13話
「うし、完成!!」
取りあえず、使った鍋やコップなどを桶に放り込んで水を出して浸けておくことにしよう。いつもなら直ぐに洗うんだが今は食堂を利用した生徒の食器を洗っている真っ最中なので洗えないのだから仕方がない。
あ、ちゃんと洗って帰りますよ? 洗うの忘れて帰ったりなんかしませんからね? 完全にフラグじゃねぇか!?
……自分でボケて自分で突っ込むって、案外虚しいもんだ。
「てかお前ら少しは反応してくれよ。俺一人じゃ間が持たねぇよ」
「「「…………」」」
放置プレイですね、分かります。って頼むから反応してくれ!? このままじゃ俺の精神が危ねぇよ!!
「…………か、楓?」
おおっ!! ようやく朴月が反応してくれた!! 物凄い眉を潜めてるけど……。
「これが……、アンタが言った秘策なの?」
朴月が更に怪訝な顔になりながら目の前に置かれた小鉢を指差す。
そこには小鉢の半分ぐらいを満たした薄黄色の固形物か液体かその判断を鈍らせる得体の知れない謎の物質があった。その物質は蛍光灯の光を少しだけ反射していて、表面を見るとたくさんの凹凸が浮き出ていた。
「よりにもよってこの崩れたゼリーが……。少し期待して待っていたあたしの気持ちを返せ」
「何その期待した割にはショボくてテンションだだ下がりー、みたいな言いぐさは。あとこれは崩れたゼリーじゃなくてジュレな?」
「ジュレ?」
俺の言葉に首を傾げる朴月は一先ず放置しておいて、取りあえず幾分か話が分かりそうな比佐久に顔を向ける。
「…………」
……比佐久さんも訝しげに顔をしかめてらっしゃるよ。しかも初めて会った時よりも皺の数が増えてんだけど。もう皺くちゃで目が何処か分からないんだけど。
「あの~姿月先輩?」
この中で一番の良心木下がおずおずといった感じで話しかけてきた。
「ん、どうした木下?」
「このジュレ……でしたっけ? これをどうするんですか? かけるんですか?」
「んー……まぁそんなところだな。んじゃ、時間もないし早速試食タイムといきましょーや」
木下の問いに応えながら俺はジュレをスプーンで掬って塩クッキーに乗せそれを三人に差し出した。朴月と木下は「美味しそー」と呟きながら受け取ってくれた。しかし、比佐久は無言で引ったくる感じでクッキーを持っていった。嫌われてんな……。
そして、各々のタイミングでクッキーを口へと運んだ。
「「「甘っ!?」」」
口に入れた瞬間、三人が口元を押さえながらそう叫んだ。どうやら上手くいったみたいだ。
「嘘っ!? さっきまであんなにしょっぱかったのにそれが完全に押さえ込まれてて逆に強烈な甘味が押し寄せてくる!! しかもしつこい甘さじゃなくてさっぱりとした後味にレモンの風味が効いてて全然くどくない!!」
「そのあとにくるしょっぱさも良い感じにマッチして良い感じですよ!! あとジュレが程よくクッキーに染みて柔らかくなってるから食べやすいし!! これは……」
「「美味しいー!!」」
料理漫画みたい解説ありがとよ。てかお前ら料理知らなかったんじゃないの? 何そのボキャブラリー量。
「でも……」
と、ここで朴月の顔が笑顔から何処か心配するような表情に変わった。
「楓? これどれくらい砂糖使ったの?」
「確かにそうですよね……」
朴月の言葉に木下もむぅと考え込む。
「アレだけのしょっぱさを押さえ込めるんだから、相当の量の砂糖入れたんじゃないですか?」
何だそんなことか……、と思わず言いかけたが、最近の女子はカロリーを気にするだったな。まぁ妥当な考えだろ。
「安心しろ。砂糖は小さじ一杯位しか入れてないからカロリーはそう高くなってないハズだ」
