8話
「おぉぉぅぅぅまぁぁぁぁぁえぇぇぇぇぇかぁぁぁぁあああ!!!」
「ぎゃぁぁぁぁぁあああああ!!!」
耳元で腐った屍みたいな声で叫ばれ、肩を掴んでいた白い腕にいきなり身体をガッチリ拘束され、俺は全力で悲鳴を上げる。しかし、白い腕はギリギリと力を込めて俺の身体を万力のように締め付けてくる。
(ギャー!! 何これ誰これ何なんたこれェェェェェ!!!)
突然のことにパニックを起こした俺はその腕から脱出しようとジタバタともがくが、万力のごとき力で締め付けてくる腕に、逆に無理に動かした俺の身体が悲鳴を上げ始める。
「きぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁぁまぁぁぁああああ!!!」
「ギャー!! スイマセンスイマセン!! ゴメンナサイゴメンナサイゴメンナサイ!! 生まれてきてゴメンナサァァァァァイ!!!」
「ならば……、死をもって貴様の罪をつぐなえェェェ……」
「ここで死なれると後が困るから、出来れば校舎裏でやってくれない?」
「ソコじゃないでしょ!! てか止めないと!!」
直ぐ横で的外れな発言をする鳴海先生と、それに突っ込みながらも俺を締め付ける腕を外そうと奮闘する朴月を見ながら、俺は呟いた。
「燃え尽きたよ……。真っ白に」
「まだ燃え尽きないで!! てかアンタもサッサと下ろしなさいよ!!」
朴月がそう言いながら俺の後ろに居る何者かに蹴りを喰らわせる。短い悲鳴が上がると、不意に締め付けてきた腕が緩み、俺は白眼を剥き出しながら重力に従って床に倒れた。
身体の節と言う節が悲鳴を上げ、締め付けられた内臓が急に暴れだして気持ち悪い。つーか吐きそうなんですが……。
「だいじょーぶかい?」
上から声をかけられ、身体を抱き抱えられる感覚と顔に柔らかいものが押し当てられる。声からして、多分鳴海先生だと分かる。そして、顔に押し付けられる柔らかいものは……、まさかおっ――
「サッサと起きなァ!!」
「あがっ!?」
朴月の言葉と共に、俺の至福の時は無惨にも幕を下ろされた。鳴海先生のクッションを離れ、脇腹を押さえながら床の上をゴロゴロと転げ回る。そんな俺を見下すように、朴月がフンと鼻を鳴らした。激痛伴う脇腹を押さえながらヨロヨロと立ち上がる傍ら、そんなの俺を見つめながら、朴月が自分の胸に手を当ててポツリと呟いた。
「小さくたって……、別に……」
「ん? 何か言ったかぁ!?」
語尾がおかしくなったのは、彼女に脛を蹴られたせいだ。理不尽過ぎる……。
取り敢えず、俺の脇腹の痛みも治まってきたので、一行はソファーに腰を下ろして一息つくことに。
「えっと……スイマセン。なんか勢いあまっちゃって……」
「い、いや~、べ、別に気にしてないから……」
目の前で勢いよく頭を下げる(と言うか、机に打ち付ける)ので、俺は苦笑いしながらもいまだに疼く腹を擦る。その際チラリと横の朴月に目を向けるが、奴は敵意むき出しの眼で睨み返してくる。何で?
