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あつい夏がすぎ、さわやかな風の秋がやってきた。
僕は森でいっとう背の高い木にのぼり、空を見る。雲がもくもくとちらばって、ひつじのむれのよう。ふわふわの綿をだれかがおんなじ大きさにちぎってならべたみたい。夏と秋とじゃ雲はぜんぜんちがう。お城をかくしてそうな大きな入道雲はもういない。まろやかな青に浮かぶのは、ふんわりと向こうがわがすけていきそうな雲たち。ああ、いい天気だ。
空の雲がぜんぶ綿あめだったらいいのに。雲は風にはこばれてどんどんやってくるから、ずっと甘いものが食べられる。でも、僕の手じゃ空にとどかない。僕の十人分くらいありそうな大きな木にのぼっても、まだまだとどかない。どうしたらとどくんだろう?鳥みたいに飛べたら食べれるかしら?
「おーい、エディ!」
空に向かって手をのばしていると、下から元気のよい声がした。見ると、アンジェがバスケットを大事そうにかかえて手をふっている。僕は手をふりかえし、するすると木からおりた。
「今日はアップルパイだよ!一緒に食べよう」
アンジェはバスケットにかけていた赤と白のギンガムチェックの布をとり、きつね色のパイをとりだした。りんごの甘い香りが森に広がる。
「はい、めしあがれ」
「いただきます」
さくっ、もぐもぐ。口いっぱいにほおばると、中からやわらかいりんごが出てきた。ぱりぱりに焼けたパイのかけらがかじるはしからこぼれてしまう。僕は少しもむだにしたくなくて、手でお皿をつくりながら食べた。
「おいしい?」
「うん、とっても」
よかった、とアンジェは目を細める。
「今日のパイはハンナが焼いたのよ。ハンナはおっちょこちょいだから心配したけど、うまく焼けてるわ」
「ハンナって、この前アンジェの家にあたらしく来たメイドさんだっけ」
「そうよ。ハンナはじいやのお姉さんの孫なの。いつもわたしの髪を優しくとかしてくれるのよ」
「だからアンジェの髪はこんなにきれいなんだね」
「ありがとう」
アンジェはふふ、と得意げに笑った。風が黄金色の髪をさらりとなびかせる。細い毛のいっぽんいっぽんがおひさまの光をあびてきらきらかがやいていた。
「赤いはっぱ、黄色いはっぱ、茶色いはっぱ……なんだか森がにぎやかになってきたね」
僕たちは木によりかかって、パイを食べながら森をながめる。アンジェは草の上に落ちてるはっぱをひろうと、ふしぎそうに日にかざし、くるくるまわした。
「木たちはね、寒い冬にそなえておしゃれをしてるんだよ」
「そうなの?」
「秋になってだんだん寒くなってきて、僕たちはもういちまい服を着るだろう?はっぱたちも緑のまんまじゃがまんできなくなって、赤や黄色にかわるんだ」
「じゃあ、あの緑の木は寒さに強いのね」
アンジェは目の前にある、さわるとちくちくするとがったはっぱの木を指さす。
「うん、冬になってもずっと緑のままの木もいる。でも、たいていの木は冬になると寒さにたえきれなくてはっぱを落としてしまうんだよ。だから、冬には茶色い枝と灰色の空と、ほんの少しの緑しかのこらない」
「森はさみしくなってしまうのね……」
はっぱの散りかけている森を見て、アンジェは悲しそうな目をした。
「でも、春になるとまた緑がもどるよ。花も咲くし、木いちごもなる」
お花みたいな笑顔をくもらせたくなくて、僕はあわててつけくわえた。アンジェは小さな顔を心配そうなままこちらに向ける。
「ちょうちょもいる?」
「うん、生まれるよ」
こっくりと、安心させるように大きくうなずく。アンジェはぱっと顔をかがやかし、見てみたいわ、春が待ち遠しい!とはしゃいだ。僕はほっと胸をなでおろし、そうだねととなりで笑った。
❁
あれから、アンジェは二日とあけずに森に来る。
森から少しはなれたおやしきで暮らしているのだそうで、パイだのクッキーだのケーキだのといった甘いおかしを持って、明るい笑顔でやってくるのだ。
――あなたとここにいる。
アンジェはそう言ったけれど、僕はやっぱり姿を見られたくなかった。そばにいるなんて言って、僕の顔を見ればどうせ逃げていってしまうんだ。ほのかな希望をふみにじられるのはもういやだった。期待なんて、はじめからしないほうがいい。
