序章終話:邪神の左腕
「む…何か言ったか、ハンター?」
グリグリと俺の頭を踏んでいたレイザスが、不意にその動きを止めた。
"展開"の宣言と同時に、俺は自分の左手が熱を帯びていくのを感じる。
「…気のせいか?」
しばらくの沈黙の後、レイザスは再び小さく鼻を鳴らす。
「ふんっ、いつまでもこんなゴミを踏んでいても仕方がないか。さっさと処分するとしよう…さらばだ、無力なハンターくん!」
今一度足を上げ、ほぼ全ての体重を掛けた一踏をレイザスが繰り出した。
頭部に迫る彼の足に、俺の耳へは風切り音が聞こえる。
…その時。
「随分と楽しそうだね…人間」
「!?」
レイザスの足が俺の頭を踏む直前で、彼の足首を俺の左手が捕らえた。
同時に、自分でも不思議な感覚の台詞が口から漏れる。
「なっ…ななっ…離せ、離せぇ!!」
突然足を掴まれたことに驚いたのか、レイザスは無様にも声を張り上げる。
俺の腕を振り払おうと、精一杯足を振り回し、もう片方の足で俺の左腕を蹴りつけ続ける。
…ガシガシという打撃音が耳障りだ。
「痛いじゃない…か!」
「な、何っ…!?うごぁ!?」
倒れていた身体を起こし、依然として俺を蹴り続けているレイザスの足を放り投げる。
彼の身体はいとも簡単に宙へ舞い、満足な受け身もとれずに床にたたきつけられた。
「…はぁ、やれやれ…やっぱり人殺しは荷が重かったなぁ。…痛っ…」
その場で立ち上がり、伸びをする。
全身に刻まれたコルマからの傷跡に、鈍い痛覚が生じた。
「ハ、ハンター…貴様っ…!」
「んん?どうしたの、人間?」
苦しそうに身を起こしながら、レイザスが此方を驚愕の表情で見つめてくる。
「何故だ、何故そんなにも平然としている!?先程までは死際のようだっただろうが!」
「それ、別に答える義理はないよねぇ」
偉そうに見下した口調で問うレイザスに、俺はやれやれと両手を振った。
チラリと視界に映った俺の左手は人のものにしてはありえない程に黒く染まっており、周囲にはゆらゆらと禍々しい魔力が揺らいでいる。
意識はしていなかったが、どうやら"邪眼"も作動しているようだ。
「…っぐ…お前たち、その男を拘束しろ!!」
やる気のない俺の対応に苛立ったのか、それとも防衛本能か。
レイザスは俺を指さすと、5人の女性達に命令を下した。
彼の発声と同時に、それまで吹き飛ばされていたレイザスの側に居た2人の女性と、元々彼が居た椅子の側に立っていた3人の女性がコチラへ飛びかかってくる。
その迷いのない動きと彼女らの肢体は魅力的だったが、いかんせんスピードも技のキレも、コルマのソレには遠く及ばない。
「モテる男は辛いな、はは」
側にいた女性の拳を避け、もう一人の蹴りを躱し、タックルを仕掛けてきた三人目の女性を優しく抱きとめ後ろへと受け流す。
再び最初の女性が裏拳で襲い掛かってくるが、その拳を軽く払って姿勢を崩し、彼女の額に魔力を込めた"デコピン"をお見舞いする。
額に一撃を受けると女性はフラリと脱力し、その場に崩れ落ちた。同様に、二人目と三人目の女性にも魔力を込めた軽い攻撃を与え、意識を奪う。
後から駆けつけてきた二人の女性も同様だ、攻撃を躱しながら、無理の無いタイミングで優しく気絶させる。
「…そんな…馬鹿な…!」
5人の女性が床に崩れ落ちるのを見届けて、レイザスの顔色は徐々に青白くなっていった。
ズルズルと情けなく後ずさり、俺から必死に距離を置こうとしている。
「馬鹿なのは君の方だと思うけど。たかが人間の分際で神様に勝てると思ってるの?」
「神…だと…?気でも狂ったか、ハンター!」
「…いつまで俺を見下してるつもりだよ、レイザス!」
不意に黒い感情が俺の中で揺らぎ、気付くと俺はレイザスの襟を掴んで彼の身体を持ち上げていた。
自分の口調が安定しない…まるで"俺"が二人いるみたいだ。
「う、うぐっ…!待て…落ち着け…話をしようじゃないか…」
「話?」
「そうだ、話だ…交渉をしよう。お前が欲しいものならなんでも用意してやる、だから命だけは助けてくれ…」
