。
地下市民に見えない事をいい事に、鳥井は次々と独立政権を完成させていった。
まず仕掛けたものは、「与野党共に議員の永続任期」である。表向きの説明は「長年の政治家目線と知識を活かした政権づくり」である。しかし、与党のみが知る裏向きの説明は「情報漏洩の防止」だった。
また、「情報漏洩を恐れるならば地下に住居を置く議員からの漏洩は否めない」という意見から、議員の住居を内閣府へ増設する事を決定したのだ。
温和で人の良さそうな総理
これが地下都市民の鳥井に対するイメージである。だが実際は狡猾で賢しい性格で、見事なまでに自分の性格を知り切っている。だからこそ厄介な人間なのだ。
楠田も与党の人間として鳥井に準ずる身ではあり、表面上では誠意を示しているものの腹中では悪態の連続である。
楠田もまた、良心的な鳥井のような人物であった。
鳥井がこれだけ好き勝手やっていられるのは、法という唯一の束縛が地下社会に限られたためだった。
当然地下で生活を送る市民にとって、議員の存在などどうでもいい事であったし知る意味も無かった。ただ定期的に地下へと潜り込む「鳥井勢力」が、鳥井という総理大臣は本当に素晴らしい、生活を豊かにする、毎日が平和だ、などと事実であり偽りでもある情報を垂れ流すことでただただ鳥井の印象が良くなっていったのである。
これが鳥井の思惑だった。世間の興味を鳥井一人に限る事で政治活動への目を向けさせず且つ見えない位置へ持ち込む。相当な計画性を持つ人物であったのだ。
「――楠田くん?楠田くん?君はどう思うかね?」
呼ばれてはっとした。いつの間にか意見を募る状態となっていたらしい。
「そうですね……ちなみに零戦をベースにした理由とは何でしょうか?」
「ああ、それはだな――」
「総理、そろそろよろしいでしょうか?」
詳細を聞く前に国会の時刻となってしまった。
「ああ、すまんね。――じゃあ、楠田くんも他の皆も、詳しくは審議の話を聞いておいてくれ。」
「分かりました。」
どうせろくでもない理由だろう――最初はそう思っていたが、そのろくでもない理由が本当に、本当にろくでもない、楠田でさえも予想できなかった理由だったのは、ある意味ショックでさえあった――