第06話:良い奴と悪い奴
「…マジかよ」
クエストを受注した後、俺は森の一画で拳を振るった。
息を吸い、息を吐き。近くに生えていた中で最も太かった木に掌底を打ち込む。
木は折れ、後ろに生えていた木々数本をへし折りながら吹き飛んだ。
そんな光景を見て、スナッツは口をだらしなく広げている。
「信じてくれたか?」
「あ、あぁ。確かにこの威力なら、フォレストボアを仕留めたってのも頷けるぜ…」
結局、スナッツは俺が素手でフォレストボアを倒したということを信じてくれなかった。
笑い話だと思っていたらしい。
仕方がないので依頼は半ば強引に受けさせ、こうして森の中で俺はパンチ力測定の結果を見せることにした。
「しっかしどうなってんだお前の身体は…実はオーガでした、なんて訳じゃないだろうな?」
「俺は人間だ」
多分だけど。
というか、オーガもいるのか。RPGっぽいな。
「っま、いいや。これならクエストをキャンセルしなくてすみそうだな!」
「そんなこと心配してたのか…」
クエストは受注した後、達成が困難だと判断した場合はキャンセルすることができるらしい。
その際、キャンセル料ということでそれなりの金額を支払うことになる。
クエストの報酬からの割合で支払うらしいので、低難易度の場合はそれほどでもないらしいが。
フォレストボア掃討依頼はCランク相当の特殊任務とやらで、キャンセル料は銀貨5枚だそうだ。
半年近く分の食費だもんな、まぁ確かに心配はするか。
「悪かったって。フォレストボアの発見報告があった場所はきちんと覚えてるからよ」
「じゃ、そこに向かうとしよう」
スナッツに案内してもらいながら、俺達は森の中を歩み始めた。
道中、俺はスナッツに聞きそびれていた質問をした。
「はぁ?お前が何歳に見えるか?なんだってそんな質問を…女じゃあるまいし」
「いや…実は俺、記憶喪失でさ。自分が何歳なのか分からないんだよ」
「記憶喪失?…そうか、お前エルメスの…」
「エルメス…?」
「あぁいや、なんでもない。お前が何歳か、だったな?…うーん、20は…越えてなさそうだな。17,8ってところじゃないか?」
「じゅ…17,8!?」
そんな馬鹿な、若すぎるだろ。
高校生じゃないか。
「スナッツ、お前は酒好きか?」
「酒ぇ?酒が嫌いな男がいるかよ」
ふむ、良かった。酒はあるんだな。
次なる問題は、一体何歳から飲めるかだ。
スナッツの言葉を丸呑みするわけじゃないが、俺が17,8に見えるってことは結構飲めない可能性が高いんじゃ…。
「なぁ、スナッツ。酒って何歳から飲めるんだ?」
「酒を飲める歳ぃ?…あぁ!お前、そういうことか!!」
スナッツがカラカラと笑う。
何が面白いんだ?
「俺、なにか変なこと言ったか?」
「いやいや、くくっ…別に変なことは言ってねぇよ。お前、酒が飲みたいんだろ?そうならそうと言えばいいじゃねぇか」
「…だったら話は早いな。で、俺は飲めるのか?飲めないのか?」
「おいおい顔真っ赤だぜぇ?もう飲んでんじゃねぇだろうなぁ!」
「怒るぞ」
「わっ、馬鹿!?冗談だって、構えるなよ!!悪かったって!!飲める!!飲めるから!!」
握り拳を見せつけると、スナッツは顔を真っ青にした。
彼曰く、この国では飲酒に年齢制限はないらしい。
何事も自己責任、それが国の基本的な思想なんだそうだ。
一長一短な考えだろうが、自立性を養うという観点から見て、悪くない考え方だと俺は思う。
というか酒が飲めるならなんでもいい。
ビバ、自己責任。
「記憶喪失だってのに、酒の味は覚えてるってか?都合のいい頭だな」
「都合がいいのは頭じゃない、舌だ」
「それもそうだな、ははっ!」
なんだか、いいな。
こういう会話、久しぶりだ。
本気で、冗談で、くだらないことで笑う。
学生時代ではごく当たり前の光景だった。
社会に出てからも気の合う同僚と時折供にした。
だが、俺に疑いがかけられてからは…。
「…ありがとうな、神様」
「ん?ロック、何か言っ…」
「うわぁぁ!!」
「「!?」」
悲鳴。男の悲鳴だ。
