第45話 偽者
大聖堂を歩くニアスについていった。
さっき流した涙が嘘だったかのように、ニアスの顔は晴れやかだ。
「不思議だ。本当に誰もいない。君の仕業なのか?」
それはこっちの台詞だ。ということは、やっぱりハチの仕業か。
何がそんなに楽しいのか、ニアスはご機嫌だった。
「素晴らしい。私は君になりたいよ。
いや、正直に言おう。私は君になれる」
ニアスがニアスじゃなくなっていく。
俺の顔、俺の体、俺の声に、姿形が変化していく。
あれは、俺そのものだ。俺の偽者ができあがった。
確かにこいつは、人間の形をした化け物だ。
偽者は、俺の反応に少し申し訳なさそうだった。
「すまなかった。あんまり嬉しかったから、つい。ニアスは死んでいない。この体に一緒に宿り、今は眠っている。酷いことをさせてしまった、せめてもの償いだ」
こいつは危険だ。ゴーレムも俺の命令を待っている。
俺の意図に気づいたのか、偽者は慌てている。
「待ってくれ、お互いに協力し合える。聞いてくれ、何のためにこんなことをしているかを。
だめだって言うなら、考えがある。ニアスや、この子を、傷つけられるか?」
偽者は姿を変化させた。紛れもなく、リリィだった。
再び俺の姿になった偽者が言う。
「そう、リリィも一緒だ。二人を起こさせないでくれ」
今は従おう。あくまでも今は。
「リリィは、正体を知られてしまったからやむをえなかった。世の中には恐ろしい人間がいくらでもいる。そんなやつらに見つかったら、捕まって研究材料にされてしまう。だから私は、ずっと隠れて生きてきた」
歩き出した偽者についていく。
「私を作った人はろくでもないやつだった。思い出したくもない。
ただ、一つだけ感謝している。魂を自由にする力を授けられたんだ。いろいろな人たちの力、そして記憶を手に入れてきた。
なあ、この世でかけがえのないものってなんだと思う?」
かけがえのないもの……?
「人それぞれなのかもしれないが、私にもかけがえのないものができた。
夢を語る子供たち。悩みといえば恋愛くらいだ。好きな子と目が合うだけで嬉しいのに、手なんかつなげた日は、そりゃもうね。甘酸っぱいったらない。
君もそうだったろ?」
馬鹿にしているわけじゃないよな。俺はそんな経験をしたことがない。
偽者も察したようだ。
「ごめん。そんな悲しい顔しないでくれ。
子供もいずれ大人になっていく。誰かと結ばれて、今度は自分が親になる番だ。たくさんの子供を目にしてきたはずなのに、自分の子となると特別だ。見つめてくるし、話しかけてくるし、抱きしめれば心まであたたかい。当たり前だけど、生きている。それが不思議なんだ」
そう言われても、俺はそれを経験できなかったような人間だ。
偽者は戸惑っている。
「どうして落ち込む? 君にとってはこれからの話じゃないか。
いや、そうか、不安になるのもわかる。現実は厳しい。何度となく挫折を経験するかもしれない。
挫折どころではなく、絶望をつきつけられる世界だけはあってはならない。立ち向かえる世界であってほしいんだ」
大聖堂の庭園に足を踏み入れた。
偽者は、花壇に咲く白い花を一輪摘んだ。
「この花には、人間を堕落させる成分が含まれている。こういうものは誰かが管理しなくてはならない。エリクシア教団がその管理者だ。学者や技術者を抱き込み、適切に管理指導することが教団の真の使命だ。
管理とまではいかなくても、みんなが平和に暮らせる世の中にしたい。私の使命だと思っている」
偽者の口調が熱を帯びてきた。
「飢える者に施し、病める者を治療し、争う者を仲裁する。『今日は何か食べられるかな』ではなく『今日は何を食べよう』とみんなが考えられる世の中にしたい。
そのためなら、何だってする」
偽者は必死な表情だった。
「想像してみてくれ。帝国で内乱が起きたらどうなるかを。
そんなこと、私が許さない。私がみんなを守る。子供たちが将来に希望を抱けない世界には、『この子だけは』と守ろうとしても親子ともに死んでいく世界には、絶対にさせない」
偽者の顔は俺と同じはずなのに、別人のようにしか見えなかった。
「始まってしまったら、私程度の力ではどうしようもなくなる。たくさんの人々の命を犠牲にして、世界は平和を取り戻しました。そうなる前に防げるなら防ぐべきだと信じた。
君にはわかってほしい。わかってはくれないかな?」
俺と同じ顔の人間に、一つだけ聞いてみたくなった。
「もし、自分を犠牲にすれば大勢の人を救えるとしたら、どうする?」
「世界はそれほど優しくない。でも、そんなことがあるとするなら、捧げられる人間でありたいと思うよ」
俺とは違う。
でも、これからこの偽者をどうするかとは関係ない。もう心は決まっている。
「こいつを捕まえてくれ、グリーン」
イエローにはそばで守ってもらう。
グリーンは偽者と対峙した。相手の見た目は俺そのものといえど、動きに迷いはない。
偽者も覚悟を決めた。しかし、恐れや不安はなく、勝てると信じている眼差しだ。
その手に持つ花が石と化していく。あれはコカトリスと同じものだろう。人間が使えるスキルじゃない。
「わかり合えないのなら、君も私と一つになってもらう」
石の花を砕いた偽者は、地面を蹴って空高く飛び立った。
追いかけるようにグリーンも飛び立つ。両者は空中で激突した。
俺は偽者よりちっぽけな人間なのかもしれない。偽者を放っておけば俺自身が危うい。話を聞いていても、そればかり気にかかっていた。世界がどうとかは二の次だった。
俺は大切な人を自分より優先する人間でありたい。その次が自分でありたい。それ以外の人というのは、あくまで優先順位が満たされた上での話だ。俺は、助けを求めている人たちのために自分を犠牲にはできない。
でも、できる限りは力を尽くしたい。俺にしては悪くない志じゃないかと思うのは間違っているだろうか。
だって、元は布団に包まって妄想していた人間だ。例えつまずく出来事があったとしても、もっとまともな人間なら立ち直れたはずだ。いつまでも引きずって、ろくな死に方をしなかった。
神に意思があるとしたら、こんな俺を嫌っているんだろうか。
偽者の体は、どんな傷を負っても即座に治癒した。しかし、いつまでも治癒できるわけではないんだろう。長引きそうだが、消耗がはっきりと見てとれる。グリーンに触れることもままならない。実力で上回るグリーンが優勢だった。
それでも諦めないのだから、何かあることは明らかだった。偽者は、ひたすら逆転の一手を狙って耐えていた。
グリーンの欠片が顔に当たる。
偽者の手に触れられた瞬間、グリーンの体は粉々に破裂して飛散した。