「え!? ……でもどうやってあのしょっぱさを?」
木下が問い掛けてくるので俺は側に置いてあった砂糖と塩を手に取りながら二人に問い掛ける。
「お前らさ……『対比効果』って聞いたことあるか?」
俺の問いかけに二人とも首を振る。
「よくスイカに塩をかけると甘くなるって言うだろ? 舌の味覚って甘さよりもしょっぱさの方が早く脳に伝わるようになってるから、砂糖よりも先にしょっぱさを感じるんだ。そうするとそのあとやってくる砂糖の甘みが塩によってより引き立っていつもより甘く感じるわけ。これを専門家の中じゃ『対比効果』って言うんだ」
俺の長々とした説明を聞いた二人は感心したように何度も頷く。因みにわさびに砂糖を入れると辛くなるってのもこの効果のおかげだ。
「……時間もあれだから行ってあげたら?」
「あ……はい! ありがとうございます!」
俺の促しに頭を下げた木下は手早くクッキーとジュレをタッパーに入れてパタパタと厨房を出ていった。
「まさかあんな方法があるとはね~……」
「少しは見直したか?」
「うん、塩に」
「其処は俺だろ……」
塩を見直したって何になるんだよ。いや、まぁいろいろと便利だけどさ……。
俺はため息をつきながら手早く帰り支度を始める。時間は午後七時を回っている。ジュレを冷やすのに時間がかかりすぎた。胡桃怒るだろうな……。そんなことを思ってると今まで床で気絶していた当麻の身体がモゾモゾと動き出した。
「ん? んん……」
「お、やっと気づいたか」
「ふぁぁ……か、楓かぁぁ……?」
「いつまで寝てんだ。そら、サッサと立った立った」
「まだ眠いぃぃ……ぐぅ~……」
また寝だす当麻を往復ビンタでたたき起こして帰り支度を進める。ほどなくして、俺たちは各々のバックに自分の荷物を詰め込み終えた。
「さてと、んじゃ行きますか?」
「楓……何か俺の頬が二倍近く腫れ上がってるのは気のせいか?」
「気のせいだ」
そうかな……と自分の顔を擦りながら首を傾げる当麻を急かしながら俺は扉へと急いだ。
「ねぇちょっと……」
不意に声をかけられて振り返ると比佐久が立っていた。
「どうした?」
「何で新しく作り直さなかったの?」
「……何で今更そんなこと聞くんだ?」
俺の言葉に比佐久は時計を指差した。
「あの時作り直しておけばもっと味も良くなったし、もっと早く終わったんじゃない?」
「それはあれか? 俺のせいで時間が遅くなったって言いたいのか?」
「違うけど……今日部活が速く終わったんだったら帰ってるんじゃないの?」
「詰ってるじゃん」
俺はそういいながら空を仰いだ。天井しか見えないけど……。
「いつも野球部の奴に聞いてんだよ。『一年生の山田ってやつ。ものすげぇ野球上手くて、しかも練習終わった後でもまだ素振りしてる』ってな? しかも七時ぐらいまで」
「確かによく聞くな~」
俺の言葉に当麻が頷きながら同調してくれた。
「それに、彼女の想いを踏みにじりたくなかったしな」
「想い?」
「考えてみろ。今の野球部って血反吐吐く様な練習ばっかだろ? 当然そんな練習やったらこんな時期でも汗かくだろうよ。そんな練習の後にも素振りしている奴がその後に一番欲しいものってなんだと思う?」
「……あ」
ここで比佐久が小さく声を漏らした。
「塩分だな!」
「正解。って何でお前が答えるんだよ」
ドヤ顔を決め込む当麻の頭に一応チョップを入れておく。
「……まぁなんだ。彼女は独自の味を求めたんじゃなくて山田君のことを考えて塩を入れちまったってことだ。まぁそれが裏目に出たけど……」
「……だったら尚更作り直せばよかったんじゃない? 美味しいものをもらった方が嬉しいでしょ?」
