7話
「くあぁ~っ……」
俺は欠伸を一つ溢して、目を擦りながら辺りを見渡す。授業終了のチャイムが鳴り先生が出ていった直後のためか、教室は生徒達のバカ騒ぎやお喋りで一気に騒がしくなる。
「相変わらず寝むそ~だな、楓?」
「う~~ん、当麻か……?」
机の上に身体を預けて欠伸をする俺に、横から当麻がケラケラと笑いながら近付いてきた。
「一時間目から欠伸ばっかしてたんじゃね? 一体何やってたんだよ?」
「いや~、昨日新たに思い付いたレシピを色々と改良してたら眠れなくてな……」
「それ今時の男子高校生が口に出す言葉としてどうよ?」
引き気味に聞いてくる当麻にムスッと顔をしかめる。
「別に可笑しくないだろ? たかが一男子高校生の趣味が料理でも……」
「お前の場合、趣味の域を超えてんだよ……」
心外なことを言いやがる。別に普通だろ? 趣味が料理で、得意なものも料理って。家庭の事情を見てもおかしいところは無いと思うが……?
俺の両親は共働きであまり家に帰ってこないことが多く、俺達兄弟は幼い頃、母方の祖父母の元で育てられていた。
『自分の飯ぐらい、自分で作れるようにならんと』という元板前のじっちゃんと、元三ツ星レストランシェフのばっちゃんの教育方針の元、俺は幼い頃からキッチンに立ち祖父母に手解きを受けることが多かった。来実は何故かうまい具合に二人の追跡を逃れて厨房に立たなかったが……。
まぁそれはともかく、そんな俺が初めて包丁を握らせて貰ったのが小学一年生の頃。その時には魚の捌き方、野菜の切り方、肉の切り方を知識として全て頭に叩き込まれていた。そこで実践的な技術を学び、学校の調理実習でもその経験を遺憾無く発揮し、家庭科の先生の度肝を抜いていた。
中学生のいつかしら、家庭科で一食分の食事を作るという宿題が出されたときがあった。その時、俺は軽めのものにしたかったため『鰹のカルパッチョ 地中海風バジルソースかけ』を作って提出した。その時、何故先生が泣きそうな顔だったのか、今でも理解できないんだが……。「お前ん家何? 何処かの老舗料亭か? 天皇が年に何回か来るの?」って言われたこともある。
そして、俺は中学を卒業後、単身でフランスに渡り数々の料理を極めていき、それと同時に世界中の猛者たちを次々と倒してい……。
「人のモノローグに入ってくんじゃねぇよ!! てかそれだと俺学校にいないじゃねぇか!!」
「あぅ!? ……楓先輩酷いっすよ」
さっきまで何か壮大な物語になりそうだったが、今まで聞いていただいたののほとんどは当麻が作り上げた空想だ。
「え~っ、つまん…」
「だまらっしゃい」
そう言いながら当麻の頭にスリッパを叩き込んで再び黙らせる。頭を抱えて悶えている当麻のせいで変な人生を送ってきたような感じだが、そんな大それたことしてきたつもりも覚えもない。
本当はこっちである。
俺の両親は外資系の企業に勤めているため、一年のほとんどを海外で過ごすことが多く、俺たち兄弟は小さい頃祖父母のもとに預けられていたのは本当だ。
因みに、祖父母は凄腕の料理人ではなく、普通の公務員と専業主婦だ。
だが、ただの専業主婦でも舐めちゃいけない。俺の祖母は大概の家庭料理ならその辺の定食屋よりもうまいものを作ってくれるほどの料理上手だ。今思うと、俺の料理への(不本意だが)異様な執着心はそんな祖母の影響をもろに受けていたせいかもしれない。
そんな尊敬する祖母に俺はこの学生にあるあるまじき料理スキルのほとんどを教わり、日々そのスキルを磨こうと精進してきた。だから、大概の家庭料理は一様出来るし、味にも幾分か自信がある。他の学生に比べたら頭一つ分くらい飛びぬけていると自負している。
しかし、今の自分が作ったものに満足していてはそれ以上の味に、言わば料理の高みにたどり着けるなんて微塵にも思ってない。だから、俺は更なる味の向上のために料理の改良と自分の料理スキル向上のために日夜没頭しているのだ!!
