4話
「……んぁ?」
目を開けると、さっきまで青々としていた空がオレンジ色に染まり、日が大分傾いていた。寝惚け眼でモゾモゾと身体を起こすと、山の影から射してくる夕陽の光に、思わず手で目を庇う。
どうやら昼休みから今まで眠っていたらしい。まだ寝惚けている頭を起こすこと無く、俺はそのまましばらくボーッとしていた。時折吹く風が、俺の体を小刻みに震えさせる。季節は五月というが、時折吹く風はまだ寒さの名残を残っている。
欠伸をしながら、俺は時間を知るために携帯を取り出す。
五時二十三分――、昼休みにココに来たから、大体四時間ぐらいか?
「ずいぶん寝たな……」
そう呟きながらパチンと携帯を閉じ、思いっきり伸びと欠伸をして頭に血を巡らせる。ボーッとした頭がようやく働き出してきた。俺は何となくタンクから少し目を乗り出して、そこから校庭を見下ろす。
校庭と言っても、ただ土のグラウンドがあるだけの校庭じゃない。
うちの高校は都内にあるのだが、異様なほどの敷地面積を持っている。当然、その面積の理由はわが高校の運動部たちの練習場所を確保するためだ。うちの学校はスポーツにかなり力を入れているらしく、過去に全国大会に出場したことがあるとか。何でも校長が体操元国体選手だとか。
何でそんなことを知ってるかって? そりゃー、毎週月曜日の全校朝礼で校長の選手時代の話を永遠と聞かされているからな。
月曜なんてもう拷問だよ?
剥げた頭を光らせながら毎回同じ話を永遠と話し続けるんだからね? 『いやー、ね? 私が出場した国体なんか……(以下略)』って自慢げに話してくるんだよ?
今だったら校長の自慢話を文を見ずに空で言える自信あるからね? 冒頭の『いやー、ね?』のときのドヤ顔も再現できるからね? というか、ぶっちゃけ国体とか言われてもいまいちイメージが湧かないし。どうせならオリンピックとか世界大会とかに出てこいよって話なんだが……。
そんなことを思いながら、俺は赤く染まった空を仰ぐ。
学校の門が閉まるまであと三十分といった所か? 幸い、今は高校総体(全国高等学校総合体育大会)が迫っているため部活動などで残っている生徒が多く、俺みたいな帰宅部が『何してたんだ?』みたいなことをとやかく言われるようなことはないだろう。そう確認しながらゴミ袋を片手にタンクを降りようとしたとき、
ガチャン
突然屋上のドアが開く音が聞こえてきた。俺は梯子に手をかけながら身体を強張らせ、静かに耳を澄ませる。
別に屋上は立ち入り禁止の場所ではないので、見つかっても特に問題はない。
だが、タンクの上なんかに昇っていたら話は別だ。この学校が出来たのは今から二十年ほど前で、改装工事をしたのが三年前。タンクの腐敗というか、風化具合から見て、改装の時に付けられたと考えられる。まだ壊れるなんて危険はないに等しいが、絶対に安全だという保証はない。
俺は音をたてないように慎重に梯子を降りて、タンクとタンクの隙間に身体を何とか滑り込ませた。
しばらくの間、屋上は時折吹く風の音と、屋上にやってきた何者かのボソボソと呟く声しか聞こえなかった。その沈黙を破ったのが、ガチャッという音であった。それと同時に、微かに息を飲む音が聞こえた。
「来て……くれたんだ」
聞き覚えの無い声だ。恐らく男子。
「……手紙、読んだよ……」
次に聞こえたのは女子の声だ。若干震えているのが分かる。
そのまま二人の会話が途切れた。俺はその様子が気になって、音を立てぬよう慎重にタンクの影に移動して、そこからひょっこり顔を出した。
そこから見えるのは、俺と同じ制服に身を包んだ男子生徒の姿だけであった。彼が顔を真っ赤にして前をチラチラ見ているところ、どうやら女子生徒が前に立っているのだろう。俺はその様子を少し複雑な表情で見ていた。
会話の内容と、目の前の光景で、側で何が起こってるのかは想像できた。
『来てくれた』『手紙』『真っ赤な顔』
この言葉から、連想される言葉。正直思い出したくも理解したくもないが、要するに男子生徒が、女子生徒に『告白』しようとしているのだろう。
俺が失敗した、あの『告白』を……。
「「あ、あの!」」
二人が同時に声を出し、そのまままた固まってしまった。
「………何?」
「………そっちこそ」
おいおい、呼び出しといて『そっちこそ』は無いだろ!!
