第4話 賢者の果てに
平穏な日々を送り、十二歳になった。前世なら中学生だ。体も成長しているが、体力のある方ではない。
でも、あまり苦にならない。衣食住に困らず、気ままに生きられるからだ。それほど自堕落になっていないのは、シロが見守ってくれて、ゴーレム製作にのめり込んでいたからだろう。
もう何体作ったのかもわからない。水の補給などで入れ替わりが激しくて数えられない。作る度に数えておけば良かった話だが、困る場面も今のところないし、別にいいだろう。
そろそろ別の分野に挑戦するのもいいかもしれない。調べるなら本だ。
シロと一緒に見繕いに行くと、ぶつぶつ独り言を呟きながら歩くダドゥを見かけた。これまで数えるほどしか見かけず、話したこともないが、見る度に一層虚ろでくまの濃い目になっている。いつ倒れてもおかしくなさそうだが、賢者と呼ばれるからにはそこら辺なんとでもなるんだろううか。
通り過ぎようとすると、ダドゥの目がギョロっと動いた。
「誰だお前は?」
十年以上放ったらかしていれば忘れるのも無理ないか。
「あなたが昔作った人造人間です」
ダドゥは思案した。
「……よくも今まで生き長らえたものだ。どれ、何か実験でもしてみるか。こっちへこい」
何を言い出しやがるこの爺さん。手を伸ばしてきたダドゥにたじろぐと、シロが立ち塞がった。
「マスター、いいのですか? お忙しそうでしたが」
ダドゥははっとした。
「そうだ、遊んでいる暇はない。肉体の生成さえ成功すれば……」
ダドゥは再びつぶやきながら去っていった。
俺一人では逃げられなかったかもしれない。
「助けてくれてありがとう」
「いえ。行きましょう」
本棚を見ていると、一冊の本に目がとまった。題名を「賢者ダドゥ」という伝記だ。流し読みしてみると、ダドゥが褒め称えられている。あの爺さん有名な偉人だったのか。それがどうしてあんな風に。
部屋で読んでいると、唐突に扉が開け放たれた。目が執念でギラついているダドゥだ。
「見つけたぞ!」
「何事ですか?」
「お前は引っ込んでいろ!」
進路を遮ったシロが突き飛ばされた。怪我はないようだが、許せない。
「シロに乱暴するな!」
睨みつけると、ダドゥは睨み返してきてニヤついた。
「お前に感謝しなければな。わしは人造人間の生成に失敗していた。肉体の生成は今のお前を見ればわかるように上手くいった。問題は、心だ」
心臓の鼓動が速くなる。ダドゥは俺の正体に気づき、暴露しようとしている。シロにだけは聞かれたくない。
「引っかかっていた。ずっと目を覚まさなかった赤子が突然覚醒したのだから。そういうものなのだとあのときは納得した。だが、さっきお前のデータを見直し、研究も洗い直して驚いたぞ。その体に宿っているお前は誰だ?」
思わずシロを見た。まだ事態を飲み込めていないのか、困惑している。
「僕は僕だ。他の誰でもない」
「はぐらかすな!」
ダドゥは怒りに任せて壁を叩く。
「侮辱しおって。腹立たしい。……だが、許してやろう」
背筋も凍るような表情のダドゥに腕を掴まれた。
「この際これで構わん。体を返してもらうぞ」
「放せ!」
もがいても逃げられない。引きずられるひ弱な体が恨めしい。
「ヒロ!」
シロに抱き止められた。
ダドゥは声を荒げる。
「邪魔をするな!」
「違います! まだこの子のデータを取り終えていません! だから――」
「取り消す、放せ!」
「では私が処分します! 任せてください、手を放してください!」
「馬鹿を言うな! 処分も取り消しだ! お前の役目は終わった!」
シロの込める力が弱まった。でも、それでも放さない。
「私は、私は……」
必死に抗うシロに、ダドゥは痺れを切らした。
「お前たち、046番を引き放せ! ……どうした、なぜ動かん!」
ダドゥは周りにいたゴーレムに命令した。ゴーレムたちは顔を見合わせたが、何もしない。
なぜ気づかなかったんだ。ゴーレムは俺をじっと見ている。彼らは俺のゴーレムだ。
「ゴーレム! ダドゥを引き放して拘束しろ!」
「なんだと!?」
ゴーレムたちはダドゥに群がった。引っつき放して地面に押さえつけた。
「貴様、いつの間にこれだけのゴーレムを」
「あなたの本で学びました。どうしてこんなことを」
ダドゥは鼻を鳴らした。
「言ったところで何になる。わしをどうするつもりだ?」
「どうって……」
このまま拘束するしかないが、ずっとこうしておくわけにもいかないだろう。
「僕にはあなたが悪人にしか見えない。でも、あなたの伝記を読みました。伝記にはあなたは人々を救った賢者だって」
ダドゥは狂った笑い声を上げた。
「わしは昔から何一つ変わらぬ。自分のために研究を続け、その成果がたまたま誰かの救いとなったにすぎん。哀れなことだ、利用されただけだと知らず、崇拝していたのだからな」
「本当に利用しただけですか? 救いたいという気持ちもあったんじゃ。だから――」
ダドゥの声色が低くなった。
「さてはお前、怖れているな。さっさと始末してしまえばいいものを。わしがお前の立場ならそうしている。怖いのだろう、人を殺すということが」
図星だ。殺めるどころか、傷めつけることさえためらっている。
ダドゥは笑う。
「どこぞの盗人かと思えば、単なる臆病者だったらしい。わしは違う、例え何を犠牲にしてでも生き延びる。046番、その小僧を始末しろ! これは命令だ!」
シロが果物ナイフを拾った。辛そうに顔を歪めて近づいてくる。
「私はマスターに逆らえない。そう改造された。私は殺す。ヒロを、この手で」
シロは目の前でとまった。
「命令には逆らえない。でも、その前に、できることがある。私の自由意志は制限されていない。私は私を――」
「シロをと止めろゴーレム!」
ダドゥを抑えていたゴーレムが、首に狙いを定めるシロのナイフを奪い取った。
その隙に、ダドゥは立ち上がって逃げようとしていた。
「ゴーレム、ダドゥをぶちのめせ!」
シロに自殺を決意させるまで追い詰めた。怒りに任せた命令だった。
ゴーレムの体当たりを受けたダドゥは、壁に激突して倒れた。
ダドゥは苦しんでいる。手の震えがとまらない。
「……悪いと思うなら、わしを研究室まで連れていけ。そして、その体を渡せ」
「渡したら、僕は?」
「もちろん消滅する。あいにく、他に体はないからな……」
声に力はなく、投げやりだった。無理だとわかって言っているんだろう。
「できません」
「だろうな。まあいい、そんな体は嫌だった。長い間悪あがきしたが、無駄だった。わしはわしでいたい……」
ダドゥは狂気の晴れた顔を見せた。これがダドゥの素顔のような気がした。
「今さらわしに何も言われたくないだろうが、聞け。そのゴーレム、くれぐれも心して使え。忘れるな」
大きく息を吐いている。
「……いつから、こうなってしまったんだろう……」
息を引き取った。
俺が殺した。
その事実が重くのしかかって、金縛りにあったように動けなかった。