12
あの魔女は、国中で雨が降らなくて困っているときに、木の枝で地面をひとつきして湖を生んだことがあるという。また、どの医者もさじを投げた王子さまの病を、見たこともない薬草を使って治したのだという。また、あるときは――
――おじょうさま、ばけものとは危険でおぞましいもののことを言います。昔はおとぎ話に出てくる魔女や妖怪をさしたり、うらみつらみのあるものが年月をへてばけたものをそう言っていました。しかし、今ではそういうものは迷信やたとえ話で、おそらくいないということになっています。今の時代では、ばけものはふつうとはちがうものや、見たことのない奇妙なもののことを言うのでしょう。
そんなことを言ってたじいやがどうしてあんな人を呼んだのか。
厳格で合理主義のまじめなじいやは、わたしが生まれたときからずっと慈しんでくれた。きっとわたしのことを思って、魔女にもすがりつきたい思いになったのだろう。あるはずがないと思いつつも、万が一にかけてふしぎな力を信じてみたくなったのだろう。
助かる方法があると言われて、少しも心がゆらがなかったわけじゃない。
神にもすがりつきたい思いで魔女の言葉を待った。
――森に住まうばけもの、その心の臓を食らわば、少女の命永らえよう。
でも、その結果がこれだ。
わたしたちはみんな、ほかの生き物の命をいただいて生きている。
小麦でできたパンを、にわとりの産んだ卵を、畑で育った野菜を、木になったみずみずしい果実を、やぎの乳をしぼったチーズを、はるか彼方を泳いできた魚を、太らされた牛を、昨日狩られた子うさぎを食べて、それでようやく生きながらえる。
わたしたちは命をうばわずには生きていけない。
けれど、わたしたちも命を育んでいる。
わたしが死ねば、やがてそこから花がめぶき、みつを集めるはちたちを生かすことになるだろう。そしてみつをなめるくまを、くまを食べる人間を、人間の育てる小麦を生かしていく。この星の生きとし生けるものは、大地の、太陽のめぐみを受けて、自然の輪廻の中で生かされているのだ。
それなのに、どうしてわたしは魔女の言葉を聞いたときあんなに怒ったのか。
もし魔女が言ったのが鹿なら、うさぎなら、猟師にたのんで森で狩ってきてもらい、感謝しながら死肉ををむさぼっただろう。
じゃあ、エディではなく見ず知らずの人の命だったら?
うさぎだって鹿だって殺されたくはないし、家族もいるはずなのに、どうして人だとためらうのだろう。
――それでアンジェが助かるなら、僕はよろこんでさしだすよ。だって、アンジェのおかげで楽しく暮らせるようになったんだもの。痛いのはいやだけど、アンジェは僕と友達になるためにうんと木のぼりの練習をしてけがをしたよね。だから、お返し。
エディはきっと、そう言ってほほえむだろう。命をあたえようとする彼が簡単に想像できてしまうことが悲しかった。もっと自分のことを大切にして生きてほしかった。自分を愛して、みとめてあげてほしかった。エディはあんなに優しくて、心の美しい人なのに……
❁
前に、こんなことがあった。
エディのもとへ色とりどりの枯れ葉をふみながら歩いていた道で、なにか小さなものがちょこまかと動いているのが見えた。そおっと近づいてみると、しっぽにしまもようのあるりすがくるみを運んでいるところだった。
――かーわいい!
一緒に遊びたくてもう一歩、もう一歩と進むうちに、いちょうをかさりとくずしてしまった。木の上の巣をめざしていたであろうりすはぴたりととまる。真っ黒でつぶらな瞳と目があった。
「こんにちは、りすさん。よかったら遊ばない?」
にっこりほほえみかけると、りすは小首をかしげてくるみを抱きしめた。おどかさないようしゃがみこんで、ゆっくりにじるよる。途中でひろったどんぐりをさしだすと、りすはくるみをおいてとことこ近づいてきて、小さな手で受けとった。
「エディ、はやく来て!りすさんがくるみを運んでてかわいいのよ、どんぐりももらってくれたの!一緒に遊びましょう!」
りすにちょっと待っててねと告げて森を走りまわり、エディを探しあてたわたしは息をはずませて一気にしゃべった。はやくはやく、と腕をひっぱるけれど、エディは動こうとはしない。
「どうしたの、りすさんきらい?」
「そんなことないよ、でも……」
悲しそうに目をそむけ、エディはくちびるをきゅっと結んだ。その仕草で、わたしははっと目を見ひらいた。そうだった。忘れていたけれど、エディは――
「ごめん、アンジェのせいじゃないよ。僕が悪いんだ」
「そんな……そんなこと言わないで」
エディのせいじゃないのに。
なんて浅はかなんだろう。エディをよろこばせようとして、エディを傷つけてしまった。ぴちゅぴちゅ、ぴぴぴぴ、鳥が空を飛んでいく。彼らはいつだって朗らかだ。かわいらしいせいいっぱいの姿でもって森を音楽で満たしていく。エディもその仲間に入れたらどんなにいいだろう。
