7
わたしは廊下を歩いている。どこまでも続くような長い長い廊下だ。かべには見なれたすずらんの絵がかけられている。ああ、ここはわたしのおやしきだ。でも、ろうそくがともっていないから、とても暗くてさみしい。じいやはどこにいるのかしら?メイドのハンナは?わたしは先の見えない道をひとりきりで歩く。
ふと、だれかの話し声がした。少し先の扉があいている。わたしはそっと部屋の中をのぞきこんだ。
「眠っているのかしら」
「そのようだ」
だれかがベッドのまわりでひそひそお話しをしてる。暗くてよく見えないけれど、女の人と男の人のようだった。月の光をたよりにじっと目をこらす。天蓋つきのベッドには小さな赤ちゃんが眠っているようだった。まわりにいるのは、お父さまとお母さま――
「なんてやせた赤んぼうなんだろう」
「おまけにこの奇妙な顔!こちらの心を見すかしているようないやな目つき!」
「見ている者みんなをぞっとさせる。まるで悪魔だ」
「気味が悪いわ」
「こんなものが私たちのこどものはずがない」
「ええ、そうだわ。なにかのまちがいよ」
お母さまはすやすやと寝息をたてている赤ちゃんを乱暴に抱きあげた。ドレスのすそがじゅうたんにこすれてさらさらゆれる。お母さまとお父さまはわたしをすりぬけて部屋の外に出ていった。
まってお母さま!エディを――お兄さまをつれていかないで!
赤ちゃんの泣き声が遠くで響く。わたしはネグリジェのすそをつかみ必死で追いかける。でも、いくら足を動かしても赤ちゃんの声ははなれていくばかり。お父さまとお母さまはエディを抱いたまま真っ暗な廊下にすいこまれていった。
「エディ!」
わたしは赤んぼうの名を呼び起きあがった。
――え、ここは?
わたしはあたりをきょろきょろと見まわす。目の前にあるのはかざりのついた額におさまった森の絵だった。暗闇も廊下もない。ベッドの横には火の消えたろうそくと、みがぎこまれた机に椅子。見なれた部屋が月の光に青く染まっている。ここはわたしの部屋だ。
――ゆめ?
わたしは首をかしげる。赤んぼうの声はもう聞こえない。のばした手はむなしく空をつかむだけだった。
「どうされましたか、おじょうさま!」
先ほどのさけびを聞きつけたのだろう、じいやがあわてて扉をあけた。湖の底みたいだった部屋をろうそくの火が橙色にかえる。
「ううん……なんでもないの。夢を見ただけよ」
「そうでございますか……?」
じいやは心配そうに私の顔色をうかがう。わたしはひたいをつたう汗をぬぐい、大丈夫よと笑顔をつくった。
「だいぶ汗をかいていらっしゃいますね。このまま寝てはかぜをひいてしまいます。今着がえを持ってこさせましょう」
「ありがとう」
じいやが部屋を出ていくのを見送って、私はほうと息をついた。
かべにかけられた森の絵を見つめる。これはお父さまとお母さまがお亡くなりになったあと、ベッドにいても森が見えるようにと画家にかいてもらったものだった。湖のある美しい森。湖畔でくつろぐ鹿の親子。緑をいろどる花とちょうちょうのむれ。
「エディ……」
わたしは、こらえきれず顔をおおった。
じいやとメイドにかこまれなに不自由なく暮らしてきたわたしと、ひとりぼっちで森にすてられたエディ。おなじ親から生まれた兄妹なのに、どうしてこんなにちがうのだろう。幼いころからわたしは、お人形のようにかわいらしいとみんなからほめられ愛されてきた。お母さまもお父さまもわたしが好きだといえばなんでも手に入れてくれたし、キスひとつでとてもよろこんでくださった。村の子ともなかよしで、一緒に遊ぶお友達もたくさんいた。でも、エディはばけものと呼ばれ忌み嫌われている。実の親さえも目をそむけ、森へすてた。
――ずっと――ひとり?
――ずっと――ひとり。
ずっとずっと、長い時の間、エディはなにを思っていたのだろう。
なにを思い生きていたのだろう。どうやって日々を過ごしていたのだろう。
小鳥や色とりどりの花たちと、なにを思い――
今ごろ、エディは月を見上げているだろうか。背骨が浮きでるほど細い体をおりまげて、窓辺にたたずみ、青い光をあびて、古い小屋の中たったひとりで月をながめているのだろうか。
森にいる兄を想い、わたしは青い部屋で泣いた。