気を取り直して、先ずは状況の整理だ。
「こんなこと聞くのもなんだけど……、君は誰?」
「え? あ! ……スイマセン。えっと……一年四組の網走洋祐って言います」
ご丁寧に学年とクラスまで名乗ってくれた網走と名乗った男子は、また申し訳なさそうに頭を下げようとするので、俺はその首根っこを掴んで無理矢理顔を上げさせた。
短く切り揃えた黒髪に、日焼けした小麦色の肌。灰色がかった瞳が良く映える端正な顔立ちだ。部活は運動部系なのか、高校一年生にしてはがっちりとしている。そんな端正な顔を申し訳なさそうしょぼくれて、がっちりとした身体を小さく委縮させている。何も口を挟まなければ、『お詫びに腹切りますか?』とか言い出して懐から小太刀を取り出しそうな勢いで謝罪を繰り返している。
何よりも、俺は彼の姿に見覚えがあった。
「君って……確か屋上で……」
「あ……はい。屋上のものです……」
自虐っぽい笑みを浮かべる彼を見ながら、俺は何となく視線を逸らして苦笑いを浮かべた。
昨日の放課後、俺が屋上で寝過ごして帰ろうとしたとき、偶然にも彼の告白現場に居合わせてしまい、剰え、彼の一世一代の大勝負を盛大に邪魔してしまったのだ。これに関しては腹を締め上げられたことなどすべて水に流せてしまう。と言うか、逆に俺の方でなんかしなければって思ってしまう。
「その……、ゴメン。邪魔しちゃって……」
何かお詫び乃なることが考え付かなくて、取り敢えず深々と頭を下げておく。しかし、網走は「とんでもない」と手をブンブン振りながら、驚くべき発言をしてきた。
「何で先輩が謝るんですか!? むしろ僕は先輩に感謝してるんですよ?」
「へ?」
網走の言葉に、素で変な声を上げてしまった。
「何で? 俺は昨日、君の告白を邪魔したんだぞ? 普通ならさっきみたいに地獄の底から這いあがってきた亡者みたいな声と共に万力のごとき力で身体を締め上げられるぐらいのことをされるのが道理だろ?」
寧ろ、そうしてもらった方がこちらとしても気が晴れるというか……(マゾっ気はありません)。何だこの腑に落ちない感は……?
俺が意味が分からず首を捻っているのを見てその意図を汲み取ったのか、彼は自重気味な笑みを浮かべながら続ける。
「僕、あの時顔を背けてモゴモゴしてましたよね? 多分先輩が出てこなくても、確実に何も言い出せずに黙っていて、先輩が出てきたように、彼女がうぬも言わさずに帰っちゃったと思うんですよ。そこに先輩が出てきてくれたことで……、まぁ帰るには帰りましたが、『あの場に他の人が居た』と言うどうにもできない失敗理由が出来たんです。だから、仮に再アタックを仕掛けても、主観的に、客観的に見ても何ら問題が無くなるんです」
網走はその言葉の後に「まだ諦めていませんし……」と照れ臭そうに付け加えた。その言葉と共に、俺は安堵の息を軽く漏らした。
「スゴイ前向き思考だね?」
「ソレだけが取り柄ですから?」
彼はやっと年相応の悪戯っぽい笑みを浮かべて愉しげに笑った。それにつられて、俺も苦笑いを溢した。
「……何かホッとしたよ。俺……、何か償わないといけないのか……、って思ってたし」
「そんな訳ありませんよ。本当に感謝してるんですから」
「……そろそろ本題に入って良いかしら?」
鳴海先生が淹れてくれた紅茶を飲み干した朴月が話を断ち切るために割り込んでくる。新たな友情を育めそうだったのに……。なんて口に出すとまた殴られるかな?
