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 花咲きみだれる春が終わり、緑あざやかな夏が来る。

 せっかくあたたかくなったのに、わたしはひとり、ごうしゃな部屋で清潔なシーツにうずもれてる。冬のあの日からずっと、ベッドの上で暮らしているのだ。

 そう、あれはたしか雪だるまをつくって遊んだ日だった。エディと一緒に冷たい雪をころがして、おたがいのそっくりさんをつくったんだっけ。日が暮れだしてばいばいして、森から帰る途中に背中がぞくぞくしはじめて、玄関に入ったとたんにたおれたのだ。

 寒いのにずっと外で遊んでいたせいでかぜをひいたのかと思ったのだけれど、何日たっても熱がさがることはなく、体はだるいままだった。こんなことは前にもあった。幼い日の、窓から外をながめるだけの日々――

 元気になったと思っていたのに、また病がもどってきたのだ。それとも、いなくなったんじゃなくて、ずっと体の中にひそんでいたの?

 三日おきに庭師がきれいな花を持ってきてくれるけれど、わたしは森の花畑をはだしでかけまわりたかった。エディと遊びたくてたまらなかった。ひとりきりで泣いてはいないかと、心配でたまらなかった。

 森で見た花を思い出しながらうつうつと絵をかいていると、こんこん、と木の扉をたたく音がした。

「おじょうさま、およろしいですか」

「どうぞ」

 じいやはひと呼吸おいて、失礼します、とメイドを引きつれて入ってきた。一番後ろには見知らぬ黒ずくめのおばあさんがいる。

「そちらはだあれ?はじめて見る人のようだけれど……」

「となりのとなりの村のお医者さまでございます。なかなかの名医だそうで、いつもの先生が呼んでくださったのです」

「そう。はじめまして、アンジェ・ブランシュです。遠いところからよく来られました。今日はよろしくお願いします」

 ベッドにすわったままあいさつをすると、お医者さまはずいと前に出てきて、

「ひぇひぇひぇ……はじめまして。こちらこそよろしくお願いしますよ」

 と、しわだらけの顔をくしゃくしゃにして笑った。大きな鼻、ぼさぼさの白髪頭、真っ黒なワンピース、かん高い笑い声――まるで絵本に出てくる魔女そっくりだ。いったいおいくつくらいなのかしら。

 お医者さまは手首に指を当てて脈を計ったり、口の中をひんやりする金属の棒でおさえてのぞいたり、胸や背中にくだのついた丸い金属を当てて音を聞いたりして、私の体を調べていった。

「先生、どうでしょうか」

「まあ、この村の医者の診断とおなじだね」

 お医者さまは使い終わった器具をかちゃかちゃとおさめていく。その答えに、わたしはまた絶望を感じた。

「今の医学ではどうにもならないと……」

「そういうことさね。そんなにひどくはない熱やせきがつづき、じょじょに体力がうばわれていく。今のところいたみは強くないようだが、そのうちたえきれずのたうちまわるようになる。あとしばらくもすりゃベッドから起きあがることすらできなくなって、寝たきりになるだろう」

「お医者さま、そのようなことはあまり……」

「いいのよじいや。自分のことだもの、知っておいたほうがいいわ。残りの生活のためにもね」

「ですが――」

「じいや」

 まゆをひそめて口をはさみ、なおも言葉を続けようとするじいやをたしなめる。それを見て、ひぇひぇひぇ……と魔女が笑った。

「ほう、なかなかきものすわったおじょうさんだ。そう……お前さんの命はもう長くはない。あと、もって三か月といったところだね。これだけの家だ、今のうちにしておかなくちゃならないことがたくさんあるだろう。……と言っても、自分の体のことだ、きっと本人もうすうす感じていただろうよ」

「ええ……」

 私は心臓に手を当てて、つたわる鼓動を感じた。どくどくどくどく、血が、すごいいきおいで流れていくのがわかる。こうしてベッドでおとなしくしているのに、いきなり大あばれしだしたり、かと思えば消えそうなほど弱弱しい響きしか返さなかったり、私の胸はあの冬の日からずっと調子がおかしいのだ。言われなくても――わかっていた。このままではわたしの体はもたなくなると……