「こんな感じだろ?」
俺は手に持ったフリップを脇に押しやりながら一息つく。そんな俺を、額にスリッパの痕を残した当麻が不貞腐れていた。
「で、その永遠の挑戦者さんは今日は購買ですか? あ、今日もか?」
「仕方ないだろ……? 昨日は用事があって買い物できなかったし。その夜なんかうるさい妹を黙らせるためにレトルトカレーを使った超手抜きカレードリアで済ませたしな……」
「レトルトカレーでカレードリア……。お前どんだけキャパシティ豊富なんだよ……? 将来良い嫁さんになる……」
「何か言ったか?」
俺は真っ黒な笑みを浮かべながら、俺に指さしてくる当麻の人差し指を真横にへし折った。
「アアアアアァァァァァアアアア!!!」
「誰が嫁だ……? そんなに指ねじ切られたいか?」
「いやもうねじ切れるというよりも折れてるから!! 現在進行形で折れてるから!!」
不気味なくらい綺麗にねじ曲がった人指し指を押さえそこら中の机や椅子を巻き込んで床に転がりまくる当麻に冷たい視線を向けておく。変なことを言ったやつの末路だ
「ちょっといいかな~?」
後ろから甘ったるい声が聞こえ、いきなり襟首を掴まれる。
「ちょ!?」
「…おっ! 朴月……、じゃん。どした~……?」
折れ曲がった指を元に戻しながら涙目で言う当麻の言葉に何とかして後ろを振り向く。そこには完璧すぎて逆に裏がありそうな笑顔を浮かべいている朴月が立っていた。
朴月は俺の襟首を掴んでグイグイ引っ張ってくるので、その結果、俺の首は朴月が引っ張るごとに締まったり緩んだりを繰り返すいう生殺し状態。
「ちょ!? ほ、朴づ……一旦離して!! 絞まってる!! 絞まってるからぁ!!」
「チョロっと、姿月くん借りてくわよ~?」
「どうぞ、ご自由に」
「当麻テメェ!!」
首を締められて連れていかれる俺に当麻は親指を立てて突き付けてきた。
『行ってこい☆』
「当まぁ゛!?」
怒りの声を出そうとしたら舌を噛んだ。朴月は今も襟首を引っ張ってくる。俺はただ今グロッキー状態まっしぐらだ。あ! ヤベ、ちょっと視界が暗くなって……ぇ? そう言葉を漏らした直後、俺の意識はプツリと切れた。
◇◇◇
「お~い、いい加減起きたら~?」
頭上からかけられる声とおでこにヒンヤリしたものが当てられる。薄く目を開けるとぼんやりとした人影が見えた。人影は俺の顔を覗き込んでいるようで、頬のあたりに髪が触れてちょっとくすぐったい。
「ん? んぁ……」
俺はそう声を上げて起き上がろうとしたがすぐに視界が暗くなった。どうやら手か何かで目を覆われたらしい。
「まだ立っちゃダメ。先ずは目を光に慣れさせないと」
優しい声と共に覆われていた手がどけられ視界が明るくなる。俺は声の通り直ぐには起き上がらず、薄く目を開いたままボーッと人影を見つめた。目が光に慣れてきてようで目の前の人影がハッキリしてくる。そこには心配そうに俺の顔を覗き込んでいる朴月の顔があった。
「朴月……?」
「慣れてきたみたい? これ何本?」
「二本」
俺がそう答えると朴月は小さく安堵の息を漏らし、首を絞めながら連れてきたことを謝罪してきた。
「ここ……何処?」
「え? えっと……あたし達の部室よ」
俺は寝転がった状態で軽く頭を動かした。その際、柔らかい布地みたいなのが頬にくっついてきたが取り敢えず気にしないことにして辺りをじっくり見まわした。
灰色カーペットが敷き詰められ、その中央と右奥に机が三つ、来客用のソファーが二つ一組で向かい合い、その間に低い机と茶菓子が置いてある。大きめの食器棚に電気ケトルが二つ。その横に茶葉と紅茶のティーバッグが置いてある。それはまるで……。
「部室……なのか? 俺には事務室にしか見えないが?」
「当たり前じゃない。ここは事務室なんだから」
……は? どゆこと?