悠々と歩いていた俺達の行く先から、恐怖に満ちた声が聞こえた。
突然の悲鳴に驚いたものの、次の瞬間、俺とスナッツは駆け出す。
声の聞こえた方へと。
「おいおい、嫌な予感しかしねーぞ」
「縁起でもないこと言うなよ、スナッツ」
「んなこと言ったってよ…この先は、元々俺達の目的地なんだぜ…?」
「…マジかよ」
俺達の目的地…それはつまり、クエスト遂行のための場所だ。
フォレストボアを掃討するための、場所。
・・・
・・
・
「なんだよ、これ…」
目の前の光景を見て、俺は愕然とする。
俺達が現場に駆けつけた時、その場には俺達を除いて4人の人間がいた。
内二人は真っ赤な水たまりの上に崩れ落ち、一人は全身をがたがたと震わせながら1m程の剣を構えている。
そして、残る一人は…。
「…おいおい、話がちげぇぞ…」
スナッツが、吐き捨てるように呟く。
…残る一人は、剣を構える男の正面…俺達の視線の先で、力なくぶら下がっていた。
巨大な体躯をしたイノシシの持つ、5本の牙のうち1本に貫かれながら。
「お、おいスナッツ…アレもフォレストボアなのか!?」
前方の巨大なイノシシに警戒しながら、俺はスナッツに問いかける。
いや、最早アレがイノシシかどうかすらも怪しい。
なんだ、あの牙は。
というか、角か?
そのイノシシらしからぬ風貌の化物は、昨日のフォレストボアと同様に2本の牙を下顎から伸ばしていた。それに加え、上顎からは凶暴さを具現化したかのように禍々しい牙を2本。
さらに眉間の間からもう1本。4本の牙とは明らかに異質な、異様な雰囲気を感じさせる赤黒い角が生えている。
そして、全身の毛並みは昨日のフォレストボアに比べてかなり暗く、妖しい光沢を放っていた。
フォレストボアという存在を知っていなければ、この生物をイノシシと比較することはなかっただろう。
それほどまでに、目の前のモンスターはフォレストボアに似てはいるが、イノシシ離れしているのだ。
「あぁ…あれはフォレストボアだよ…間違いねぇ…。フォレストボア中のフォレストボア…エルダー種だ」
「エルダー…?」
「滅茶苦茶強ぇってことさ…くそ、ここは一旦退くか…?」
「退くって…そんなに強いのか?確かに昨日のヤツに比べたらかなり…」
グルル…
「あっ…あぁぁ…」
「おい!何してんだ、逃げろ!!」
その時、エルダーと呼ばれたモンスターが唸り声をあげた。
野獣の唸り声に、エルダーへ剣を向けていた男が情けない声を漏らす。
スナッツが大声で喚起するが、男は手に持つ剣を弱々しく震わせるだけでその場から動き出す気配はない。
「あの馬鹿ッ…!!」
「あ、おい、スナッツ!!」
怯えるだけで身動きを取らない男の元へ、走るスナッツ。
慌てて手を伸ばし制止しようとするが、俺の手はスナッツには届かなかった。
スナッツは男の元へと駆けつけると、彼の手を引き共に逃げようと試みる。
しかし、スナッツの努力も虚しく、男の体は彼の思うようには動こうとしない。
何をしてるんだ、あのおっさんは!
「…ったく…!」
仕方なく、スナッツに加勢するため俺も地面を蹴った。
二人のやり取りを見る限りでは、知り合いという雰囲気ではないようだが…。
スナッツは見ず知らずの他人のために何をしているのか。
先程の彼の慌てようから察すると、このモンスターは相当に危険なのだろうに。
俺が走り出すのとほぼ同時に、エルダーは巨大な頭を振った。
ダイナミックなスイングに、エルダーの牙に突き刺さっていた人間の体は振り落とされる。
動き出した時は何事かと思ったが、ただ邪魔な人間を牙から振り落としただけのようだ。
…そう思った瞬間。
グルルァ!!
「っ!?」
エルダーは頭のスイング方向を逆転し、巨大な牙でスナッツと男を薙ぎ払おうとした。
そのことに、スナッツ達は気づいていない。
牙ってそういう使い方するものじゃないだろう!
「くっそ…!」
全力で地を蹴り、スナッツとエルダーの間に割り込む。
スナッツの前へと躍り出た頃には、牙は風を唸らせながら目前まで迫っていた。
もう、離脱は間に合わない。
防ぐしか、ない!
