9話
そして、所変わって放課後である。俺たちはHRが終わると同時に事務室に向かい、そこで合流した網走君から詳しい事情と依頼内容を聞いて、彼が指定した一階昇降口の下駄箱の影に張り込み、その影から鏡越しに見える教室を覗いているのだ。
教室の中には数人の女子生徒が楽しそうに喋っているのが見える。楽しそうに喋る女子達の横には黒い台に楽譜が広げられ、その近くの机にトロンボーンやサックスがタオルの上に転がされている。
ご覧の通り、彼女たちは吹奏楽部の部員である。彼女たちは放課後生徒が居なくなった教室を占拠しては各々のパートに分かれて練習をしているのだ。とは言っても、練習なんてのはただの名目に過ぎず、実際は練習そっちのけで喋ってばかりいるわけなんだけど、大会があると何故か必ず上位に入ってくるのがこの学校の七不思議となっている。
「いやー……完全に犯罪行為だよなぁ? 女子がいる教室を鏡越しに覗くって……」
「アタシも勝手に混ぜないで。少なくとも、私は『変態に付き合う心優しい美少女』で、アンタは『変態』なんだから?」
「何でいつの間にか俺が主犯扱いなんだよ? 引っ張ってきたのお前だろうがぁ!」
「でも今回は協力するって言ったでしょ?」
「うぐっ……」
痛いところを的確に突いてきやがる。まぁいい、取り敢えずターゲットの確認だ。
髪は肩に届くくらいの短めの黒髪に、少し長い前髪をピンクの髪留めでまとめている。日本人らしい黒く若干垂れた目に、赤く紅潮した頬がより幼さを際立たせる。身長も高校生としては少し小さく、何処か子犬みたいな雰囲気を醸し出している。
彼女の名前は絹旗菫。
おっとりとした物言いと、中学生ぐらいの身長と、コロコロとじゃれる子犬みたいな雰囲気で、二、三年生の吹奏楽部を筆頭に、『我が校の新マスコット!!』として陰ながらもてはやされているという。更に、男子生徒からの人気も高いらしい。
そして、彼女こそが、網走君の想い人なのだ。
今回彼の依頼は、彼女に今日の放課後、正確には部活以降に他の予定が入ってないかを何気ない会話で聞き出して欲しい言うものだ。
「と言うか朴月。何時までココにへばり付いている気なんだ? 俺この姿知り合いに見られたら人生が終わりそうな気がすんだが……?」
「その心配はないわ。だってもう終わってるから」
「リアルトーンでボケるの止めてくれない? 突っ込みにくいから」
「別に良いじゃない? あとボケじゃないし……。それよりも……」
サラッと酷いこと言ったよね今? まぁそんなことを言っても拳骨で黙らされるのがオチだから素直に従っておこう。
「じゃあまたね~」
「お疲れ~」
朴月が指差す先で、吹奏楽部のメンツが帰り支度をし始めたのだ。勿論、絹旗も一緒だ。俺たちは下駄箱の影から階段へと場所を変え、そこでさっきまで教室にいた女子生徒達が通り過ぎるのを待つことに。
その間、教室で見たメンツが二、三人の塊を作って愉しそうにお喋りしながら上履きからローファーへと履き替える際、そこから垣間見えるパンツが俺の精神を盛大に揺さぶってきやがった。俺も男子だ。そういう誘惑には人一倍弱いのは自覚済みだ。でも、何故か俺の視線がそっちに向かう度に朴月から鉄拳が降ってくるんだ? 何気ない素振りで見ようとしてたのに。
「女の勘」
「さいですか……」
笑顔で握り拳をチラつかせる朴月に俺はテキトーに返答したらまた殴られた。何で?
「あれ? 菫ちゃん帰んないのぉ~?」
「ご、ごめんなさい……。今日ちょっと用事が……、先に帰ってて下さい」
「ええ~っ、今日こそその頭をモフモフさせるって約束だったじゃない? 裏切る気ィ!?」
「そそ、そんな約束した覚えないですよぉ!! 勝手に決めないで下さい!!」
「もうツレないんだから……、でもそこが良い!!」
やはり、噂通り吹奏楽部の女子が溺愛してるみたいだ。と言うか、こんな子が人気になら無いわけがないじゃん。正に『小動物』って感じだし。猫耳、いや犬耳着けても絶対違和感無いだろうな……。俺が変な妄想に鼻血を垂れ流しそうになるのを抑えていると、また声が聞こえてきた。
「い、いい加減にしてくださいよぉ~……」
「あぁゴメンゴメン。あんまり可愛いからつい……、ね?」
「その『ね?』は何の『ね』何ですかぁ!? あと地味に手をワキワキさせて近付くの止めてください!!」
変に息を荒げながらにじり寄ってくる女子に、絹旗は涙目でキィッと睨み付ける。すると、女子生徒はものスゴイ勢いで顔に手を翳した。まるで、何か流れ出てくるものを抑え込んでいる感じだ。
「おふっ……、ゴメンゴメン。んじゃまたね~」
そう軽い感じで手を振り女子生徒は、俺たちの側を足早に通り過ぎていった。そんな彼女が歩いていった道に赤い斑点が点々としているが……、同志がここにいた。
と言うか、アレはヤバい。あんなん至近距離であんな声色であんな上目使いで見られたら誰だって身体中の血という血を噴き出すか、理性を失って飛び掛かるだろう。
と、馬鹿話はここまでにして、取り敢えず、彼女はこれから用事があるようだし、今日の告白は無理みたいだな。
「と、取り敢えず聞きたいことは分かったし。網走くんにメール……、あれ?」
あれ? 月が居ない。さっきまで一緒にいたのに……、何処行っ……。
「ねぇ……、菫ちゃん?」
教室で溜め息をついた絹旗に話し掛ける声が聞こえたので振り向くと、いつの間にか俺の傍から消えていた朴月があろうことか彼女に話しかけていた。
……ってオオオオイィィィィィ!!! 何堂々とコンタクト取ってんのあの子!? もうちょっと穏便に済ませるって依頼だったのに何ソッコーで破ってんの!? と言うか『菫ちゃん』ってそんな親しげに話しかけ……え?