小屋にいては簡単に見つかってしまうので、僕は林や草むらにかくれたりした。でも、どこにいてもアンジェは見つけだしてしまう。だから僕は、走って逃げまわったり、高い木にのぼったりしてアンジェがあきらめるのを待った。
「おりてきて、お話ししようよー!なしのタルトもあるのよ、一緒に食べようよ!」
僕が木にのぼると、アンジェはとほうに暮れたように上を見て、下からさけんだ。何度も、何度も呼びかけてくる。でも、何度呼ばれようと答えるわけにはいかない。どうして僕につきまとうのかはわからないけど、僕はきっと恐がらせることしかできない。僕なんかと一緒にいてもなんにもいいことはない。きっと、ばけものがめずらしくてかまってるだけなんだ。
木の上でじっとしていると、森は静かになった。ようやく帰る気になったのかと下を見ると、アンジェは背中のりぼんをしゅるりとといて、長いスカートをぬぎだした。いったいなにをするつもりだろう?はっぱにかくれながら見ていると、アンジェはすけるようなフリルとレースのブラウスもぬいでうすい下着いちまいになり、木にのぼりはじめた。みきをよじのぼり、枝をつかんで上にいこうとがんばる。けど、まだまだ小さいから、途中でうでがぶるぶるふるえはじめて、疲れてずり落ちてしまう。それでもアンジェはあきらめない。またはじめから、日が暮れるまで木にのぼろうとしつづけた。
落ちてはのぼり、落ちてはのぼり、アンジェは日に日に木のぼりが上手になってきた。追いつかれてはたいへんと、僕も負けじと高い木にのぼる。だから結局、いくらがんばってもアンジェが僕のもとまでたどりつくことはなかった。
「ねえ、おりてきてよ!一度でもいいから……ねえってば!聞こえてるんでしょう?返事くらいしてくれたっていいじゃない……」
空が茜に染まるころになって、アンジェは下からさけぶ。僕はそのたびにおりていきたくなったけれど、やっぱり顔を見られたくなくって、そのまま木の上にいた。いつもならここでまた明日来るからね!と帰っていくはずだったけど、その日、アンジェはふたたび木にのぼりはじめた。調子よく枝をつかみ、どんどん上にのぼってくる。それを見て、僕はほっぺにうーんとこぶしをあてて、複雑な気持ちになった。このままだと僕のところまできてしまうかもしれない。木の上で追いつかれちゃ逃げ場がない。どうしよう?
「あっ」
悲鳴のような声が聞こえて、はっと下を向く。アンジェが手をすべらせた――。僕はさあっと血が引いていくのを感じた。
つかむべき枝はぼきりと折れて、手はいっしゅん空をさまよう。小さな体がぐらりとかたむき、まっさかさまに落ちていく。思わず身をのりだすと、蒼白の緑と目があう――
どさりと音をたてて、アンジェは草の上に落っこちた。
金の髪が緑にちらばる。アンジェは動かない。僕はふるえる手で口をおさえた。
――死んじゃったんだろうか?
そんなに高いところから落ちたわけじゃないけど、打ちどころが悪ければありえない話ではない。僕はおそるおそる下をのぞきこんだ。
「……えっ、うえっ……」
耳をすますと、小さなおえつが聞こえてきた。僕はほっと息をつく。どうやら大丈夫のようだ。
「えっ、え……うっ……ねえ、おりてきてよお……」
肩をふるわせて、アンジェはうつぶせのまま泣きつづける。僕はこまりはてて、とうとう木からおりたった。横にしゃがみこみ、大きなけががないかを見る。血が出たりということはないみたいだ。どこか打ったのかな、いたいだろうな。僕が逃げまわってたせいだ。
「ねえ…泣かないで……」
頭をなでようとすると、がっ、とうでをつかまれた。
「うわっ!」
「――やっとつかまえた!」
アンジェは顔をあげて、泣きながら笑う。僕は心臓をわしづかみにされたかというくらいおどろいた。ふりはらおうと、あわてて立ちあがる。
「逃がさないわよ!」
でも、アンジェは小さな体全身を使って僕のうでにまとわりつき、それをゆるさない。無理やり引きはがすことも考えたけど、いきおいあまってけがをさせるわけにはいかない。しかたなく、僕はその場にすわりこんだ。
「……なんで君は僕をおっかけるの」
「あなたが逃げるからよ」
アンジェは胸をはる。それじゃあ答えになっていない。僕は肩を落としため息をついた。
