第17話:向日葵の魔女
魔法というものは、魔法陣や魔法具に魔力を込めることで誰にでも行使できる。
にも関わらず、この世界において魔法が一般的に普及していないのは何故だろうか?
…その答えは、魔法陣と魔法具それぞれの性質に隠されている。
魔法具は一般に高価であり、費用対効果が十分とはいえない性能のものがほとんどである。
プレミア価格、とでも言うのだろうか。
金持ち達の収集道楽として売買されることがほとんどなのだ。
また、魔法陣というものは極めて高度な学問とされており、実際に魔法を行使できる完成度の魔法陣を描けるようになるにはかなりのセンスと修練が求められる。
とはいえ、きちんとした魔法陣と魔力さえ用意できれば、例え筆者と術者が異なっていたとしても魔法を行使することはできる。
そのため、魔法陣を用いて魔法を使いたい場合は呪文書と呼ばれる魔法陣が描かれた紙を購入することが一般的だ。
しかし、呪文書は一度使うと陣の効力を失ってしまう。
言うなれば、使い切りの魔法具なのだ。
何度も魔法を行使できる魔法具に比べれば比較的安価に手に入るが、それでも消費物としてはかなりの高額。
故に、此方の場合も一般層の人間が用意することは容易ではない。
以上が、この世界において魔法という魅力的な存在が一般的に普及しない理由である。
だが稀に、魔法具や魔法陣を必要とせず、魔力を直接操作・干渉することで魔法を行使できる人間が存在する。
それこそが、"魔導"のアビリティを持った人間だ。
"魔導"という、極めて強力で実用性の高いアビリティを持った人間。
彼らは、魔法陣を必要とする人々と比較して明らかに優位な存在だ。
…だが、彼らがこの世界において幸せになることは難しい。
その理由は、太古に起きた魔族と人族の争いに起因する。
魔族は魔力の扱いに長けた強力な種族だった。
魔法陣は、そんな魔族やモンスターに対抗するために人間が生み出し、研究し続けている学問である。
つまり、魔法陣を利用することで初めて人間は魔法という力を手に入れることができるのだ。
言い換えれば、人間である限り魔法陣を利用せずに魔法を行使することなどできない。
それが、この世界の共通認識なのである。
アビリティの研究が進んだ昨今では、魔法陣を必要とせずに魔法を行使できるようになるアビリティが存在する可能性が示唆され始めているが…それは極少数の知識層でしか認知されていない。
そう考えれば、"魔導"の持ち主が幸せになることが難しいという理由は想像に難くないだろう。
彼らは忌避され、虐げられ、そして迫害される場合がほとんどなのだ。
ロゼッタという少女も、その内の一人である。
幼いながらにして"魔導"のアビリティに目覚めた彼女は、「魔女」と呼ばれた。
ある時は恐れられ。
ある時は石を投げられ。
ある時は利用され。
そして齢が十を超えた頃、彼女は完全に孤独となった。
ようやく二桁の齢に達した程度の少女が一人で生きていける程、この世界は甘くない。
衣食住すべてを失った彼女は、死の淵を彷徨った。
だが、その時…。
「私は、教会のハンターの方に救われたんです」
「…」
疲れた表情で、ロゼッタはゆっくりと口を開いた。
一言一言を確かめるように。
ゆっくりと、噛み締めながら。
「教会ギルドの方々は、本当に私に良くしてくれました。私が"魔女"であることも、可能な限り内密にして育ててくれました。だから、私は教会ギルドに恩返しがしたくてハンターになったんです。私を地獄の淵から救ってくれたハンターの方みたいに、どこかで苦しんでいる人を助けられるようなハンターを目指して。…ですが…」
だが、戦闘を得意としていないロゼッタにとって、ハンターとして功績を上げることは困難だった。
魔法を使えば状況を打破することもできただろうが…魔法は彼女にとって秘匿しておきたい古傷。
自分の限界を感じ、夢を諦めてしまおうかと何度も挫けそうになるロゼッタ。
それでもなんとか諦めず、もがき苦しみながら、彼女はただ闇雲に収集系クエストをこなし続けていた。
そんな折に耳にしたのが、「無名のEランクハンターがフォレストボアを倒してきた」という噂。
初めは根も葉もない噂だと感じていた彼女だったが、翌日にはさらに突拍子もない噂を耳にする。