レイザスの言葉に、俺は思わず笑ってしまった。
まるでテンプレート。どこかで聞いたことのあるような悪役の一種の決め台詞。
俺の笑顔に、レイザスもつられて笑みを浮かべる。
…ふざけるなよ。
「冗談も度が過ぎるぞ、レイザス=エイモンド!!」
「ごはぁ!?」
「ロック=トライブの名に於いてレイザス、貴様に伝令する!」
相変わらず下卑た笑いを浮かべていた男を壁へと叩きつける。
背中に強い衝撃を受け、レイザスは苦しそうに息を吐きだした。
そんな彼を指差し、俺は自然と脳内に浮かび上がってきた文章を読み上げた。
「貴様がセラに行使した"呪い"は本来人間が手を出していい代物ではない。お前の言っていた呪術師とは何だ、知っていることを全て話せ」
「呪術…師…?あいつは…あいつは…?」
俺の伝令に、読み上げた表情に変化が訪れた。
目をキョロつかせ、口は小さく痙攣し、手で頭を抑え始める。
「あいつは…何だ…?おかしい…確かに私はあいつと話を…話?いや…話など…しかし…!!」
「…レイザス?」
「分からん…分からん、分からん、分か…らぁぁぁぁ!!」
「!?」
レイザスが頭を抱え、ガクガクと震え始めたと思った瞬間。
彼の身にまとっていた魔力が急激に変化を始めた。
激しく波打ち、揺らぎ、そして。
「死ネ、ハンターァァァ!!!」
「…っち」
徐ろに懐から小型のナイフを取り出し、此方に向かって飛びかかってくるレイザス。
俺はナイフを持つ彼の腕を左手で掴み、残る右手の手刀でその首を切り裂いた。
鎧やダガー越しにコルマを殺した時とは違う、皮や肉を切り裂く感触。
鮮明に伝わってくるその感覚と、一瞬だけ大きく震えたレイザスの身体を見て…俺は眉を顰めた。
「…セラがな、言ってたよ」
力の抜けた彼の腕を離し、その体を再び壁に預けさせる。
「"呪い"を掛けられたのはショックだったけど、トルテラへの資金援助は本当に感謝してるって。来年の謝肉祭にもう一度来て下されば、その時はきちんとした返事を返しますって…」
側室という扱いがこの世界においてどんなものなのかは分からないが…好きと伝えるプロセスを普通に踏めばこんなことにはならなかったかもしれない。
血塗られた右手を見つめながら、俺は力なく息を吐く。
すると、誰一人答える人間のいないこの空間で聞き覚えのある声が響いた。
『仕方がないさ、世界がそう動いたのだから』
「…エルメスか?」
『そうだよ。…ごめんねロックくん、君にはかなり大きな負担をかけてしまったみたいだ。それに、少しだけ君と意識を共有させてもらったよ』
大きな負担。
それは恐らく、"展開"を発動する前の俺の状態を指して言っているのだろう。
今はなぜだか深く思い悩むことがなくなっているが、あの時の俺は本気で自失していた。
意識の共有というのは、時折口にしていた不思議な台詞のことだろうか?
「いや…俺の覚悟が足りなかったんだろう、助かった。それより、世界がなんとかっていうのはどういう意味だ?」
『覚悟の問題じゃないと思うけど…彼の言っていた"呪術師"っていうのが気になってね。君に協力してもらってレイザスに聞いてみたんだけど…やっぱり思ったとおりだった。"呪術師"なんていう人間は彼の前に現れていないんだよ』
「…?」
確かに、レイザスは俺の問いかけに対しておかしな反応を返していた。
話をしたはずなのに話をしていない…そんな矛盾した台詞を。
『セラちゃんの抹殺を頼んだ時、僕は言ったよね?彼女が世界の抑止力になっている、世界は彼女に目をつけた…って』
「あぁ、そんなこと言ってたな」
『僕は当初、セラちゃんが直接世界の影響を受けてアビリティを得たのだと思っていたのだけど…そうじゃなかった。今回世界の影響を受けたのはレイザスだったんだ。"呪術師"なんていう気の利いたフェイクまで用意して、世界はセラちゃんにアクションを起こしていたんだよ』
「…随分と、手のこんだことをするんだな。世界さんは」
世界の意思とやらで、レイザスは操られたってことなのか?
