第02話:ボーイ・ミーツ・ガール
ガサガサと草をかき分けながら、木々の合間を縫って進む。
一分も満たない程度しか移動していなかったが、騒音は大分近くまで寄ってきていた。
どうやら、相手もこちらの方へと向かっているらしい。
直後、再び悲鳴が聞こえた。
声のした場所に目を凝らすと、一人の女の子が転んでいる。
彼女の周囲に木々はあまり生えてなく、どうやら少しだけ開けた場所のようだ。
「いや…誰か助けて…」
視線の先で、少女が声を震わせながらズルズルと後ずさる。
何かに怯えているようだ。
少しだけ場所を移動し、俺は少女の視線の先にいる何かを確認する。
「あれは…イノシシ、か?」
少女が逃げていたのは、大きなイノシシだった。
大きな、なんてレベルじゃない。俺が今まで見たことのある中で、ぶっちぎりのスーパーサイズだ。
鼻の横には巨大な牙が生えており、軽く見ても長さは2m近くある。
「う…うぅむ…」
さて、どうしようか。
さっきの幹パンから察するに、今の俺ならあんな獣を倒すぐらい造作も無いだろう。
その点からすれば、"どうすべきか"という質問に対する答えは"助けるべき"だろう。
だが、ぶっちゃけ滅茶苦茶怖い。
"どうしよう"と問われれば"どうもしたくない"と答えたいところだ。
勝てるだろうが、無傷で勝てるという確証があるわけではないのだ。
なんだよあの牙、俺よりでかいぞ。
「あ…あぅぅ…」
視界の隅で、少女が弱々しい声を漏らす。
少女の顔は、涙と鼻水でグシャグシャだ。
…やれやれ、仕方がないな。
今の俺は、ちょっとだけ気分がいい。
今回は特別だぞ?
ガルァァ!!
「いやっ…いやぁぁ!!」
イノシシが吠え、少女が叫ぶ。
それとほぼ同時に、イノシシは長い牙を少女のほうに向けながら突進し始めた。
かなり速い。
「待てぇーぃ!!」
予想外に速いイノシシの突進スピードに慌て、俺は全力で駈け出す。
すると、およそ30m程の距離があったにも関わらず、俺は初動の一歩で少女の前へと躍り出ていた。
滅茶苦茶速い。
グルァ!?
突然現れた俺に、イノシシは驚いたようだ。
だが、イノシシは速度を落とすことはない。
大方、獲物が増えたと喜んでいるのだろう。
猪突猛進。イノシシは退くことをしらないらしい。
などと考え事をしている間に、俺とイノシシとの距離は詰まろうとしていた。
いかんいかん。
「ほっ!」
俺に触れる寸前だったイノシシの2本の牙を、それぞれ両手で掴みとる。
ズシリという衝撃が、踏ん張りを利かせていた俺の脚に生じた。
だが、それだけだ。
ほんの一瞬の衝撃を感じただけで、イノシシの動きは完全に静止する。
グ…グルル…
再び、イノシシは驚いているらしい。
だが、今度の驚きは先程の比ではないだろう。
自慢の突進が止められてしまったのだろうからな。
だが、ここからどうしようか。
チラリと後ろに視線を向けると、そこでは少女が呆然とした様子でこちらを見ていた。
相変わらず顔はグシャグシャだ。
情けない顔を見たところで、先程ハンターカードの裏で見たスキルのことを思い出す。
"盗取"だ。確か、触れてる相手からものを盗むとか書いてあった。
このイノシシからも、何か盗めるのだろうか?
しかし、如何せん使い方がわからない。
どうやって使うのだろう?
「…"盗取"」
とりあえず、呟いてみる。
だが、何も起きなかった。
一秒待っても、十秒待っても、何も起きない。
失敗したのだろうか?
…まぁいい、コレ以上待ってもキリがない。
イノシシ君には悪いが、ここで安らかに眠ってもらうとしよう。
「悪いな」
呟きながら、両手で握るイノシシの牙を左右に思い切り引き離す。
すると、大きな破砕音をまき散らしながらイノシシの牙が片方だけ折れた。
グルルァァ!?