じゃあ彼は何でここに来たんだ? 別に彼は御礼を言うために来たんじゃないよな? 俺を締め上げるためでもなさそうだし……。
「……、じゃあ網走くんは何で来たの?」
「ん? ああ。そういえば楓に説明してなかったわね……?」
俺は網走君に聞いたんだが……。なんてココで口をはさむと、今度は笑顔で逆十字を決められるかもしれないので、声に出さないで黙っておくことにしよう。
「彼ね? 依頼人なの」
「依頼人?」
突然の『?』ワードに俺が首を傾げると、朴月は新たに淹れてもらった紅茶を飲みながら続けた。
「話してなかったっけ? この部活のこと?」
「初耳ですが、何か?」
そう言ってやったら残念な人を見るような目で見られため息つかれた。思わず殴りたくなったが、逆に返り討ちになりそうなのでやめておくことにした。
そして、彼女は淡々と説明し始める。
……え~~っと。本当はココで朴月の説明を記したいのはやまやまなんだが、あまりにも長すぎたので、この際割愛させてもらうことにしよう。というか、説明しても常人には理解できないと思う。だって、なんか新約聖書の一説とか、コーランに記されたアッラーの言葉とか、フランシスコ・ザビエルが死に際に言い残した言葉とか、とにかくよくわからない単語が無数に飛び交っていたし……。
簡単に要約すると、彼女はこの学園である部活動をやっているらしい。
普通の高校生活を送っていれば、誰であっても好きな人の一人や二人が出来ることであろう。しかし、大概のものは、その想いを口に出すことなく、そのままずるずると引っ張って高校生活を終えてしまうのが殆んどである。だから、好きな人に思い切って告白したり、今よりももっと仲良くなりたいと願っている生徒のために、その恋の応援をする部活だという。
そして、網走君は学園にあふれてる迷える子羊(朴月談)であるらしく、胸のモヤモヤを拭い去るべく南山に依頼してきたのだという。
「こんな感じかな?」
「そんな感じです」
「要約お疲れ様ぁ~っ」
鳴海先生が紅茶の代わりに冷たい麦茶を淹れてくれたので、ありがたく頂戴することにした。
「……掻い摘み過ぎじゃない?」
「これくらいでちょうどいいんだよ」
一人不満そうに口を尖らせる朴月に、そう言葉を返しながら手に持った麦茶を押し付けて黙らせる。
そして、今から説明する彼がここに来たわけなんだが……。
「相手の子の心境が気になる、ってことかな?」
俺の言葉に、網走君は照れ臭そうに頬を掻きながら頷いた。
「実は、今日か明日また呼び出そうと思っているんですよ。このままズルズルと引きずって、いつの間にか有耶無耶になるなんて嫌ですから?」
ごもっともな意見に、俺も口を挟まずに頷く。
「でも……、やっぱ自分自身で聞きに行くのってもの凄く気まずいじゃないですか? 告白じゃなくてただ予定聞くだけだし、二度目だし、昨日の今日だし。何か僕だけが焦りすぎてるっていうか……、情けないって言うか……。正直、彼女の前では少しでも格好つけたいんです。なので……」
「直接口頭で呼び出せば良いんじゃないの?」
ココで口を挟んだのは鳴海先生だ。鳴海先生の言葉を聞いて彼はまたしても苦笑を浮かべた。
「それでも良いんですけど……、昨日告白してきた人と今日顔会わせるなんて気まずいでしょ? 多分僕が声をかけると逃げちゃうと思うんですよ。だから、知らない人、僕にとってあまり関係無さそうな人が良いんですよ」
成る程……と納得したらように鳴海先生が小さく呟いた。
「それで、その関係無さそうな人である俺達が聞いてきた方が適役ってか……」
俺の言葉に網走君は無言で頷いてくれた。そこで話を打ち切り、後ろで何故かボケっと突っ立っている部長殿に声をかける。
「で、どうすんだ?」
「え!? な、何が!!」
「おまえ……、今までの話聞いてなかったのかよ? というか」
何故に俺が押し付けた麦茶のコップを穴が開くほど見つめてたんだ? って言いかけたら殴られました。解せぬ。
「何言ってんの!! アタシの方があんたなんかよりも何倍も知ってるし理解もしてるし共感もしてるわよ!!」
「最後のはどうかと思うぞ……?」
そう言ったら顔面にティッシュの箱がめり込んだ。しかも角がもの見事に鼻っ柱に。
「と、取り敢えず……、この話は放課後になってからだ……」
ペシャンコになった鼻を復元させながら声を絞り出す俺を、何処か不思議そうな目で見つめながら朴月が問いかけてきた。
「ん? どうしたの? あたしの時に比べてやけに協力的じゃない?」
「そりゃー、彼の失敗の原因は俺だからな。その俺が協力しない訳にいかないだろ? それに、お前の場合は相談じゃねェ。完全に脅迫だぁっ!?」
語尾がおかしくなったのは……、もう分かるよね? 俺が床に崩れ落ちたと同時に昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響き、この話は放課後まで保留で通すことになった。
そして、教室に駆け戻る際、俺は昼飯を食いそびれたことに気付いた。明日、アイツに学食で一番高い『ガッツリ定食DX』でも奢らせよう。絶対に無理だと思うけど……。