俺は苦笑いを浮かべながら、顔を真っ赤にしながら口をモゴモゴさせている男子生徒の姿を見つめる。男子生徒はしばらく俯いていたが、小さく息を吐くと顔を上げた。その顔は何かを決心した顔であった。
「あ、あの!」
「……はい」
女子生徒の声から震えが消えた。これから言われる言葉を、真正面から受け止める覚悟が決まったのだろう。
「えっと……あの……」
男子生徒はさらに顔を真っ赤にさせながら次の言葉を探そうと、口をもごもごさせている。
何だろ……この感じ?
あの男子生徒を見ていると、何かものすごくイライラしてくるんですけど? あれかな? ダチの告白を影からこっそり見ていて、さっさと告白しない立ちを見て「早くしろよ!!!」と心の中で連呼するみたいな? うん、理解した。
男子生徒はまだもごもごさせている。その姿に、俺は思わず舌打ちをした。
サッサと告れよ!! 呼び出したんなら腹くくってんだろ? さっき女子が来るまで何か呟いてたじゃねぇか。告白するって決めたんだろ? なんていうか考えてたんだろ? だったらその言葉を言えばいいじゃねェか!! 何を迷う必要がある!! まだお前には……。
「まだ、お前には……」
そう俺が知らないうちに口にした時、俺の手からゴミ袋が滑り落ちた。
「ヤバッ!?」
俺はとっさにゴミ袋に手を伸ばすが、手はゴミ袋に掠ることなく空を切った。そのままゴミ袋は固いコンクリートに向かって一直線。
屋上に鋭い金属音が響き渡る。
「いっ!?」
「誰だ!?」
ゴミ袋は鋭い金属音を響かせてコンクリートに転がった。男子生徒はじっと音のした方=俺を見つめている。
ああ、何で今日紙パックにしなかった俺!! いつもは紙パックのコーヒー牛乳なのに、今日に限って缶のコーヒー牛乳にしてしまった。
最悪だ……俺。
タンクの影で、俺は頭を抱えた。その耳に、「じ、じゃあまたね!!」「あ! ちょっと!!」という声と共にドアの開く音が二回、階段を勢いよく降りていく音が聞こえてきた。
ああ、最悪なことしたな……。ある男子の、一世一代の告白を邪魔してしまった。いや恋なんてロクなもんじゃないってわかってんだけど……。
でも何だこの罪悪感? パンパじゃないんだけど……。何か心臓にナイフが突きつけられている様な感覚がするのは気のせいか?
抱えた頭を更に腕の中に埋め、俺は冷たいコンクリ―トの上で体育座りの格好になる。腕の中で、俺はもう一度小さくため息を吐く。
「最低だ……俺って……」
「ホント、最低だよね?」
「分かってくれるか? 俺のこの最低さを?」
「モノで例えるならあれだね、白い服に付いて洗濯しても落ちないカレーうどんのシミ、みたいな」
「おいおい、そこま…で、い……う……?」
あれ? 俺今誰と話してんだ?あの男子生徒はもういなくなったはずだよな……?
俺は取り敢えず顔を上げてみる。
「ホント、アンタは最低だよ」
そこには、心底嫌そうな顔で俺を見下す女子生徒が立っていた。
「もう人間としての尊厳もないくらいに……最低だよ」
目の前に映った女子を見て、俺は思った。
(何で俺知らない女子に罵倒されてんの?)
校長の話が長いのは、学校のスタンダード。
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