「あ、恭子さん! 御無沙汰してま~す」
……あれ? 何あの親しげな空気……?
「久しぶり~。にしても相変わらずの溺愛ぶりね?」
「ええっ……まぁ。可愛がってくれるのは嬉しいんですが……。ちょっと度が過ぎてると言うか……。一歩間違えれば犯罪に走りそうな勢いと言うか……。ケッコー怖いですけど」
「まぁ仕方がないんじゃない? それだけ菫ちゃん可愛いんだよ。それより、昨日は惜しかったね? せっかくのチャンスだったのに……」
「ええ!? まぁ……。ちょっと残念でした……」
「でも内心『良かった』な~んて安心してるんじゃないの?」
「ええっ!? そそ、そんなわけないですよ!!」
朴月の狙い通り絹旗は分りやすく動揺し、顔を真っ赤にさせて可愛らしく抗議してくる。もし犬耳があったら、激しくピコピコ動いてそうだ。何だこの牧歌的な空気は? と言うか、知り合いだったの? 朴月彼女と知り合いだったの?
「と、ところで恭子さん。彼処にいる男の人は……?」
「あ、あれ? 只の変態だけど?」
「へ、変態!?」
「ちょっと待て!! 何勝手に変なレッテル貼り付けてんだ!!」
「鼻血垂れ流してる奴に『変態』って付けて何か問題でも?」
朴月の背中に隠れる小動物に警戒するような目で睨まれた俺は慌てて鼻の下に流れる血河をふき取り、ヅカヅカと教室に入ってビシッと朴月を指す。
「と言うか朴月!! お前この子と知り合いだったの!? 何で黙ってた!?」
「別に楓に言う必要ないでしょ? 何か問題が有るわけでもないし」
「大有りだ!! お前がこの子と知り合いならワザワザこんな時間であんなところに隠れていなくても良かったじゃねえか!! 自然な感じで話しかけて軽く世間話程度で聞き出せば良かったじゃん!!」
「別に良いじゃ~ん? 私は菫ちゃんを弄れるんだし?」
そう言いながら朴月は絹旗の両頬を指で摘まんで上下にグリグリと引っ張って遊んびはじめる。玩具にされている絹旗本人は、「や、やふぇふぇふははひほぉ~(や、やめてくださいよぉ~)」と抗議するもの、慣れているのか嫌がる素振りを見せない。というか慣れすぎだろ。
「ほいふへは、ひひはすっへはひをへすはぁ?(そう言えば、聞き出すって何をですかぁ?)」
「朴月、話が出来んから引っ張るの止めろ。あと君も少しは怒るなり嫌がるなりアクションをしようよ」
「慣れてますからぁ~」
「いやそんなドヤ顔で言われても……」
自己主張が控えめな胸を張り当たり前のごとく言われても……ねぇ?
取り敢えずどうしよう? ココで網走くんに頼まれました、なんて言えないし……。かといってそれに見合った理由なんて直ぐには考え付かないしなぁ……? と言うか、さっき彼女これから用事があったんじゃなかったっけ? ならあんまり時間をとらせるわけにはいかないし……。
「そう言えば恭子さん……」
俺が知恵熱を出して考えているなか、絹旗が思い出したように朴月に問い掛けた。
「用事って、何なんですか?」
「え!?」
「何よ……。そんなに驚くこと?」
絹旗の驚くべき発言に思わず朴月を凝視してしまう。当の本人は前髪を弄りながら呆れたように俺を見つめてくる。って言うか、用事って朴月のことだったの? でもワザワザ何で……?
「実はね? 菫ちゃんに吉報と凶報があるの」
「吉報と凶報?」
「どっちから聞きたい?」
朴月の問いかけに、絹旗は首をかしげながらも考えこんでいる。と言うか、今この流れが掴めてない俺はどうすれば良いんだ?