「だから、あたしたちはこの事務室を部活動場所として使わせてもらうの」
「……いいの? それって……?」
「許可は得てる。抜かりはないわ」
朴月は親指を立てながら悪戯っぽく笑う。その時、部屋のドアに黒い人影が写り、ドアがノックされた。
「恭子ちゃ~ん? 彼~、気が付いたの~?」
「あ! はい! 今気が付きました~」
朴月がそう呼び掛けると、側のドアが開いて誰かが入ってきた。その姿に俺は思わず声を漏らした。
「鳴海……さん?」
「お! 私の名前を覚えていたとは嬉しいね~」
入ってきた女性は湯呑を机に置きながら嬉しそうにニコニコ笑いかけてきた。覚えていない訳がない。というか、俺の名前を知っている方が驚きなんだが……。
この人は鳴海祐夏。
この学校の事務長で、通称『信愛の女神』と呼ばれている。何故そんな大それた異名を持っているのかは、彼女の容姿と性格にあるからであろう。
明るいブラウンの髪に、灰色のクリクリっとした目は幼さを醸し出し、逆に大人っぽさを醸し出す艶っぽい唇。鼻はさほど高くもなく低くもない。まさに『端正な顔立ち』とは彼女のことだろうと頷ける。さらに目を引くのが、彼女の胸部を力強く押し上げる二つの立派な膨らみだ。膨らみは白いワイシャツの下から激しく自己主張しているので、目のやり場に困る(友人談)。
まだ二十二歳と若いのだが口調は何処かおばさんっぽく、雰囲気も古株みたいな感じ。その反面、誰にも気さくに話しかけれる親しみやすさと、つい最近まで学生だったこともあり思考や話題が重なるため、生徒間では全教師を差し置いて絶大な人気を誇っていた。
それ故、一部の男子からは『信愛の女神』と呼ばれている。
「というよりか……何かしら?」
鳴海先生は湯呑を持ってきたお盆で顔を隠し、ニヤニヤしながら聞いてきた。
「二人は……仲睦まじい関係なのかな!!」
「っ!!?」
「いぎゃ!?」
俺が変な声を上げたのはいきなり後頭部を殴られて柔らかいものから固い畳に顔面から叩き付けられたからだ。
「い、いや!? これは別にそういうことじゃなくて!!」
「ほ、ほ~う……。焦るのがまた怪し~ぃ!!」
「子供みたいなこと言わないでくださいよ!!!」
痛みに顔を押さえる俺の真上で慌てふためく朴月とそれを適当にあしらう鳴海先生の声が聞こえる。何なんだよ一体……。
ってあ? なんだこのチェック柄? ってよく見たらうちの高校の女子のスカートの柄じゃないか。そして、そのスカートの隙間から見える白い肌は膝だろうか? 以外に綺麗な足してんだな……?
あ、セクハラじゃないよこれ? これはただの不可抗力というもので……。
そんなことを思っていると不意に上から鋭い視線が降ってきて、同時にスカートが手で押さえつけられる。上を見ると、朴月が顔を真っ赤にさせて睨みつけてきた。
「いや、べ、別に見えてないって?」
俺は素直に弁面した。だって見えなかったもんは仕方がない。そんなハーレムの主人公みたいな激運は持ち合わせていませんのことよ?