「Eランクハンターがフォレストボアのエルダー種を撃退した」というものだ。
より一層、現実味を離れた噂話。
だがそれでも彼女は…心のどこかで期待していた。
自分と同じEランクのハンターが、フォレストボアを討伐した。
もし、それが真実なら…。
本当にそんなハンターがいるのだとしたら…。
彼女は、会ってみたいと思った。
そして、翌日。
何か討伐系クエストにでも挑んでみようかと悩んでいた彼女の耳に、男性の声が届いた。
『どうだ、なんか参考になったか、ロック?』
それは別に、一際大きな声だった訳ではなかった。
にも関わらず、その男の声は彼女の耳には鮮明と響き渡ってきた。
噂のハンターと、同じ名前を含んで。
「その後は、ロックさんの知る通りです」
「…そっか」
まるで、何かを振りきったかのように。
ぐったりとしながらも、すっきりとした表情をしているロゼッタ。
「さぁ、約束ですよロックさん。貴方のお話を聞かせて頂けますか?」
「あぁ、分かった」
彼女はニコリと微笑み、俺に"約束"を催促する。
次は、俺の話をする番。そういう約束だ。
とはいえ、元の世界や能力の話をするつもりはない。
俺は記憶喪失で、気が付いたら森の中にいたこと。
フォレストボアからセラを助けたこと。
スナッツと出会ったこと。
エルダーと戦って、負けたこと。
負けた経験を活かして、知識を深めようとしていたこと。
ハンターの特技を、なんとなく見分けることができること。
そして偶然、ロゼッタに出会ったこと。
「4日前の…記憶喪失ですか…」
俺の話を聞いて、ロゼッタが口元に手を添えた。
何かを考えているようだ。
斬りかかってきた時は記憶喪失のことを「嘘」呼ばわりしていたはずだが、今回は反応が違う。
冷静になったからだろうか?
それとも、「4日前」が何かのキーワードだった…?
「何か、思い当たる節があるのか?」
静かに唸るロゼッタに、俺は問いかける。
すると、彼女は真剣な眼差しで此方を見つめてきた。
「ロックさん、エルメスという神をご存知ですか?」
「エルメス…?確か、邪神だったよな。それがどうかしたのか?」
商神エルメス。
昨日書院で読んだ「聖なる神と邪なる神」の中にも登場していた、創造神によって創られた神の一人。
確か、以前スナッツもエルメスがどうとか言っていたな。
あの時は適当にはぐらかされてしまったが…。
「では、エルメスショックという言葉に聞き覚えは?」
「エルメス…ショック…?それは聞いたことがないな…」
一つ一つ、何かを確認するかのように質問を重ねていくロゼッタ。
「…そうですか。ロックさん、貴方の話が全て真実だとするならば…貴方が本当に4日前に記憶を失ったというのならば…。ロックさんは、エルメスを信仰していたエルメス信徒だった可能性が高いです」
「…?」
「エルメスは、ロックさんが仰った通り邪神の一人です。聖神に比べて信仰度は低めでしたが、それでも多くの人々が信仰している神でした。ですが、4日前…ある事件が起きました。世界各地で、エルメス信徒の多くが突然気を失ったり、体調を崩したりしたりしたのです。中には、記憶を失うといった症状を起こした人も少なくなかったと聞いています。この未曾有の異変こそが、エルメス・ショックと呼ばれている事件です」
「な、なんだそれ…初耳だぞ…?」
エルメスを信仰してた人達が、記憶を失った?
とんでもない出来事だぞ、それは。
というか、どうやったらそんな事態が起こるんだ?
宗教戦争というやつか?
「原因は特定されていませんが、教会ギルドの中では"エルメスが神の座から失脚した"のではないかという説が厚く支持されているようです」
「失脚…?神が、神じゃなくなったってことか?」
「あくまで、噂です。私にも詳しいことはわかりません…話が逸れてしまいましたね。ロックさんは、エルメスを信仰していたという可能性についてどう思いますか?」
苦笑いを浮かべた後、ロゼッタは再び表情を引き締めた。
俺の転生と、エルメス・ショック…。
どう考えても、無関係だとは思えない。
時期的にもぴったりだし、何より神に関係している話だ。
俺が神に近しい存在というわけではないが、神と無縁の存在というわけでもないだろう。
アビリティにも、確か"伝令神の加護"というものがあるぐらいだ。
…伝令神?