「とりあえず、うでをはなしてくれないかな」
「いやよ、あなた逃げるつもりでしょう」
「逃げやしないよ。ただ、このままじゃ話しにくいだろう?」
「お話しする気になったのね!」
アンジェは目をかがやかせ、よろこんで手をはなした。たっぷりしたフリルのブラウスといちごともも色のしまもようのワンピースをいそいそと着て、ふんわりと草の上にすわる。白いレースのハンカチで涙をふくと、木の下においてたバスケットからココア色のケーキを取りだした。
「はい、さくらんぼのロールケーキよ。めしあがれ」
「……ありがとう」
そろそろばんごはんの時間だ。僕はおなかがすいていたので素直にうけとった。さくらんぼは春のくだものだから、砂糖づけにしていたのかな。生とはちがい甘みが強い。ちょっぴりあまずっぱくて、スポンジのほろ苦さととってもあう。
「……おいしい」
「そうでしょう?よかった!」
アンジェは無邪気に笑う。もう涙のかげはない。
――いったいなんなんだろう、この子は。
ケーキをくわえながら横のかわいらしい女の子をじとりと見る。この子はなにがしたいのだろう?ばけものに近づいたって楽しいことなんてなにもないのに。僕がまゆをよせているうちにアンジェはケーキをぱくぱくとたいらげ、僕にもふたつめをすすめた。
赤い空をからすが飛んでいく。かあかあかあかあ……巣へともどっているのだろうか。
「……ねえ、そんなにわたしのことがきらい?」
「そういうわけじゃないよ。僕はただ、僕を見られたくなかっただけだ」
ひざこぞうに顔をのせ、守るように肩を抱く。同じことを何度も口にするのはつらかった。僕はばけものだと思い知らされているようで、泣きたくなる。
「わたしは逃げないって、言ってるのに」
アンジェは不満そうにほおをふくらませ、僕の前にまわりこんできた。夕方色に染まったフリルとレースが夏の終わりの風に揺れる。思わずのばしかけた手を頭にのせ、僕は顔をそむけた。
「君にはわからないよ。かわいい君には……わからない」
ふっくらとしたミルク色のはだ。さらさらとなびく黄金の髪。ひらきかけのばらのつぼみのような愛らしいくちびる。神秘的な光をやどす緑の瞳。その姿は、教会でいつか見た天使のようだった。背中から無垢な羽根がはえていてもふしぎじゃない。きっとお父さんとお母さんに愛されて、友達もたくさんいるんだろう。僕にはまぶしすぎて、手にはとどかない。そんな子に僕の気持ちがわかるはずはない。
「好きでかわいいわけじゃないわ」
強い言葉に顔をあげると、アンジェは僕の目をまっすぐに射抜いた。
「生まれつきなんですもの。わたしのせいじゃないわ。あなたがあなたなのもそうでしょう?」
こしに手を当てて、いらだったような低い声で問いかける。その顔は夕陽のかげになってよくわからないけれど、もしかして怒っているのだろうか?
「きれいな髪ね、すきとおるような白いはだ!なんてすてきな緑の瞳!みんなそれしか言わないのよ。うたに、読書に、運動に……わたしがいくらがんばっても、そちらは気にもとめやしない。たとえその場でちょっとほめても、すぐ見かけのほうに話がいくのよ。いいかげんうんざりだわ。そりゃあ、好きだきれいだって言われるのがきらいなわけじゃないけど……運がよかっただけでほめられてもむなしいわ。それに、見かけがかわいくたって中身までそれを求められるのはまっぴらよ。わたしはわたし。泥だらけになってはしゃぎたいし、まじめに本も読みたい。怒るときもあるし、悲しいときもある。外見で決めつけないでほしいわ」
「だからどうだっていうの。たとえ僕のせいじゃなくても、僕がみにくいのはかわらないよ」
折りたたんだうでの中におさまると、アンジェはひくりと顔をしかめておしだまった。
――好きでかわいいわけじゃない。
かわいい子にもそんななやみがあるってことは新鮮だった。僕たちのなやみの種類はちがうけど、根っこはおなじだ。僕たちのせいではない見かけでみんなが一緒にいてくれるかどうかが決まる。アンジェは好かれ、僕は嫌われる。それはかわらない。だから、僕のせいじゃないなんてことはなんのなぐさめにもならない。
「ねえ、あなたも見かけで決められたくないんでしょう?そんなことで判断するみんながそんなに大事?」
