第20話 そのビンタはとっても痛くて
クオーレの瞳に光はない。
胸が苦しい。こんな状況でこの様子じゃ、どうしても嫌な予感しかしない。
「嘘だ。よしてくれ。クオーレ、一緒に行こう、アトリエへ。グリーンが頑張ってるんだ。何か言ってくれよ――」
「しっかりしろ!」
いってえ! 頬をビンタされた! 何で!?
正気を取り戻した様子のクオーレは、頭を抱えている。
「情けない。こんなやつにマスターは……」
まだ頬が痛い。どうなってるんだ?
クオーレに両肩を掴まれた。
「お前をこの娘と引き合わせたのは何のためなのか。いやまさかお前、偶然出会ったと思っているのか?」
本当にクオーレなのか? 強烈な眼力、荒々しい口調、女らしくない仕草、どれをとっても別人だ。偽者なのか、それとも操られているのか、まさかとは思うが本性を表したのか。何にしても、さっきまで暗たんとしていた気分がマシにはなった。
何も答えられないでいると、冷たい眼差しのクオーレに突き放され、尻餅をついた。
「そんなわけあるか。いいか、よく聞け」
クオーレが睨んでくる。
「この娘は、お前と過ごせて幸せだった。お前は決して優れた人間ではないが、それでもそばにいてくれるだけで救いになっていた。
シロもそうだ。もし出会ったのが別の誰かだったとしても、代わりは務まったかもしれない。だが、そうならなかった。お前しかいない。お前しかそばにいてやれない」
クオーレは手を差し出してきた。
「これから辛い事実と向き合うことになる。神は時に残酷で、非情だ。立ち向かう術を持たないなら諦めて受け入れるしかない。
お前は違う。この娘を大切に思うなら立ち向かえ。私はお前が嫌いだが、期待はしている」
手を握って立ち上がった。思うところは多々あるが、なんとか言葉を絞り出した。
「うん」
きょとんとしたクオーレは、盛大にため息をついた。
「まあいい。後は勝手にするがいい」
クオーレの握力が強まり、再び瞳が光を失った。けれど、現状を把握しようと視線を動かしながら戸惑う様子を、なんだか落ち着いて見ていられた。もう取り乱したりはしない。
クオーレは何者かに乗っ取られていたかのようだった。マスターという言葉をつぶやいていた。シロを知っていた。ダドゥが関係あるとみて間違いないだろう。
励まそうとしたんだろうか。あいつの言葉を噛み締めながら、覚悟を決めて、クオーレにされるがまま引きずられていった。
たどり着いた場所は学園内の一角だった。まだ日が昇らない時間といえど全くの無人ではない。学業に熱心な者もいれば、酒盛りに興じていた者もいる。その影を進み、暗い地下へ潜っていく。
明るい部屋で待っていたのは、ヴィエイールだ。椅子に座るヴィエイールは、俺に気づくと、口にしていたティーカップを机に置いた。
「ご苦労様。座りなさい」
クオーレに半ば強引にヴィエイールの向かい側に座らされた。
ヴィエイールの顔には、若干疲れの色が浮かんでいる。
「頬、赤く腫れているけれど、どうしたの?」
「気にしないでください」
「そう。ようこそ、クアドラプルの人形使い。それとも、ゴーレム使いと呼んだ方がいい?」
「ゴーレム使いと呼んでもらった方がしっくりきます」
ヴィエイールは楽しそうに笑う。
「あなたは私が知らないことをたくさん知っていそう」
「知らないことだらけです。クオーレに何をしたんですか?」
「そうね……」
立ち上がったヴィエイールは、部屋の隅を覆っている布を剥ぎ取った。傷を負った人々が横たわっている。
「あなたの黄色いゴーレムのせいでこの有り様。私のオートマタをこうもたやすく破壊した」
「オートマタ?」
「人間を人形へと変えた。成果を出すまで苦労したのよ」
それとクオーレに何の関係が、とは聞けない。取り返しがつかない気がした。
ヴィエイールの目には強い意志が宿っている。
「死に値する人間は存在する。処刑して、灰にして終わりなんて、もったいない。そんな人たちを仕入れ、実験の材料にした。もちろん好奇心を満たしたかったことは否定できない。でも、どうせなら人の役に立たせてから朽ちていけばいいと思わない?
おかげで、クオーレはここにいる。オートマタなのよ、クオーレは」
本人に聞かせていい話とは思えない。だが、心ここにあらずなクオーレは、何の反応もしない。
ヴィエイールはクオーレを見る。
「心配しなくてもクオーレの記憶は残らない。人手が足りなくなったからあなたを連れてきてもらっただけ。今まで汚い仕事をさせたことはなかった。なんたって、私のかわいい孫娘なんだから」
ヴィエイールは微笑んだ。
「あなたはクオーレが選んだ人。クオーレを悲しませたくない。ずっとクオーレと幸せに暮らせるように、ここで起こったことは忘れさせてあげる。
でもその前に、あなたの知識を洗いざらい教えてちょうだい。今のうちにたくさん話してくれれるほど、自白剤の副作用が軽くなるからね」
ヴィエイールは別室の扉へ声をかける。
「お客人におもてなしを」
青い宝石のネックレスを首にかけた少年が、ティーカップを運んできた。以前より随分動きが良くなったが、顔色は青ざめている。
ヴィエイールは青い宝石へ視線を移す。
「この青い宝石がオートマタのコア。ゴーレムのコアと同じ役割を果たしているはず。そうね、まずはゴーレムの製造方法から教えてもらえる?
――ああ、慌てないで。零れちゃう」
ヴィエイールは朗らかに笑う。
ティーカップを持ち上げる指が尋常じゃないくらい震えた。正直、挫けそうだ。立ち向かえったって、どうやって。
心の支えは一つだけ。真面目で、感情豊かで、いつもお茶目な、心強い四体のゴーレム。必死に彼らの姿を思い浮かべて耐えるしかなかった。




