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その日の夜、私は森の夢を見た。
枯れ木のように細長く、鳥の巣のようなわしゃわしゃ頭のばけものが、森の入り口にたっている。ばけものが風にゆられるようにぶらりとうでをのばすと、こどもたちは泣きさけんで逃げていく。ぽつんとたちつくすばけものは、どこかさみしそう。
ふと、遠くにいるはずのばけものと目があったような気がした。真っ黒な髪のすきまから、ぬるりとした目玉が光ってる――
小枝のような指がぬうっとのびたかと思ったら、ぐるりと世界がひっくりかえった。
ぽかっと目をひらくと、わたしはベッドの上にいた。窓の外はまだ暗く、星がたくさんまたたいている。月は高く、まだまだ朝は遠そうだ。こんな時間に目が覚めるなんてめずらしい。いつもは昼寝をしても朝までぐっすりなのに。ふとんをかぶりもう一度目をつむったけれど、どうにものどがかわいていたので、りぼんのついた部屋ばきをはいてぺたぺたと厨房に向かった。
冷たい水を飲んで廊下を歩いていると、ぼそぼそとだれかが話しているのが聞こえた。秘密のにおいをかぎとって、かすかなあかりのもれる部屋にこっそりと聞き耳をたてる。
「……おじょうさまが森に……」
「……ああ……今日……」
ああ、これはじいやとばあやだ。こんな夜おそくまで起きているなんて、とわたしはおどろいた。朝わたしが起きるとおやしきの中はぴかぴかにみがかれていて、食堂ではほかほかの食事が待っているし、食卓には庭からもってきたきれいな花がかざられている。うんとはやく寝ないと朝お仕事ができないんじゃないかと思うのだけど、体が大きくなるにつれて眠る時間は少なくてすむようになるのかしら?
「しかし、困ったことになったな」
「やっぱり、あの赤んぼうなんだろうかねえ」
「あれからもう二十年だ。森で生きのびたとは思えないが……」
「もしかすると、狼やなんかがあわれんで、育てたのかもしれませんね」
じいやたちはいったい何の話をしているんだろう。あの赤んぼうって?
ドアにぴったり頭をつけて耳をすます。部屋の中でふたりきりのはずなのに、じいやたちは顔をよせあうようにしてひそひそと小さな声で話している。まるでだれかに遠慮をしてるみたいだ。わたしの部屋はじいやたちの部屋からはとてもはなれているし、ほかの召し使いたちはもっと遠くで寝てるから、ふつうに話していたんじゃ聞こえるはずもないのに。いったいどうして?
心臓の音がじいやたちに聞えちゃうんじゃないかってくらいどきどきする。内緒の話をあばきたくなるのはどうしてだろう?それはなにか、大切なことだからじゃないかしら。どうでもいいことはかくす必要がないもの。秘密にしたがるってことは、知られては困るだれかがいるってことだ。
「このことは、おじょうさまにはけっして知られてはならないぞ」
「ええ、わかってますよ。今さらお伝えしたってとまどうだけです」
ほうらね、やっぱり。心の中でひとりごち、わたしはくちびるのはしをあげる。とっくに寝ていると思ったのでしょうけど、じいやもばあやもあまいあまい。もしかして、目が覚めたのはこのことをかぎとっていたからなのかしら?そうだとしたら、わたしってものすごくかんがいい。
「それにしても、どうして兄と妹でこうもちがうのだろうね。神様は不平等ですよ」
「これ、おまえ」
編みかけのセーターをひざにおいてため息をついたばあやをじいやがたしなめる。ばあやはしわだらけの顔をあげ、だって、と非難するように声をあげた。
――兄と、妹?
いったいなんの話だろう?
わたしは思わぬ言葉に首をかしげた。赤んぼうだとか森で生きのびただとか、どうも話が読めない。じいやたちはどうしてわたしに知らせたくなかったのだろう。
だれが兄で、だれが妹?わたしにけっして知られてはいけないことならば、考えうる答えは――
もしかして、わたしにお兄さまがいる?
胸に芽ばえたよろこびに、悩んでしかめていた顔がぱっとほころんだ。
村の子たちはどの家の子もたくさん兄弟がいて、毎日とても楽しそうであこがれていたんだ。みんなで遊んだり、畑仕事をしたり、にぎやかにごはんを食べたり……それは、このおやしきでは長らく無縁のことだから。召し使いたちは多いけど、主人であるわたしに対してみんな一歩引いたようにふるまうから、時々おやしきの中でひとりきりのような心地になるときもある。もしわたしにお姉さまがいたら、弟がいたら――そんなことを考えて自分をなぐさめたのは数回ではない。ああ、わたしにお兄さまがいるなんて、なんてすばらしいんだろう!
でも、そんな話は今まで聞いたことがない。この家には、わたしと、お父さまと、お母さまと、わたしが小さいころに亡くなったおじいさまと、召し使いたちしかいなかった。男の子なんて、写真にも残っていない。
いったい、どういうこと――?
わたしは扉の前にじっと立ちつくし、じいやたちの会話を反芻する。
――おじょうさまが森に
――今日
――困ったことになった
――あの赤んぼう
――あれから二十年
――森で生きのびた
――狼が育てた
――兄と妹でこうもちがう
じいやたちは、どうして今日この話をしている?
じいやはわたしが森に近づこうとすることを嫌がった。
それは、ばけものがいるから――
森で二十年生きのびた赤んぼうは、困ったことになったとじいやをなげかせた。
兄と妹でこうもちがうとなげいたばあや。
森に住むと恐れられるばけもの。
――かわいらしい、天使のようだと言われるわたし。
なにか、かちりと符号があった。
わたしは口をおさえ、音を立てぬよう速足でその場を立ち去った。
❁
いちもくさんにベッドにもぐりこみ、はやる心臓をおさえ毛布にくるまる。
兄と――妹。
森のばけものが、わたしのお兄さまなのか。
なんということだろう。どういうことなのだろう。
どうしてわたしのお兄さまが森で二十年も生きているのか。
どうしてばけものと呼ばれているのか。
頭の中では疑問とおどろきとがぐるぐるかけめぐっている。
けれど、ふしぎとおぞましさはなかった。わきあがってくるのはただ、走り出したいような想いだけ。
ああ、森に行かなくては。
兄に、会いに行かなくては――