「……ったの?」
「は? なんて?」
小さくつぶやいた朴月に問いかけると更に顔を赤くして睨みつけてきた。
「知ってたのかって聞いてんの?」
「何を……」
「あたしが何してたのか知ってんの!!?」
知ってた……? 何を? というか、パンツを見てしまったこと(見てないけど)を咎められているわけじゃないようだ。ちょっと安心。そんなことはどうでもよくて、今は朴月が聞いてきたことを考えよう。
とはいっても、まず質問の意味が分からない。あたしが何してたか知ってんの? って急に聞かれてもな……。やっぱりこいつの言葉は脈絡がない。
「なぁ……一体何の……」
そう口を開いた俺の頭に、一瞬電流が流れ、さっき見た映像が再び再生される。
(スカート、膝、真上に朴月、真っ赤な顔……)
四つのキーワードが頭の中でグルグルと回り、そしてある言葉がピンと浮かび上がった。
「まさか……お前膝まく……」
「だぁぁああああああ!!!! もう、言わんでいい!!!!」
「ふぶぅ!?」
朴月はそう叫びながら側のクッションを俺の顔に無理やり叩き付けてきた。クッション自体は柔らかいのだが、奴が思いっきり振り下ろしてくるので衝撃が結構痛い。というか、俺は自分が思いついたことをただ口に出しただけなのに何で殴られないといけないの?
「うんうん! 素晴らしい夫婦漫才ありがとうございました!!」
「は? 何言っ……」
「違うっつーの!!!!」
俺の言葉を掻き消すように朴月は吠え、さらにクッションで俺にとどめを刺す。なにこれいじめ?
「分かった分かった。その辺にしとかないと姿月死んじゃうぞ?」
「大丈夫です。丈夫ですから」
「お前は俺の何を見てそう言い切れるんだよ……」
朴月の言葉に一応ツッコミを入れて、その手からクッションを奪って手の届かないところに放っておいた。これ以上殴られると、いろいろとキツイからだ。
「で、話ってのは何?」
「え? ……ああ、そのことね」
「何で忘れるんだよ? 話したいことがあって俺を引っ張ってきたんだろ?」
事実、朴月は俺に話があると言って無理やり引っ張ってきたのだ。ホント無理やり。
「実は……」
「と言っても、大体は予想できるけどな?」
そう、俺は朴月が何を言おうとしているのかが分かる。飲み終えた湯呑を机に置きため息を着いた。
「部活に入ってくれ、だろ?」
「ま、まぁそれもあるわね!」
俺の言葉に朴月はそう言いながら顔を綻ばせて何度もうなずいた。多分、大概の男なら今の笑顔でコロリとイってしま多だろう。俺はなかったが。
「分かってるのなら話は早いわ!! まず……」
「ちょっと待て。取り敢えず俺の話を聞いてくれ」
俺は手を突き出しながら鞄の中をゴソゴソやっていた朴月を止め、さらに続けた。
「悪いが、俺は部活に入らない」
「え? ……何で?」
おいおい、たかが部活に入んないって言っただけなのに何その落胆ぶり。何か罪悪感がわいてくるから止めてくれ。と思いつつも話を続けるけど。
「まず一つはめんどくさいこと。個人的理由なんだけど、俺何かに束縛されんのあんま好きじゃないんだよね? あと部活なんか入ると帰りが遅くなるじゃん? 正直今でもキツイのにこれ以上遅くなると何かとヤバいんだ。そして、今更俺が部活に入ったとしても何になるんだ? こんな中途半端な時期に入部なんて、他の部員の連中に白い目で見られること確実じゃん」
今言ったことはすべて正当な理由だ。家に帰るのが遅くなることは、胡桃の飯が遅くなることと同じなので、絶対に阻止しなければならない。胡桃がキレるとヤバいことになるんでな……。
それに高校二年で入部なんて図々しいにもほどがあるし、他の部員に引退まで白い目で見られること確実だ。
そして、俺はめんどくさいから部活に入ってないんだ。この理由以外に、正当な理由が存在するか?
「だから、俺は入らないんだ」
そういうと畳から立ち上がってズボンの埃を軽く払った。その姿を呆然と見つめる朴月にの顔に胸がチクリと痛んだが、気にせずに事務室のドアへと向かう。そして、俺がドアノブに手をかけた時……。
「……理だよ」
不意に言葉をつぶやいた朴月の言葉が俺の耳に入ってくる。俺は仕方がなく振り返り彼女に問いかける。
「何て言った……?」
「無理だよ。君は入らなければならない、って真っ当な理由があるのだから……」
「は? どういうこ……」
俺が問いかけようとしたとき、真後ろのドアから白い手が伸びてきて、俺の肩を強く掴んだ。
「君は逃げられない」