大丈夫だ。フォレストボアの突進だって難なく止めることができた。
確かに昨日のフォレストボアに比べれば厳つい見た目をしているが、所詮はフォレストボア。
止めれないはずはない。
…そう思っていた。
俺の伸ばした両手に、エルダーの牙が触れる。
その瞬間、俺の肉体を尋常ではない衝撃が襲った。
ミシミシという、骨か筋肉かわからないものが軋む音がする。
踏ん張る足が地面にめり込み、そして地面から離れた。
「嘘…だろ…!?」
「ロック…!?」
背後からスナッツの声。
彼の声が耳に届くと同時に、俺の身体はスナッツ達を巻き込んで後方の茂みへと吹き飛んだ。
「…痛ってぇ…!」
薙ぎ払いを受けてから数m程度離れた場所で、木の幹にぶつかることでなんとか俺達の身体は止まった。
エルダーの牙を受け止めた両腕は、ジンジンとした痛みを放ち続けている。
確実に骨を持っていかれたと思ったが、そんなことなかったようだ。
なんて丈夫な腕のだろうか。
クソ痛かったけどな。
「おい、スナッツ!大丈夫か!?」
「あ…あぁ…少なくとも死んじゃいねぇよ…。こいつも気を失ってるだけみたいだ。ロックは?」
「俺も大丈夫だ」
スナッツも大きな怪我はないようだ。
その後ろでは、スナッツが助けようとした男が気を失って倒れている。
吹き飛ばされてきた方向からは、小さな地響きの音がジワジワと此方に近づいてきているようだった。
「ありがとうな、ロック…お前がガードしてくれなかったら…」
「礼は後でいいから、これからどうする!?」
「…多分、もう逃げるのは無理だ。俺達まで完全にタゲられてる…逃げ足であいつに勝つのは無理だろうしな。それに、万が一街まで帰れたとしても、あいつは俺たちを追って街まで来ちまうだろう…。それだけは絶対に阻止しなくちゃならねぇ」
「…そうか」
スナッツが、決意と絶望が入り混じったかのような表情をする。
確かに、昨日のフォレストボアのスピードから考えたら普通の人間が走って逃げるのは到底不可能だろう。
だが、俺の脚力ならそれも例外のはずだ。
逃げるか?スナッツ達を置いて…見捨てて。
知りたい情報は、既にかなり引き出したはずだ。
最早スナッツは今の俺にとって用無しのはず。
折角知り合えたハンターという点では惜しいが、ハンターなら他にもいくらでもいるだろう。
自分の身を危険に晒すほどの価値はない。
スナッツにそんな価値は…。
「…なぁロック、お前は逃げろ」
「…え?」
スナッツが呟いた。
「お前、さっき滅茶苦茶早く走ってきただろ。お前なら逃げれるはずだ」
「スナッツ…?」
「タゲのことなら心配するな。こいつを使えば切り傷ぐらいは付けれる…はずだ。だから、あいつの注意が俺に向いている間にお前は逃げろ」
スナッツが、背負っている斧に触れる。
何を言ってるんだこいつは。
言われなくても逃げるさ、こんなところで怪我なんてしてる場合じゃない。
「元はといえば俺が悪かった。俺がお前をパーティーに誘わなければこのクエストに来ることもなかった。俺がこの男を無理に助けようなんて思わなければ、逃げ切れる可能性もあった。…俺のせいだ」
そうさ、悪いのはスナッツだ。
あるいは、その後ろで気絶している男かもしれない。
俺は悪くないのだ。
俺は…。
「お前、良い奴だからさ。俺みたいな馬鹿に付き合わせるわけにはいかねぇよ」
「!」
…まただ。
また言いやがった、この男は。
俺のことを良い奴と、本気でそう思ってるのか。
だとしたら馬鹿だ。救いようのないほどに大馬鹿だ。
最初からお前のことを見捨てようと考えていたこの俺を。
Cランクのハンターだということで利用してみようと思ったこの俺を。
「…ふざけんな、馬鹿」
「え?」
「ふざけんなって言ったんだよ、この馬鹿!」
呆けた顔をするスナッツの襟を掴み引き寄せる。
「俺が良い奴?調子のいいこと考えやがって!俺は良い奴なんかじゃない、俺は良い奴なんかになりたくないんだよ!!」
「ロ、ロック?どうしたんだ、一体…」
「うるさい…お前には関係ない!」
そうさ、関係ない。
俺が何をするかどうかに、他人は関係ない。
こんな、出会ってから数時間の男のことなど、俺には関係ない。
こいつがどうなろうと、後ろの男がどうなろうと、エルダーに殺された奴がどうなろうと俺には関係ない。
誰かの為に動いて、裏切られる惨めさを、俺は知っている。
「ロック、気に障ったなら謝る!だから逃げろ!」
「黙れ…俺に命令するなこのヒゲ!!」
「ヒゲ!?」
くそ、くそ、くそ。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
俺はどうしたいんだ、どうするのが正しい?
