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 ずっとずっと――

 数えるのも忘れてしまうような長い長い時のあいだ、僕はひとりだった。森をおおう大きな木や、楽しげな声で歌う小鳥たち、風にゆれていい香りを運んでくれる花たちだけが僕の世界のすべてだった。

「おはようお花さん、今日もすてきなドレスだね」

「こんにちは鳥さん。君たちはどこにでも行けるつばさがあっていいな。僕も空にもっと近づいてみたいよ」

「こんばんは、木さん。夜露は冷たくない?もうそろそろ雪がふるのかな。はっぱさんたちがいなくなってさみしいね」

「……おやすみなさい、みんな」

 森のみんなはどれもこれもきれいだったけれど、僕が話しかけてもだあれも答えてはくれない。聞こえてくるのは鳥たちの歌声と、森に響くこだまだけ。

 一緒に笑ってくれる人がほしくて、森の近くで遊んでるこどもたちに話しかけたこともあった。

「あの……僕も仲間に入れてくれないかな」

 森から声がしたことにおどろいたのか、こどもたちはいっせいにふりかえった。僕の顔を見て、まあるい目を見ひらく。きゃっきゃ、うふふとはしゃいでいたこどもたちは急に静かになった。みんなに見られていることに照れて笑いかけると、こどもたちはさけび声をあげていなくなってしまった。

「わーん、ママン!」

「めっ、森に行っちゃいけないっていったでしょう!食べられちゃいますよ」

 お母さんに手をひかれて、こどもたちはべそをかきながら森からはなれていく。僕はそれをぽつんと見ていた。

 それから、森に来る人はとんといなくなってしまった。ばけものが出るから近づいちゃいけないことになったらしいと、遠くのほうからこどもに注意するおとなの声で知った。僕はこどもたちが遊んでいる姿すら見れなくなってしまった。

 それならせめて、森にいる動物たちと友達になろうと、僕は湖のほとりに向かった。湖のあるところは木がほかのところよりも少なくて、青い空がぽっかりのぞけて見える。水とおひさまを求めて、湖には羽根のあるものから牙の生えたものまでたくさんの動物たちが集まるのだ。

 途中で木にざくろがなってるのを見つけたので、おやつにもらうことにした。ぱっくりわれた朱の皮の中にはつやつやの小さな実がみっしりつまっている。深い赤に熟れた実をかむと、口の中でぷちっと甘酸っぱくはじけてとてもおいしいのだ。皮をめくって、かわいい実をひとつずつつまんで食べる。ちょっとずつしか食べれないのがもどかしいけれど、いつまでも味わっていたいような気もする。だから僕は、宝石みたいな赤を大事につまみながら歩いていった。

 ざくろの実を半分くらい食べたところでひらけたところに出て、ひんやりした空気がほおをなぜた。うんと高い木と小さな小さな草花にかこまれた湖はいつ来てもおだやかだ。わずかな風を受けて、ざざ、ざざ……と波が歌う。むこうでは、鹿の親子がならんでひなたぼっこをしていた。茶色い毛がおひさまに照らされて金色に光る。なんてきれいなんだろう!

「こんにちは、鹿さん。僕とお友達になってくれませんか?」

 どきどきと胸をときめかせながら湖に近づく。鹿たちは僕に気づくと、ぎくりとかたまって、おびえたように耳をふせて立ちあがった。お母さん鹿は小鹿を守るように細い足でふんばり威嚇する。じりじりと後ずさると、小鹿をつれて森の中に去っていった。

 どうしてみんな逃げていくんだろう?

 僕は悲しくてしかたなかった。ふたつの目から水がつぎつぎにあふれてくる。泣いて泣いて、足もとに水たまりができそうなほど涙が流れていった。

 ほー、ほー。遠くのほうでふくろうが鳴いている。夜になっても僕は泣いていた。いくら悲しんでも、どんなに涙を流しても、あやしてくれる人はだあれもいない。どうして僕にはお母さんがいないんだろう?僕は泣き疲れて、いつの間にか湖のほとりで眠ってしまった。

 目が覚めると、湖の上で光がゆらゆらとおどっていた。上では背の高い木が空の青を埋めつくそうとするように枝をのばしていて、すきまから太陽が入りこんでいる。ひかえめな風がはっぱをゆらすから、こんなすてきな景色になるんだね。風にお礼を言いながら、僕は朝の澄んだ空気を胸いっぱいにすいこんだ。

「おはよう、湖さん」

 昨日あんまりたくさん水を出したせいだろう、のどがひっつきそうなほどかわいていた。家まで帰って井戸の水をくむのも待ちきれなかったので、僕は湖の水をもらおうと歩きだした。土の上にひっつくみたいに咲く小さな花をふまないよう気をつけながら、慎重に。すべって落っこちないようたしかめながら波うちぎわにしゃがむ。水面(みなも)を見て、僕はぎょっとして後ろにたおれた。

 ――湖にばけものがいる!

 おとなたちが言ってたのは、こいつのことだったんだ!

 どうしよう、食べられちゃう!

 はやく逃げなくちゃ――僕は歯をがちがちいわせながら立ちあがろうとする。でも、あまりの恐ろしさに腰がぬけて、おしりがひっついてしまったように動かない。僕はここで死んじゃうんだろうか?今日はまだ花に水もあげていないのに――いや、僕が死んだらあの花の世話をする人もいなくなってしまうんだ。僕は食べられても、せめて花だけはだれかに育ててもらえるようにお願いできないだろうか。

 僕はぎゅっと目をつむり、頭をかかえて草におおいかぶさった。

 そのまま、どのくらいそうしていたのだろう。いつまでたってもばけものがおそってくることはなかった。木の上では、小鳥がうれしそうにさえずっているのが聞こえる。ふしぎに思い、僕はそおっと目をあけた。

 目の前の美しい湖にかわりはない。ほっぺに手をやって、顔をぺたぺたさわる。

 ――生きている。

 僕はほっと胸をなでおろした。どこも痛くない。――生きている。

 僕はおそるおそる水面を見た。

 そこには、不安そうな顔をしたばけものがいた。

 おそってくるような気配はない。水面にそっと手をのばすと、ばけものもこちらに手をさしのべた。僕はこくりとつばを飲む。水にふれると波紋が生まれ、ばけものはふるえる。水面をばしゃばしゃとかきみだすと、ばけものはゆらゆら消えていった。腕までつけたまま、僕はそれをじっと見つめる。やがて波は消え、ふたたびばけものがあらわれた。

 ぎょろりとした目がこちらを見つめる。生気なく落ちくぼんだ黒い目だ。折れてしまいそうなほどに細い体、それに似つかわしくない長い体、ぐしゃぐしゃな、からすみたく真っ黒な髪――

 僕は自分の顔に手をのばす。

 ――ばけものも、彼の顔を両手でおおい、涙を流した。

 ああ――

 僕は空に向かって大きなため息をついた。

 ばけものは、僕だったんだ。



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