「確かに常識的に考えれば微妙なもんより美味いもんをもらった方が嬉しい。でもな、味だけをひたすら追求したものと相手のことを想って作ったもんとじゃその差は歴然だと思うぜ?」
「…………」
何も反応しない比佐久に聴こえる様に続けた。
「確かに味を追求するのも間違ってはいない。むしろ世間体的にはあっている。でもいくら美味く作れようがそれを食べてくれる人が居なけりゃ話にならないだろ? 料理ってのはただ作ってお終いじゃないんだ。料理を作る人が居て、そしてそれを食べてくれる人が居て初めて『料理』が成立する。最高の料理を作り上げることだけを追求するのは生意気かもしれんが俺に言わせりゃただの自己満足。ソイツはただ自分の料理しか目を向けてないだけであって、その先に居るものを見ようとしない。そんな奴が作った最高の料理が、その先に居るものを見据えて作られた不格好な料理に少しでも勝ると思うか?」
俺の問いかけに、比佐久は無言で俯いた。そのまま暫し沈黙……。
「うわー……」
沈黙を破ったのは比佐久ではなく俺の横に居た当麻であった。てか、何でそんな半目で若干口角吊り上げてんの? そして何故俺から一歩ずつ離れていくの?
「いやー、まさか楓くんがあんなハズカシイことを真顔で言うとは……引くわ~」
「はぁ!?」
ちょ、コイツ何言ってんの!? ハズカシイこと!? 俺はただ持論を言っただけだぞ!!
「『俺に言わせりゃただの自己満足』……生意気としか言えないわね~? たかが家事が出来るってだけの子供がプロに何言ってんの? 何調子こいて語っちゃってんの? って感じよね~」
ちょ、朴月まで何言ってんだ!?
「しかもそれ言うとき何か手とか使ってジェスチャーしていたし」
嘘っ!? 手ぇ動いてた!? 動いてたの!? 恥ずかしっ!! それは恥ずかしっ!!
「アレだよ。楓くんはカラオケとかで歌ってるとリズムとろうと無意識に手を振っちゃうタイプなんだよ。あ、動画あるけど見る?」
「え、ホントで? 見る見る~」
当麻てめぇいつの間に!? って俺歌ってる時手ぇ振ってんの!? だから歌ってると当麻が腹抱えながら手振ってたのか……。あれ見た時何やってんの? って思ってたけどまさか俺のまねだったとは……? て今それどころじゃねぇ!!
「お前ら何してんだ!! さっさと帰る……」
「因みにさっきの手振ってる動画あるけどどうする?」
「消せェェェエエエエ!!!! 俺の黒歴史ィィィィィィイイイイ!!!!」
そう叫びながら当麻に飛びかかるが当麻はそれをスルリと避けて俺に携帯を向ける。そして響くシャッター音。
「ハズカシイ楓の図Get!!」
「泣くぞ!!」
「じゃあ泣いた楓の写真撮る」
「何故そうなる!! 慰めろよ!!」
「需要があんだよ」
「誰に売り付ける気だ!!!!」
需要って何だよ!! そんなもん誰が欲しがんだよ!!
「さてと、バカは置いといてあたしたちは帰りますか?」
いつの間にか離れたところにいた朴月は比佐久の肩に手を置いて問いかけた。しかし、比佐久は下を向いたまま反応しない。
「……成る程、そういう考えもありか……?」
「帆花?」
「え? あ、ごめん先輩。ちょっとボォーっとしてた。帰るんでしょ? 時間遅いから早く行こ」
早口で捲し立てる比佐久に引っ張られて朴月は厨房を出ていった。残された俺達は暫し二人が出ていった扉を見つめていた。
「楓……」
「……何だ?」
「お前何かしたか?」
「……知らねぇよ」
俺が素っ気なく返すと、またもや沈黙となる。
「……帰るか?」
「……そうだな」
当麻の言葉に従って、俺達は厨房を後にした。