「好きじゃなくたって、嫌われるのはつらいよ」
のぞきこむ視線をさけるようにうすい肩を抱きしめる。長いまつげにふちどられた目の光は僕には強すぎる。
「あなたがいやなのはお友達がいないことでしょう?だって、どんなに美しくてもみにくくても、自分の顔なんて鏡がないと見えないものね。でも、そのせいでみんなが逃げていくのは悲しいんでしょう?それは、だれかと一緒にいたいってことじゃないの」
かわいらしく必死な声が、ふせた背中につきささる。
――ああ、言われなくたってわかってるよ。今さら小さな女の子に言われなくたって、わかってるんだ。ひとりでも楽しいけど、仲間とはしゃいでるこどもたちや動物のむれを見ていると、だれかのぬくもりがうらやましくなるときもあるんだ。だれかと一緒にいるってどんなふうなんだろう?あんなにうれしそうな声をするのだから、さぞ楽しいんだろうななんて想像して、手をのばして。でも、だれも僕をうけいれてはくれなかったんだよ。僕はばけものだから。そうして、ひとりでこえた夜の数だけ悲しみはふりつもっていった。そんな毎日にたえきれなくなって、僕は世界から心を閉ざそうと、目を閉ざそうとしたんだ。それなのに、どうして君は僕を起こすの。
あふれる想いは声にならず、涙とともに地面にしみこんでいく。
ああ、この子があらわれるまで、僕は死のうとしてたんだ。井戸の水底をのぞきこんで、飛びおりようとしてたんだ。どうしてやめてしまったんだろう?僕は、その答えを知っているような気がする。
ひややかな風が木のあいだをとおりぬける。もう、夜が近い。
沈黙のすえ、アンジェはこらえかねたかのようにひざをついた。
「ねえ、わたしとお友達になろうよ。心もちゃんと見つめられる、そんな友達に……」
アンジェは僕のうでにすがりつく。いのるような声で僕を見つめる。うるんだ瞳は今にも泣きだしそうだった。
――そんな目で見ないで。
心がぐらついてしまう。
「……僕のことが気持ち悪くないの」
だめだだめだと警報が鳴る。これはわなだと頭の中でだれかが言う。
「そうね、もうちょっと食べたほうがいいかもしれないね」
アンジェはうっすらとほほえんで、僕の細長いうでを取った。
「これでも?」
ぶあついおおいに手をさしこみ、ごわついた毛をばさりとあげる。さらけだされた素顔を冷たい空気がさす。アンジェは緑の目をいっぱいに見開いた。
「……恐くないと言えばうそになるわ」
そうして、ふるえるくちびるで言葉をつむいだ。小さな体はこおったみたくかたまって、かわいらしい顔にはおびえがしっかりときざまれていた。でも、それでも僕たちの手はつながれたままだった。
「うん、それでいいんだ。僕もきっと、君をかわいいと思うことはなくならないから」
「そう……」
どこかほっとしたように、アンジェはやわらかに息をつく。僕は、歪んだ顔にあきらめの笑みをうかべた。
おびえても、恐がってもよかったんだ。そんなことはないよとごまかされるよりずっといい。僕が恐ろしいのは、ばけものの僕が一番わかってる。僕を恐がっても、アンジェは逃げずに僕の手をにぎっている。それは、ありのままの僕をうけいれてくれた証拠だから。
「友達になろう。僕たちはきっといい友達になれる」
いけないとわかっているのに、言葉はかってにすべり落ちる。「友達」と、優しい声音を奏でだす。
「ええ、きっと」
アンジェはたしかめるようにくりかえし、にっこりと笑顔をつくった。骨のういた手と、ふっくらとまるみをおびた手がかさなる。僕たちは黒と緑を見つめあい、しっかりと指をからめた。
「あなた、名前はなんていうの」
「エディ……エドウィンだよ。君は?」
「わたしはアンジェよ」
「天使か、君にぴったりだ」
「よく言われるわ」
アンジェははにかむように苦笑する。
「見かけだけじゃない。心もだよ」
優しくかわいらしいアンジェ。君はひとりぼっちの僕のもとに舞いおりた天使だ。
アンジェは長いまつげでぱちりとまばたき、うれしそうに顔をほころばせた。
「そういえば、わたしたちおたがいの名前も知らなかったのね」
「言われてみれば……」
いつも僕は逃げてばかりでアンジェは追いかけてばかりだったから、ろくに会話もしたことがなかったんだ。それでも友達になってしまえるのだからふしぎだ。僕たちは顔を見あわせて笑いあった。