もう死にたくない、怪我なんてしたくない。痛い思いも、惨めな思いもしたくない。
逃げればいいじゃないか、それが一番の得策のはずだ。
…だが、だがそれはダメだろう。
スナッツは言った、「悪いのは俺だ」と。
違う、そうじゃない。スナッツは良い奴だ。悪いことなどしていない。
どうしようもないほどに馬鹿で、救いようのないほどに良い奴なのだ。
悪いのは、スナッツじゃない。…運だ。
俺に会ったこと、俺とパーティーを組んでしまったこと、このクエストを受けたこと、エルダーに出会ってしまったこと。
全部、全部運が悪かった。
だから…。
「…スナッツ」
「な、何だ?」
「お前は…悪くないさ」
「ロック…?」
「なんとなくだけどさ、分かった気がするよ。俺の目指す生き方が…」
得てして、たとえ結果が最悪の事態になってしまったとしても、そこに悪人がいるというわけではないのかもしれない。
悪人なんてものは、そう簡単になれるものじゃないのだ、きっと。
そう簡単に、なっていいものでもないのだろう。
…それでも。
「借りるぞ、お前の獲物」
「え…?あ、おい!」
呆然とこちらを見つめていたスナッツ。
彼の肩紐を引きちぎり、背負っていた戦斧を奪い取る。
「ロック、頼むから逃げてくれ!俺のヘマをお前まで背負うことはねぇだろ!」
「背負う、とかさ。そういうのじゃないんだよ」
俺に奪われた戦斧を掴み、スナッツが叫んだ。
何故理解してくれないのか、そんな表情で見つめてくる。
「俺がやりたいからやるんだ。お前を助けるためでもないし、良い奴だからでもない」
「ロック…なんで…」
「言ったろ、俺がやりたいからだ。俺の自分勝手だよ」
戦斧を離さないスナッツに向けて笑顔を見せると、彼の手からは力が抜けた。
不自然な笑顔になっていたかもしれない、苦笑いにもなっていたかもしれない。
しかし、俺の心は穏やかだった。
スナッツの手を解き、戦斧を改めて握り直す。
ズシリと重い。いや、身体強化のおかげか振りにくいというほどに重いというわけではない。
むしろ、道端に落ちていた木の枝でも拾ったかのような軽さだ。
思い出すなぁ、小学生の頃の勇者ごっこ。
あの頃は、まだ自分のやりたいようにできていたかな?
「…わかったよ、ロック。だけど、一つだけ約束してくれ。…絶対に死ぬな」
「あぁ、俺は死なないさ。まだやりたいことがたくさんあるからな」
俺がそう言うと、スナッツは力無く笑った。
そうさ、俺は死なない。
この世界の酒も飲んでないし、魔法もまだ使ってない。
あのアホみたいにデカいゴホンヅノオオイノシシを倒して、俺は美味い酒を飲むんだ。
「じゃ、行ってくる」
スナッツに手を振り、俺は斧を肩に担いだ。
そういえば、斧ってどうやって構えるんだ?
漫画とかだと肩に担いでたイメージだった気がするが…。
剣道みたいに上段で構えるか?
あぁいや、でもそれだと腕にかかる負担が大きいよな、実用的じゃないか?
…まぁいいや。
地面を軽く蹴り、吹き飛ばされてきた経路を遡る。
先程の開けた空間まで出ると、エルダーはこちらの方を向いて鼻をヒクつかせていた。
その目には敵意がむき出しである。
「かかってこいよ、デカブツ」
スナッツの戦斧を振りかざし、切っ先をエルダーに向ける。
俺の挑発を受け取ってか、エルダーは大きく吠え声を挙げた。
次回は、強敵エルダーとのバトル回となります。
閲覧ありがとうございました。
気になった点等ありましたら、報告してくださると助かります。
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