牙が折れたことで、イノシシが暴れようとする。
しかし、俺に握られた一本の牙のせいでまともに動けていない。
まるで弱い者いじめをしているようだ。
さっさと終わらせよう。
折れた牙を投げ捨て、残った牙に掌底を打ち込む。
牙はまるで焼き菓子のように簡単に折れ、イノシシはさらなる悲鳴をあげた。
その隙に俺はイノシシの横腹へと移動し、呼吸を整え、拳を腰のあたりに引き絞る。
そして、拳を突いた。
イノシシの身体は、俺の拳が触れるのと同時に吹き飛ぶ。
まるで撃ちだされたビリヤードの玉のように、真っ直ぐと飛んだ。
そして数mほど離れた場所に生えていた木々をへし折り、奥に続く何本もの木々をなぎ倒したところで、ようやく静止する。
イノシシが動く気配はない。
「…ちょっとやり過ぎたか?」
少しばかり張り切り過ぎたかもしれない。
とはいえ、俺の拳がイノシシの腹を貫通するみたいなことにはならなくてよかった。
スプラッタはあまり趣味じゃない。
かなり硬い皮膚のようだな。
「あ…あの…」
「ん?」
少し離れたところで、少女が口を開いていた。
なにか言いたそうな顔をしている。
丁度いい、俺もこの世界の人間と話がしたかったところだ。
吹き飛んだイノシシの状態を観察し、動く気配がないか確認する。
…うん、大丈夫そうだ。
視線を再び戻し、俺は少女に歩み寄る。
少女は俺が近寄り始めた瞬間に怯えた表情を見せたが、慌てた様子で視線を外し、誤魔化す。
…誤魔化せてはいないが。
「大丈夫ですか?」
「はっ…はい…お陰様で…」
うん、どうやら会話は普通にできるようだ。
少女は目を合わせてくれないが。
「えぇと…お一人ですか?他に友達とかは?」
「い…いません…」
「そうですか」
…。
会話が続かん。
というか、物凄く怯えられてる気がするんだが。
パンチでイノシシ倒したからだろうか?
…いや、怯えるよな、それは。俺でも怖い。
「あの…」
「はい?」
どうしたもんかと頭を掻いていると、少女が再び口を開いた。
何時の間にか、顔は拭いていたらしい。
目は少し充血しているが、涙と鼻水は綺麗に拭われている。
よく見れば結構…いや、かなり可愛らしい顔だ。
そんな少女が、顔を赤く染めながら、再び涙を浮かべ始めていた。
「わ…私、この間18になったばかりで…」
「は、はぁ」
「それで…その…まだ、経験がないので…」
「経験…?」
「ですから、その…出来るだけ、優しく扱ってくれると…」
「…?」
…えーと、どういう意味だろうか。
18になったばかり…か。なるほど、若いな。
それと、経験がない…か。イノシシに襲われることがだろうか?
俺だってそんな経験はない、さぞかし怖かったろうな。
それから、優しく扱ってくれ…か。
もうすぐ死ぬ所だったのだからな、落ち着くまでは極力刺激しないようにしてあげよう。
とはいえ、こんなに可愛らしい女の子を無碍に扱うなんてことはする訳がないが。
「わかりました。できる限りのことはしましょう」
「あ、ありがとうございます…。それでは…」
俺が承諾すると、少女は弱々しく微笑んだ。
そして、少し土で汚れた服を払うと、腰のあたりに付いていた留め具を外し始める。
「…ん…?何を?」
「あ、すみません…なにか不手際が…?」
「いや、どうして服を?」
「えと…そういうことは裸でするんですよね…?」
…裸?…そういうこと?
…そうか。そうか、そういうことか!!
いや、どういうこと!?
「いや、いやいや!しませんよ!?」
「そ、そうなんですか!?すいません、服は脱がないんですね…」
「違いますよ!!そういうことをしないと言ってるんですよ!!」
「…へ?」
イノシシを倒したと思ったら、突然のエロイベント。
これなんてエロゲだよ、ドン引きだよ!
「立てますか?安全な場所まで送りますよ」
「安全な場所…ですか。そうですよね…ここじゃまた襲われてしまうかも…」
場所の問題じゃないよ…。
「…先程から何か勘違いしてるようですけど、私は貴女の身をどうこうしようとは思ってませんよ…?」
「え…で、でも…盗賊の方ですよね…?」
「盗賊…?」
初対面で盗賊とは、なんて失礼な娘だ。
まぁ確かに、"盗取"のスキルを持っている俺としては盗賊と言われても仕方がないとも言える。
だけど残念。こちとらノージョブですわ。
「ち、違いましたか?」
「違いますよ…」
「す、すみません。貴方様の風貌が話に聞いていた盗賊の方のものと似ていましたので…」
風貌って…俺は今、どんな格好をしてるんだ?
今更だけど、俺は自分の格好を把握していなかったな。
パッと見で、自分の服装を確認してみる。
ズボンはダークグリーンのカーゴパンツっぽい。
上は白いシャツに…これまたダークグリーンのジャケットを着ているな。
頭に手を添えると、どうやらバンダナのようなものを巻いているようだ。
…バンダナか。それだけで少し、盗賊っぽいかもしれない。
あくまで私的にだが。
「いや、誤解を招いてしまったのなら此方にも責任があります。気にしないでください」
「い、いえ!命の恩人を盗賊などと…本当にすみません!!」
少女は慌てて立ち上がると、先程よりも顔を数段真赤に染め、深々とお辞儀をした。
悪い子ではなさそうだ。…少しばかり、"早とちり"なようだが。
「構いませんよ、お家は近くですか?」
「は、はい。ここから歩いて30分程の場所に私の町があります」
「それじゃ、そこまで御一緒しましょう」
「ありがとうございます」
そうして、俺と少女は森の中を歩き始めた。
少女に「結構価値があるものですよ」と言われた2本の牙を担ぎながら。
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