「わたしが家から食べものをとってきてあげる。うちのメイドはいつもおやつもごはんもつくりすぎるのよ。あなたひとりの分をとってきてもばれやしないわ。髪をとかすくしも持ってくるし、さらさらにする油もあげる。何もしないよりずっといいわ。ほら、もっと背すじをのばして空を向いたほうがいいわよ!」
アンジェは僕の手をひき立ちあがらせる。
「ああ、楽しみだわ!お友達ができるなんて……それもすてきな約束をした友達!これからずっと一緒に遊べるのね!」
「うん、そうだね」
僕の両手をとってひとしきりくるくるまわると、天使はまた明日来るね!と森をかけていった。僕はそれを手をふって見送る。
――また明日来るね。
約束できることがこんなにうれしいなんて知らなかった。僕に友達ができたなんて……まだ信じられないような、くすぐったい気持ちだ。明日が来るのが待ち遠しいなんていつぶりだろう。今夜ははやく眠らなきゃ。明日からうんと遊ぶんだから……
その日の夜、僕はうれしい気持ちを胸いっぱいにつめこんで、わらのベッドにもぐりこんだ。
❁
それから、僕たちがなかよくなるまでずっとしていたかくれんぼは今でもつづいている。今日はどこにかくれよう?アンジェはどうやって見つけるかしら……そんなことを考えるのが楽しくてしょうがなかった。
でも、前とはちがって見つけられても逃げまわらない。アンジェは日が暮れるまでにはおやしきに帰らなくちゃならないから、そんなことをしてると遊ぶ時間がなくなっちゃうもの。
一緒に木のぼりをして高いところから森を見たり、木のつるを編んでブランコをつくってかわりばんこにおしたり、湖で泳いだり……アンジェは今まで森に来たことがなかったから、なにをしても新鮮のようでとても楽しそうにしていた。ひとりでしてたことをふたりでするのはなんだかうれしかった。
僕たちが一番好きだったのはお話しをすることだった。アンジェは森のことをよく聞きたがった。どうして花が咲くの、どうして木はあんなに大きいの、どうして森はこんなに美しいの――。僕は質問にひとつずつ答えるときもあったけど、むずかしい問題のときはアンジェはどう思うのかを聞いて、一緒に考えた。
パイでおなかがいっぱいになって、僕は草の上に寝ころんだ。アンジェもころんと横になる。
「エディはいつからここにいるの?」
「さあ……いつからだろう」
僕はうんとうでをのばして、木にとまる小鳥たちを髪のすきまからのぞき見る。今日もみんないい声で歌ってる。あれは恋の歌だろうか。それとも友達の歌?
「おぼえてないの?」
「あんまりね。でも、今とかわらないよ。ずっとひとりで、森で遊んでた」
「ずっと――ひとり?」
「ずっと――ひとり」
アンジェは髪を波うたせてこちらを向く。ゆれるフリルを持ち上げて、小さな手をさしのべる。ひいやりとした指をからめあい、僕たちは見つめあう。風が木をゆらし、ざあっと音をたてた。
小鳥たちが去っていく。今度はどこに行くのだろう?どこにいても風はふく。あたたかな巣のほかはどこにいてもおなじことだ。目を閉じて、僕の小屋を思いえがく。身をよせあう人もいない、せまいだけの部屋。すきまからふきこむ風がさびしさをきわだてる。ああ、かべで風はしのげても、心にふく風はふせげやしないんだ。
アンジェが動く気配がする。もう帰る時間になってしまったのだろうか。閉じたまぶたの裏側が少しだけ熱をおびる。楽しく遊んだだけ、別れの時がつらくなる。でも、ふたつ夜をこして眠ってしまえばすぐに朝が来て、また会えるじゃないか。そう自分に言い聞かせて、僕はいつも涙をこらえている。
また明日ね、と声がふるのをふるえるまぶたで待つ。
ちゅっとよせられたやわらかな感触に、僕はあわててはねおきた。
「アンジェ!」
「あはは、エディ真っ赤!」
僕の首に抱きついて、天使はくすくす笑う。アンジェはときたまこういうことをするので心臓に悪い。でも、そのどきどきはけっしていやではなかった。
「でも、もうさみしくないよね」
「……うん」
かわいくいたずらなアンジェは僕に笑顔とときめきをはこんでくれる。
もしかすると、この子が僕の楽園なのかもしれない。
光をはじく髪をなで、小さな天使を抱きしめた。