「悪いが、全く身に覚えがない…。何か、確かめる方法はないのか?俺がエルメスを信仰していたっていうことを証明するような、何かは?」
ロゼッタからの問に返答しながら、俺は小さな疑問を浮かべる。
俺が持っている、"伝令神の加護"というアビリティ。
神の加護というぐらいなのだから、伝令神とかいう神が俺のことを見守っていてくれてるのだろう。
具体的には、俺のことを転生させてくれた神が。
…今まで、何気なしにそう考えていた。
だが、今思えば不思議な点がある。
書院で読んだ本の中に、伝令神と呼ばれる神は存在しなかった。
神々の情報に特化していた「聖なる神と邪なる神」の中にすら、一切記述されていなかったのだ。
消えたエルメスと、謎の伝令神…。
この両者の間に、関係が無いとは考えられない…。
「証明…ですか。そうですね…熱心な信仰者であれば多少強引な方法で見極めることができますが…信仰していた記憶すらないというのであれば、それは難しいと思います…」
「…そっか」
申し訳なさそうに、表情を曇らせるロゼッタ。
正直なことを言えば、あまり期待はしていない。
他人が何を信じているかなんて、そう安々と理解できるものではないからな。
「…あ、いや待ってください。ロックさん、何か、模様のようなものが書いてある物をお持ちでないですか?」
「模様?」
会話の先行きが怪しくなり、これからどうしようかと考えていた矢先。
何かを思い出したかのように、ロゼッタが顔を上げた。
「はい。教徒の中には、自分が信仰している神を示す為に"聖印"と呼ばれるものを身に着ける方も居ます。もしかしたら、ロックさんも聖印を持っていたかも…!」
「せ、聖印か…。そうだな…」
俺が目を覚ました時に、身に着けていた物?
服なら生憎、エルダー戦で焼け焦げてしまった為に全て買い換えてしまった…。
他には…ハンターカードだろうか。
いや、でも俺のハンターカードに模様なんて書いてあったか?
…なかったはずだ。スナッツや、他のハンター達と同じ、普通のハンターカードだった。
他に…何かあっただろうか?
懸命に、4日前の記憶を振り返る。
自殺を図ったはずの俺は、気が付くとトルテラの森にいた。
何が何だか分からない状況だったが、俺は神からの手紙を見て、自分が異なる世界に飛ばされたのだと…。
「…あ」
「何か、心当たりがあるんですか?」
あった。俺がこの世界に来てからずっと持ち歩いていたもの。
それは、神からの手紙だ。
手紙といっても、今はもう紙ではない。
手紙を読み終えた後の俺はなんだかんだ忙しくて、ポケットに入れたまま放置していた。
そして、ふと手紙の存在を思い出した時には、手紙は元の姿へと戻っていたのだ。
「これなんだけど…」
ポケットから銀色の栞を取り出し、ロゼッタに手渡す。
「これは…見たこともないアイテムですね…。少し見せていただいてもいいですか?」
「あぁ、よろしく頼むよ」
栞を受け取ると、ロゼッタは表裏両面を見比べたりして、念入りに調べ始めた。
そして数秒間の鑑定を終えると、彼女は予想外の一言を俺に告げる。
「ロックさん。これはどうやら、マジックアイテムのようです」
「…えっ!?」
マジックアイテム。
直訳にして、魔法道具。
なんだそれ、魅力的な響きだな!
「マジックアイテムって、何?魔法具の一種?」
「あぁ、えーっと…魔力が込められたアイテムのことです。間違ってはいませんが、正確には魔法具がマジックアイテムの一種と言えます。おそらく、この表面に描かれている呪文をトリガーにして何かの効果が発動するのでしょう。見たところ二種類の言語で書かれているようですが…私にはどちらも読めません…」
そう言いながら、ロゼッタは表面に刻まれた文字列を指さす。
二種類の言語の内、片方は日本語で書かれた「旅のしおり」だ。
これは、この世界に来た直後に読んだ。
その結果、栞は手紙へと姿を変貌させたのだ。
そして、もうひとつの言語は…。
「…『一…ハンター…神…』…?」
「…えっ!?」
栞の文字列を目にした瞬間、俺の脳内にメッセージが浮かび上がった。
思わずそのメッセージを口にした瞬間、ロゼッタが驚きの声を上げる。
「まさか、読めるんですかロックさん!?」
「ちょ、ちょっと待って。その栞、返してくれる!?」
目を丸くしているロゼッタから、栞を返却してもらう。
ぼんやりとだが、栞に描かれている内容が理解できている気がする。
後ちょっとで読めるのに、ギリギリのところで読めないような感じだ。
…くそ、なんだこのチラリズム的な何かは!