だとしたら、彼も実は被害者だったのかもしれない。
たまたま運が悪かっただけ…なのかもしれない。
『そりゃ、バランスをとるためにやってることだからね。あんまり無茶な干渉をしたらそれこそバランスが壊れてしまうだろう?…っていうことが判断できる程度には、まだ世界は正常に稼働しているってことさ』
「このまま放置しておけば、世界は無茶なこともしてくるって訳か…ぐっ…!?」
エルメスとの会話に集中していると、左手に激痛が走った。
何事かと思い視線を移すが、特に怪我のようなものはない。
『いけないいけない、そういえば僕の力を使ったままだったね。そろそろここを離れよう、転移先に希望はあるかい?』
「いや…特にはないな。強いて言えば、ある程度人目の少ない場所がいい…」
『そりゃ当然だ。それじゃぁとりあえず、北の方に飛ぶとしよう』
転移。
それは、予めエルメスと相談して行使すると決めていた魔法だ。
作戦が成功しても、もし仮に失敗しても、トルテラの付近をうろつき回るのは得策とはいえない。
ならばどうするかと考えた時に、エルメスが提案してくれたのがこの転移魔法である。
カミフォンを使えば俺でも行使できるのだという。
『…うん、よし。準備はOKだよ、カミフォンに魔力を送って!』
「あぁ、わかった。」
ポケットからカミフォンを取り出し、魔力を込める。
雷剣を使った直後は自分の中が空っぽになってしまったかのような感覚を覚えたの だが、今ならもう2~3本ぐらい雷剣を使えそうだ。
"展開"の力は凄まじいな。
魔力を付与されると、カミフォンの画面から魔法陣が表示された。
表示された魔法陣は床へと転写され、俺の足元を徐々に広がっていく。
そして…。
「…ん?」
気付くと俺は、宙に浮かんでいた。
足元を見ると魔法陣がある…どうやら陣自体が足場となっているらしい。
周囲を見渡してみると、多くの木々が生い茂っていた。
一見して勾配を見て取れるこの一帯は、どうやら山のようだ。
山はいいのだが…。
『…あー、ごめん。高さ調整間違えちゃった』
「…えっ…おい…うぉぉぉ…!?」
最後にエルメスの声が聞こえた瞬間、俺は風切り音と共に木々の海へと飛び込んだ。
ガサガサと木の葉をかき分け、バキバキと枝をへし折り、俺の身体はただひたすらに落下運動を続ける。
やがて俺は地面へと激突し、受け身をとった右腕には鈍い痛みが走った。
「痛ってぇ…危ねぇな、エルメス!」
『いやぁ、ほんとゴメン。でも、地面に生き埋めになるよりはいいでしょ?それに、君ならあの程度の高さから落下してもかすり傷で済むだろうし』
「いや…そうは言ってもな…こっちは怪我人だし…」
エルメスに抗議の声を上げると、彼は笑ってそう答えた。
まぁ確かに、トルテラを離れたと思ったら「いしのなかにいる!」みたいな状況よりは全然マシだが…。
『まぁまぁ、とりあえず今は休んだほうがいい。"展開"のおかげで立っていられるとはいえ、今の君はいつ気絶し…ても…かし…な…』
「…?お、おい、エルメス?」
生き埋めよりはマシ、そう納得しようとしていた時。
俺の頭に響くエルメスの声が急激に遠ざかっていった。
最後の方に至っては聞き取れない。
一体どうしたのかと心配になり周囲を見渡してみるが、特に変わった様子はない。
電波障害といったことがあるとも思えないし…何がどうなって…。
「…うっ…ぐ…!?」
次の瞬間、過去最大級の激痛が俺の頭の中を駆け巡った。
強烈な吐き気と共に、視界に映る景色が歪む。
「なんだ…これ…」
体を支える足からは力が抜け、姿勢を保つことが出来ず足取りがフラつく。
そして最後に…大きく視界が揺らぐと同時に俺の意識は闇へと落ちた。
以上で序章は終わりとなります。
序章では物語の世界観構築を行いながらの行き当たりばったりな執筆だった為、なかなか魅力的なキャラクターやサービスシーンなどを描くことが出来ませんでした…。
次章からは、解説役としてエルメスも大活躍(?)します。
さらに、いよいよ、亜人種の登場です。
女の子も登場です。
私の性癖がばれない程度に精一杯可愛らしく描きたいと思います。
ここまで長い間、本当にありがとうございました。
次章からも、よろしければお付き合いください。