「ん~~……、取り敢えず後に喜びたいんで凶報でお願いします」
「りょーかい。実はね……」
朴月は何故か声を潜めながら拳を握りしめて腰を据える。何か嫌な予感が……。
「コイツ、昨日菫ちゃん達の邪魔をした奴よ」
「何サラッと爆弾発言してんだよぐぅ!?」
俺は叫びながら朴月に詰め寄ろうとするが、直ぐ様腹に右ストレートをかまされてその場で踞る。
「なによ? 事実は伝えるべきでしょ?」
「そこは分かるが今言うことじゃなくね!?」
朴月が爆弾発言をかましたことにより絹旗はキョトンとした顔で固まっていた。そりゃ、昨日の失敗の元凶がストレートくらって足下で踞っていたら誰だって動けないだろう。
「取り敢えずどうする? 半殺し位で事足りるかな?」
涼しい顔して物騒なこと言わないで!! あと楽しそうに指を鳴らさないでお願いだから!!
「と、取り敢えず、掴まってください……ぷっ!」
そんな俺の姿を不憫に思ったのか、はたまたツボにはまってしまったのか、絹旗は笑いを噛み殺しながら俺に手を差し伸べてくれたので、ありがたく掴ませ貰った。
「それで……クククッ……、き、吉報は……、な、何でぷしゃ!?」
語尾が可笑しくなったのは言い終えると同時に吹き出してしまったからだ。てか、そこまで笑えました? 意外に笑いのツボも浅いのかな……?
「あれ? 半殺しはいいの?」
「まだそれ引っ張るの!?」
「恭子さんの右ストレートで十分ですから!! だからそれ以上指鳴らさないで下さい!!」
パキポキと指を鳴らして不気味に笑う朴月を諫めるように目の前で手をワタワタと慌てて振る絹旗の姿。癒し系と言われれば首を縦に振るしかない。
「そ、それで!! 吉報の方は何なんですか!?」
話題を変えようと必死に声を張り上げる彼女に、朴月は指を鳴らすのを止めて軽く考え込んだ。因みに、指を鳴らし過ぎると指が太くボコボコになるので女性陣のかたはやらないことをお薦めします。
「それは……?」
何か語り出そうとした朴月は途中で言葉を切り、教室の入り口を見つめながら薄笑いを浮かべた。
(ん? あれは……)
「どーしましたぁ? 誰かいるんですかぁ?」
朴月が見る入り口を見ながら首をかしげる絹旗を他所に、朴月は小さく溜め息を溢して俺に合図を送ってきた。取り敢えず、俺は無言で頷くと足早に教室を出ていった。数分後、俺は傍らに巨大な荷物を抱えて彼女たち残る教室に戻ってきた。
「先輩……、酷いっすよ……」
「彼処で逃げるのもどうかと思うけどな?」
俺を恨めしげに睨み付けてくる網走くんに、俺は素っ気なく返した。
突然目の前に網走くんが現れたことに驚きを隠すこと無くただ呆然と突っ立っている絹旗。仕方がないよな。
「……………………」
「……………………」
網走くんも絹旗もお互いの顔を見ないままそっぽを向いているが、時折相手の表情が気になるのか、チラチラと互いが互いを見合っている。不意に目が合うと、お互い顔を真っ赤にさせてそっぽを向いてしまう。
……正直言うと、俺にこの空気は耐え難い。この空気を感じていると、胸の奥の方が締め付けられる痛みと圧迫感、更には俺を嘲笑うかのように過去の記憶が幾重にもフラッシュバックするからだ。頭に流れ込む記憶の断片を握る潰すように片手を額に当て強く揉むが、その行動すらも無意味だと言いたげに記憶は湧き水のようにあふれでてくる。
「ッ……」
一人奥歯を噛み締めて声を漏らす。しかし、周りの人間はそんな些細なことを気にする筈も無いだろうな……。
「じゃ、邪魔者は退散しますか? 行くわよ」
「へ? わわっ!?」
朴月は一言そう言うと、いきなり俺の手を掴んで強引に出口へ引っ張っていく。残った二人はそんな姿をポカンとした表情で見つめている。
「ちょちょ!? な、何すんだ!?」
「アタシたちがいても邪魔なだけでしょ? ココは二人の気持ちを尊重すんの」
「……で、でも――」
「アタシたちが背中押してあげられるのはここまで。後は二人がどう歩み寄るか……。それとも何? そんなところに部外者の、しかも昨日の原因のアンタが首を突っ込んでどうこう言えるわけ?」
痛いところを突かれてぐぅの音も出せない。朴月はそれだけ言うとプイッと前を向いてずんずん進んでいく。
振りほどこうと思えば振りほどけた。でも、振りほどかなかった、いや、振りほどけなかった。俺は朴月の顔を見つめたまま何も口に出さず、腕を引かれるままについていくしか出来なかった。