「仕方がないわ。長くは生きられないかもしれないとは、小さなころから言われていたことなのでしょう?元気に遊べるようになっていたのが奇跡だって……少しの間だけでも外の世界を知れてよかった。あなたたちにも感謝してる」

 今までよくつくしてくれてありがとう、と召し使いたちにほほえむ。

「おじょうさま……」

 ばあやはわっと両手で顔をおおい、おいおいと泣きはじめた。涙ぐむばあやをハンナが支える。じいやはこれ、お前とばあやのほうを向いたけど、自分も目をうるませていた。

「まったく、ばあやは泣き虫なんだから」

 そう言ってわたしは笑った。かわりに泣いてくれる人がいるから、わたしは泣かないですむ。悲しい思いにおしつぶされずにすむ――

「ひぇひぇひぇ……うるわしいことでねえ」

 かん高くひびく笑い声に、はっと横を向く。お医者さまはわたしの目をじっと見たままくちびるのはしをあげている。うっすらと黄ばんだ目の紫の瞳が静かにゆらいでいるようだった。

「そう絶望しなさんな。よい子のお前さんに、いいことを教えてあげよう」

「いいこと……ですか」

 わたしはつぶやきながらほおが引きつるのを感じた。絶望するなとは無理なことを言う。死に向かうわたしに、いったいなにを教えてくれるというのだろう。

「――ただ、ひとつだけ方法がある」

 魔女は、長い、とがったつめののった指を立てて、部屋にいる者を見わたした。

「それは――なんでしょう」

 はりつめた空気の中、わたしはかすれた声で問う。

 お医者さまはにたりと笑い、わたしの顔に枯れ木のような手をかざした。目を閉じて、なにかいのるように呪文をとなえる。聞いたことのない言葉の、地をはうような声音だ。

 そうしてかっと目を開くと、

「森に住まうばけもの、その心の臓を食らわば、少女の命永らえよう」

 と言った。

「そんなのだめ!」

 わたしはさけび声とともにベッドから起きあがった。いけません、とじいやとメイドがあわてて寝かそうとする。わたしはそれをふりきって頭をふった。

「だめよ……そんなのだめ……」

 エディの心臓ですって――?

 そんな非科学的なことで救われるなんてどうかしてる。そんなことを言って、エディを退治したいだけじゃないのか。仮に人間の心臓にそんな効果があったとしても、どうしてエディのでなくちゃならないの。

 それとも、この人はなにかを知っているの?

「おじょうさま――?」

 じいやはわたしのかたに手をおいたまま、不審そうに見つめている。

「じいやは知ってるんでしょう」

 そうつぶやくと、じいやは青みがかった灰色の小さな目をいっぱいに見ひらいて、深いしわのきざまれた口をぐっとつぐんだ。そして、涙を流したまま顔をあげたばあやをちらりと見て、こらえかねたように目をふせてしまった。

「そんなこと……できないわ」

 エディ――わたしの、お兄さま……

 どうしてあなたばかりが、こうも犠牲を求められる……

 あまりのことにめまいがする。ひたいをおさえて、わたしは目をつぶった。

 しん、と部屋が静まりかえる。だれもが動きを止めて、かたずを飲んでいた。

 沈黙をやぶったのは客人だった。

「そちらがつかまえてこられないのなら、私がかわりにばけものの胸を切りさいて、せんじて持ってきてもいいがねえ」

 魔女はうすら笑いを浮かべたまま、なおもおぞましいことを言う。そんなことは絶対にさせるわけにはいかない。わたしはかっとなってさけんだ。

「帰って!お代はちゃんとはらいますから、この部屋から出ていって!」

 さあ、と扉を手で示す。召し使いたちは主のひょうへんにどうすべきかとまどっているようだが、そんなの知ったことじゃない。これ以上この人と話していたら頭がおかしくなりそうだ。

 魔女は表情をかえることなく、ひとり声をあらげるわたしをひょうひょうと見ている。

「ひぇひぇひぇ……まあ、気がかわられたら、またいつでもおよびください」

 館中に響きわたるような不気味な声を残して、黒い老婆は扉の向こうに姿を消した。


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