「大丈夫、わたしに考えがあるわ」
エディを安心させるために笑顔をつくり、わたしはうすい手をにぎった。
「おまたせりすさん、遊びましょう」
しぶるエディの手をひいてりすの巣のある場所に到着したわたしは、太い木の下にすわって呼びかけた。エディは帽子を深くかぶって顔を見せないようにして、どんぐりやらクッキーやらを手のひらいっぱいにのせてとなりにしゃがみこんでいた。ちっちっちっちっち、と口をすぼめてしたを鳴らすと、大きなしっぽを揺らして一匹二匹と草の上におりてきた。
「ほら、おやつも持ってきたのよ。こっちのお兄ちゃんからもらってね」
エディが大きな手を草の上におくと、りすはふんふんと鼻を鳴らしながらとことこ近づいてきた。枯れ木のような指を鼻をひくひくさせてかいでいる。そうしてひとしきりかぐと、りすは小さな手でハート形のクッキーをとり、くりをとり、器用にかじりはじめた。木の上で様子を見ていたりすたちもおりてきて、そのうちどこからか鳥たちも集まってきて、帽子の上には順番待ちの小鳥が幾羽もとまって、空色の羽根をおさめていた。
「うわあ……すごい、かわいいね。すごいやアンジェ」
エディははしゃいだ声をあげ、うわずったようにそう言った。深くかぶった帽子のせいで顔は見えないけれど、きっと満面の笑みを浮かべているにちがいない。
「あのね、たとええさがあっても、動物は危険なものにはけっして近づこうとしないんですって。エディはとっても優しいんだもの。みんながよってきて当然だわ」
わたしはエディの横にすわり、ジャムクッキーをとってかじった。エディは腕によじのぼってきたりすをわたしのひざにおいて、こちらをじっと見る。
「ありがとう、アンジェ」
「ううん、エディがよろこんでくれてよかった」
それから、りすたちと遊びながら、なでながらおしゃべりをして、わたしたちは笑いあった。
❁
なにかを犠牲にせざるをえないことにやるせなくなることもある。だけど、おなかがへると苦しいから、食べずにはいられない。病気から助かるのなら、心臓にナイフをつきたてて、あたたかい臓器をえぐりださずにはいられないはずなのに……そのことに嫌悪しか感じられない。
エディ――大好きなわたしのお友達。
わたしの……お兄さま。
たったひとりの血のつながった家族。
わたしの幸せよりも、あなたの幸福を願ってやまない。
本当のことを――あなたはわたしのお兄さまなのだと、何度も何度も打ち明けようとしたけれど、エディを傷つけるのが嫌で言えなかった。村のみんなからばけものと恐れられていて、ずっとひとりで森で暮らしていて、やっと友達ができて笑えるようになったのに、昔のことを持ちだして傷をえぐることはできなかった。ばけものだからすてられたなんて残酷なことを告げて、今さらなんになろう。
こどもをすてたような――そんな人は放っておけばいいとわたしは言えるけど、エディはきっと生まれてきてごめんなさいと涙を流すだろう。僕が生まれてきたばかりにお父さんとお母さんにそんなことをさせてしまったと、もういない人に向かってあやまるだろう。自分よりほかの人のことをまっさきに考えてしまう。エディはそういう人だ。
でも、傷ついたのはエディなのに。怒りはしても、あやまる必要なんてどこにもないのに。だれだって自分の顔かたちを選んで生まれては来れない。エディが悪いんじゃけっしてないのに。
エディは優しい。優しすぎる。
その優しさに甘えて、おぼれてしまいそうになるほど優しい。
でも、本当のことを言っても、それでもゆるしてくれるのかしら?
わたしはなによりも、エディに拒絶されるのが恐かったの――
わたしはエディと一緒にいたいから、死にたくない。エディをひとりにするわけにはいかないの。でも、わたしが生きるためにはエディを失わなくてはならない。いったいどうすればいい?死ぬのは……苦しいのは嫌。でも、わたしは、エディを犠牲にして生きていけるほど強くはない。みんないつかは死ななくてはならない。ならばわたしは、ここで息絶えましょう。
泣いてばかりはいられない。わたしにはもう時間がないのだから。
いつかは失われた幸せなら、わたしはいらない。
そんなあやふやなものはいらない。夢はいつか覚めるもの。
こうすることがエディにとっていいことなのかはわからない。これはただ、わたしの満足のためにする行為なのかもしれない。ただわたしの懺悔のため、贖罪のためなのかもしれない。だけど、彼ならきっと受けとめてくれるはず。エディになら、きっと伝わるはず。
流れる涙をきつくまばたきをして追いはらい、わたしはペンと紙をとった。
親愛なるエディへ
こんにちは、元気にしていた?
長い間あなたをひとりにしてごめんなさい。
わたし、あなたに伝えたいことがあるの――