あるいは、モザイク修正!?
頑張れ、もう少し頑張るんだ、俺の国語力的な何か!!
目を凝らし、何度も何度も文字列を見返す。
すると俺の努力が実ったのか、脳内に浮かぶメッセージは徐々に文章として成立していった。
例の言語読解能力は、本を読み進めている内に上昇していったが…同じ文章を何度も読み返すのでも効果はあるのだろうか。
それとも、和訳問題における文法に苦戦している時のように、時間をかけることで文章の構成を理解していっているだけなのだろうか?
…まぁ、今はそんなことはどうでもいいか。
無駄な推理を行っている内に、脳内には完全な文章が出来上がっていた。
その文章を、俺は反射的に唱え始める。
…ってあれ、ちょっと待て。
「『例え一介のハンターであっても、神と交流することができます。そう…」
このフレーズは、どこかで聞いたことがあるぞ…!?
「…"カミフォン"ならね』」
…この呪文ッ…やりやがったッ…!!
どこぞの果実社製品のキャッチフレーズみたいな台詞を口にした瞬間。
4日前と同じように、再び栞が激しい光を放ち始めた。
二度目の経験に、俺は空いていた手で栞からの光りを遮断する。
「な、何ですか!?まぶしいっ…!」
突然の発光にロゼッタは驚き、両手で目を覆った。
発光は数秒間にも渡って続き、栞を持っていた手の先からは、何かが変形している感触が伝わってくる。
そして…。
「…これは…」
発光が途絶えたのを確認したあと、手の先にある物体に目を向ける。
するとそこには、見覚えのあるデバイスが握られていた。
ガラスの液晶ディスプレイがはめ込まれた、薄型のデバイス。
ディスプレイ下部には円形のボタンが埋まっている。
「お、おさまりましたか…?…って、そのアイテムは何ですか、ロックさん?」
「え、あぁいや、えーっと…なんだろうね」
顔を逸らしていたロゼッタが、カミフォンに驚いている。
何ですか、って言われてもな…。
…今は分からないフリをしておこうか。
「栞が変形した…というより、別のアイテムになったのかな?ロゼッタ、調べてみてくれる?」
「あっ、はい。分かりました、お借りしますね」
俺が頼むと、ぎこちない動作でロゼッタがカミフォンを持ち上げた。
表面のディスプレイパネルを指でつつき、側面のボタンを興味深そうに弄っている。
そして…。
「…あっ!ありました、ありましたよロックさん!エルメスの聖印です!」
カミフォンを裏返した瞬間、ロゼッタが嬉々とした声を上げた。
彼女が指し示す場所に目を向けると、そこには二匹の蛇が互いにグルグルと巻き付いているような模様が描かれていた。
カミフォンの背面だ。
「良かったです。これで、ロックさんの記憶喪失を信じることができます…!」
「え、これだけでいいの?」
胸に手を当てながら、ロゼッタが優しく息を吐く。
聖印とやらを俺は鑑定できないのでなんとも言えないが…聖印が見つかっただけで俺の記憶喪失を信じていいのだろうか?
俺がエルメス・ショックによる被害者だと証明できる要素になったとしても、記憶喪失の症状が出たという証明にはならないのではないだろうか?
「これだけで、十分です」
そんな俺の疑問に、ロゼッタはふわりと笑顔で応えた。
向日葵のように、明るい笑顔だ。
…彼女が十分というのなら、それでいいのだろう。
此方としても、信頼してくれた方が助かる。
「それじゃぁ、俺に魔力の使い方、教えてくれる?」
気を取り直して、彼女に魔導の極意を教えてもらおうとお願いする。
俺史上最高クラスの爽やかスマイルだ。
「それとこれとは話が別です」
「えぇっ!?」
だが、俺のスマイルはロゼッタの向日葵スマイルによって跳ね返されてしまった。
完全に仲直りして、教えてもらえると思っていたのだが…。
なんとか食い下がろうと口を開くも、ロゼッタの笑顔を目にしてしまうと言葉が出てこない。
…まったく、可愛いっていうのは罪だよなぁ…。
ロゼッタは良い子なんですよ。
これからどうなるか、私も楽しみです。
ですが申し訳ない。今回の話でかなりの執筆量を持って行かれてしまったので、ここまで2日毎に投稿できてましたが、次は3,4日かかってしまうかもしれません…。
それではまた、次話でお会いしましょう。
閲覧ありがとうございました。